第14話 迷宮の悪魔(ダンジョン・デビル)

 駆け、駆け、駆ける。

 至る所が裂けたゴシックドレス風の装備から垂れ下がる布地をたなびかせて、疾走する。


(ワタシもバカじゃない。今の自分の状態くらいわかってる……)


 眼前の大蛇へ油断のない視線を向けながら、瑠奈は考えていた。


(息するだけでめっちゃ痛い。何本もあばらが逝っちゃってるなぁ。お腹もズキズキ痛いし、こりゃ生理なんて可愛いもんだ。血も止まんない……このままじゃ失血死コース)


 仮に今戦闘を放棄して逃げ帰ったところで、ダンジョンを出ることには生命活動に必要な血液は残っていないだろう。


 第一、Bランクモンスターがそう易々と手負いの探索者を逃がしてくれるわけもないので、前提から間違っているが。


(どのみちワタシが生き残るためには、コイツを倒してレベルアップして、完全回復するしかないっ!)


 カッ、と瑠奈の金色の瞳が大きく見開かれた。

 視界の中心に【アイアンスケイル・グレータースネーク】を納める。


(折角転生してここまで来たんだ――)


 五ヶ所ある鱗の剥がれた場所の一つの前まで駆けて来た瑠奈が、全身に走る激痛をギリッと歯で固く噛み殺しながら大鎌を持ち上げる。


「死んで……たまるかぁあああああッ!!」


 袈裟斬り、一閃。


 ズシャァアアア!


 飛び散る鮮血。

 鼓膜を震わせるのは大蛇の悲鳴。


 満身創痍になってまで鉄壁の鱗を剥がした甲斐があった。

 ここにきて、初めて大蛇へダメージと呼べる一撃を喰らわせることに成功。


「あはっ、どうかな!? 格下と――単なる獲物と侮ってた相手に一発喰らわされた気分はさぁっ!?」


「シュルゥウウウ……!!」


 言葉は通じていないだろう。

 だが、戦闘という名のコミュニケーションを通して大蛇は理解した。


 瑠奈の内包する狂気は、単純な実力差をひっくり返しかねないと。


「シャァアアアアアッ!!」


 大蛇が身体をのたうち回らせ、その巨体で辺りの地面を叩きつけていく。


 尻尾が、胴体が地面に打ち付けられるたびに地響きが起こる。こんなのに巻き込まれでもしたらひとたまりもない。


 取るべき選択肢は回避。

 しかし、逃げてばかりではいつまで経っても大蛇を倒せない。


「あっははは! そんな興奮しないで、ちょっと落ち着きな――」


 大蛇の身体を足場にして駆け上がっていく瑠奈。

 再度鱗の剥がれている場所に登り詰めて、大鎌を振り上げ、


「――よっ!!」


 ザシュッ!


「シャルゥウウウッ!?」


 ここぞとばかりに瑠奈が大鎌の刃を深く突き刺した。

 吹き出す鮮血が装備に飛び散るが、既にボロボロ。気にはしない。



○コメント○

『どうなってんだマジで』

『なんか、割とまともに戦えてるんだが……』

『でももうボロボロだぞ』

『いや、ボロボロなのにここまで動けるのが意味わからん過ぎだろ』

『どっちがバケモンかわからん』

『↑どっちもバケモノ。これ正解』

『間違いねぇ』

 …………


 視聴者らも満身創痍の瑠奈が以外にも善戦していることに驚きを隠せない様子。


 もしかしたら瑠奈なら……と、期待が出てき始めているものもいるだろう。しかし、現実そう甘くはない。


「うおっ……!?」


 大蛇が身体を大きくうねらせて、自分の上に乗っていた瑠奈をビュゥンと空中に放り出す。


 いくら身体能力が強化されている探索者と言えど、所詮は人間。

 翼を持たぬ動物に空中で自由に動くすべはない。


 大蛇は顎を外した口を開き、これでトドメだと瑠奈に襲い掛かる。


「そりゃそう来るよね……ならっ……!!」


 瑠奈がその手に持つのは重量武器。柄も長い。

 足場のない環境で振り回せばどうなるか。


 答えは簡単――身体の方が振り回される、だ。


「ふっ――」


 鋭利な牙がズラッと並ぶ大蛇の口が迫ってきた瞬間、瑠奈は思い切り大鎌を空振りさせた。


 生み出された遠心力によって瑠奈の身体は少し横に移動。


 あと数センチ移動の幅が少なければ今頃半身が持って行かれていたところだったが、上手く躱すことに成功した。


 大鎌の先端を大蛇の胴体に引っ掛けるように当て、落下の衝撃を緩めながら地面に着地。


「あはっ、危ない危な~い」


 ニッ、と口角を持ち上げる瑠奈。


 ポタッ、ポタッ……と身体のどこかからか滲み出てくる血液が、足元に滴り落ちて地面に赤色の水玉模様を描いていくが、関係ない。


 どのみち目の前の大蛇を倒さなければ、瑠奈が死ぬのだ。


 そして、このまま戦闘が長引いてもやがて瑠奈の膝が折れるだけ。加えて、これまでの激戦で大鎌の刃はかなり消耗され、刃こぼれが目立っている。


「はぁ~あぁ~。折角の楽しい時間だけど……流石にそろそろ終わらないとねぇ……」


 瑠奈はだらりと大鎌を右手に持って空を見上げる。


 湿地特有の湿った土の匂い。

 薄明るい不思議な空。

 そして、口いっぱいに広がる鉄錆の味。


「くふっ……」


 正面に大きく居座る大蛇に顔を戻す。


 身体の奥底から沸き起こってくる期待、興奮、喜びの感情が狂気的な笑みとなって瑠奈の口許を歪めた。


 金色の瞳に灯る鋭利な眼光。


「あははっ……これが最後。決めようか……デカ蛇さん? 生きるのはワタシか、アンタか……」

「シュルゥ……」


 両者の間に緊張と殺意が張り詰めた沈黙が流れる。

 思わず視聴者らもその雰囲気に圧倒され、コメント欄の流れが一気に止まった。


 そして――――


「あはっ――」


 瑠奈が駆け出した。

 これまで以上の全力。

 持ちうる実力に狂気が上乗せされた、文字通り命懸けの全力。


 対して大蛇は、疾風の如く駆ける瑠奈の姿を動向を糸のように細めた両目で捉える。


 長い尻尾を地面に擦りつけながら前方へ振るう。

 ブゥン、という空気をなぶる重たい音と共に、小さな石礫が飛び大量の土煙が巻き上がる。


 咄嗟に瑠奈は靴底を滑らせて足を止めた。


 何も見えない。

 土煙が視界を埋め尽くし、ほんの数メートル先の景色だって見えない。


 対して【アイアンスケイル・グレータースネーク】はモンスターと言えど、見た目通りの蛇。人間には視認できない赤外線を捉えることが出来る。


 大鎌を構えて周囲を警戒しながら佇む瑠奈の熱を、鮮明に認識しているだろう。



○コメント○

『見えん』

『見えん!』

『これじゃ戦えんだろ……』

『終わったな』

『どうなってるのかすらわからん』

『土煙でルーナの最期すら映らんかもな』

 …………



「あはは……まさかここに来て目を奪われるとは思ってなかったなぁ……」


 流石に想定外。

 こんな戦い方もあるのだと学んだ瑠奈だが、この知識を活かす機会に巡り合えるかどうかは、今この瞬間を生き延びられるかどうかにかかっている。


(でも、まだ終わりじゃない……)


 瑠奈は腰を低くし、大鎌を構えたまま周囲の音を聞く。


 ズルズルズルズル……と大蛇の長い身体が瑠奈の周囲を取り囲むように回っているのが感じられた。


(逃げ場を失くした上で確実にってことね……良いねぇ……)


 こんな絶体絶命の状況でも瑠奈の口角は吊り上がる。


(襲い掛かってくる瞬間の音を聞き逃すな……)


 何せ大きな身体だ。

 一つ一つの動作にはどうしても地面と擦れる音が発生してしまう。


 それが飛び掛かるような激しい動きならなおさら。


 その瞬間を捉えられなければ瑠奈の負け。

 捉えられれば、反撃の隙となる。


 十秒、二十秒……と、瑠奈の集中力を削るかのように時間が流れていき、その瞬間はやはり唐突に訪れた。


 ――ザッ!!


「ここっ……!!」


 背後から確かな音。

 飛び掛かってくる気配。

 瑠奈は反射的に振り向き、大鎌を構えた。


 が。


「しまっ――」


 大蛇の姿はない。


 誘われた。尻尾か何かでわざと大きな音を立てたのだ――その事実に気付いたときには、既に瑠奈の背後から大蛇の牙が迫っていた。


 グシャァッ……!!


「~~~~ッ!!」


 咄嗟に飛び退きながら振り向き、瑠奈は左腕を身体の前に持ってきて防御姿勢を取ったが、その左腕が大蛇の牙の餌食になった。


 瑠奈の口から言葉にもならない喉から絞り出したような声が漏れるが、大蛇は構うことなく瑠奈の左腕に噛み付いたままブンブンと頭を振る。


 左腕は大蛇の口に。

 瑠奈の身体は振り回された遠心力で宙に放り投げられ、左肩から鮮血を振り撒きながら土煙の上に出る。



○コメント○

『腕!』

『腕が!!』

『千切れてる!?』

『見たくない!』

『ワイ、この先見れんかも……!』

『もう止めてくれ!』

『あああああ』

 …………



 結果は見えた。

 瑠奈の敗北――死だ。


 この先の衝撃映像を予見してライブ配信を閉じた視聴者も多くいただろう。


 だが、その人達はのちに自分の選択を後悔することになった。


 この先流れるのは衝撃映像。

 確かに、衝撃映像。

 探索者界隈を――ダンジョン・フロートを震撼させることになった超衝撃映像。


「……ははは……あはっ、あははっ……あっはははははははははははッ!!」


 何が瑠奈をそうさせたのか。

 経験したことのないような痛みか、胸躍る戦闘か、極限状態での興奮か。


 瑠奈は自分の身体の奥底から何やら不思議な感覚が目覚めるのを感じた。


 その感覚のままに瑠奈は放り出された空中で体勢を整え、右腕一本で大鎌の柄を握り締める。


 そんな瑠奈へ大蛇が大きな口を開けて迫る、迫る、迫る。


「惜しかったねぇ。もし千切られたのが利き腕の右だったらワタシの負けだったよ――」


 瑠奈は接近する大蛇を空中から見下ろして言う。


「君の敗因は最初にワタシを侮っていたこと。そして――」


 シュバッ! と瑠奈の大鎌の刃に深紅の焔が灯った。

 血のように真っ赤な、混じりっ気のない赤。


「ワタシを成長させたこと、かなっ!」


 キラッ、と瑠奈の眼光が輝くと同時、右腕一本で大鎌を全力一閃。


 いくら全身が鉄壁の鱗で覆われていようとも、捕食せんとするその瞬間は無防備な口内を晒す。


 瑠奈の振るった大鎌の斬撃の軌跡を辿るように深紅の炎が刃となって大蛇の口を斬り裂き、そのまま巨大で長い身体を真っ二つに裂いていく。


 シュバァアアアッ!!


 それは大蛇の断末魔の叫びか、燃える炎の音か。

 大蛇の身体を引き裂くように噴き上がる深紅の炎の様子は、どこか彼岸花を想起させる。


 やがて、バタァン、と地面に力なく身体を倒れ込ませた大蛇。


 巨大な身体の端から徐々に黒い塵と化して宙に溶けるように散っていく。


 そんな景色の中心で、瑠奈は刃の真ん中から先が砕けた大鎌を携えて佇んでいる。


 圧倒的な格上を制したジャイアントキリングによる大量の経験値が、瑠奈のレベルを更新した。


 噛み千切られた左腕は元に戻り、全身に刻まれた致命傷を含む怪我もすべて回復。


 モンスターの屍が大量の黒い塵を吹かせる中で、ボロボロのゴシックドレス風装備のスカートと、ハーフツインテールにされた薄桃色の髪をなびかせる瑠奈の姿。


 それを見て、視聴者の一人が呟いた。


 ――悪魔だと。

 ――迷宮の悪魔ダンジョン・デビルだ、と。

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