第9話 就寝
眠り筒のジスワスと言われた老盗賊は、背後で震えている哀れな盗賊見習いを一瞥した。
この若造は理解しているのだろうか。月光に照らされている、若造より若造より一回りも幼いガキに、完全に生殺与奪の権を握られているということを。
路上で連れの女に話しかけられてるガキに視線を戻す。会話の最中だっていうのに、その金色の瞳とピタリと目線が合う。
「こっちは手元も見えねぇ暗闇の中だぞ。……完全に視線をあわせてきやがるっ」
あの灰髪のガキは確実に圧倒的強者。
思わず口元が釣り上がる。この感情は恐怖か喜びか。どちらにせよ思いがけない窮地に心が昂っているのは間違いない。
「おい若造、撤収だ」
「え、でもまだ」
「気づかねぇか。失敗だよ」
思えば、俺たちの連携がしくじったのはいつぶりだろうか。
毒針射つのが2人と、襲撃役が1人。通った商隊の弱そうな金になりそうな奴を毒針で眠らせて、襲撃役がそれをさらう。妨害したり追いかけてくる奴がいたら、それを俺が眠らせる。
俺たちはいいコンビだった。
「残りのお二人は一体……」
「死んだ。見えるだろ、あの灰髪のガキに一撃でだ」
「ヒィッ」
「分かったら止まらず拠点まで逃げろ。死にたくなきゃな」
ハンベルとかいった若造は、ようやくことの重要性がわかったみたいで、走って逃げだした。その去り際の音の立てようは、いつもだったら叱りつけてるぐらいだった。だがまぁ、今回は初っ端からバレてるわけだから許してやろう。
「これでようやっと、あの化け物みてぇなガキとサシで出来るわけだ」
灰髪のガキが動き出した。うちの暗殺者でも出来ねぇ程の音を消した駆け出しだ。近くで見たら消えたようにも見えるだろう。
だが、バケモンの割には想定内だ。その弾かれるような急加速も考慮して、灰髪が突っ込んで来る位置へ針を飛ばす。灰髪は目論見通り、針が直撃する位置へ飛び込んできた。
そして針を視認して躱しながら距離を詰めてきた。
「見てから避けやがった……」
再装填してもう一度灰髪をねら……えない。もう既に目の前の茂みへ到達しているっ!
腰を落として、眠り針を飛ばす長筒を構える。この鉄の筒、若かれし頃には抜剣術の腕から、相手を一撃で沈め続け眠り筒と呼ばれた、このわしの手にかかれば、格別の凶器となる。
狙うは一瞬。茂みから現れた瞬間。
魔力を纏わせ、必殺の威力を持って鉄筒を振るう。鉄筒の振るわれる先、茂みから灰髪のガキが現れる。
しかし、その金色の瞳で冷静にこちらを見据えていた。迫る鉄筒に灰髪の手が伸びる。その手の骨を鉄筒が砕く瞬間、一瞬手が赫く輝く。
直後、手には砕き折られた鉄筒が握られていた。
なんの冗談か、灰髪はわしを殺す気はないようだった。
手心と言えば手心。わしは手刀の一閃で両腕の骨を折られて、あっさり囚われの身に堕した。
両腕を折って無力化した盗賊を連れ、身元不明の俺がいても、ガリーと俺は割とあっさり城門を通れた。ガリーの顔パスで、色々と煩雑なやり取りが省略されたのが大きいようだ。
「
なんて大見得切るだけのことはあったらしい。
それはそれとして、森探索の探索に向かった隊が、巨大な魔物が原因で命からがら逃げてということが、都中に知れ渡るほどの事件になっていたため、あまり事情を説明しなくても話が通じていたのもある。
「……ということ。詳しい取り調べは明日にしてもらって、今日はうち帰ってねていいってことになったわ」
「ありがとう。衛兵とのやり取りまでやって貰って」
「いいのよ。私からすればここの人は、薬草採取で外出るたびに話してる人たちなんだから」
門を抜けるとき、後ろを向いて関所の方へ一礼すると、ガリーに向けてひらひらと手を振っている衛兵がいた。
もしかすると、この街でガリーは随分人気なのかもしれない。
まあ無理もない。艶やかな蒼い髪に、綺麗な顔立ち。あれだけのことがあって本人が最も疲労しているにも関わらず、快活な笑みを崩さない。人気が出るのも当然といったところだろう。
それはそれとして気になることもある。
「俺のことはどうなった?こんな姿では子供にみられるのはわかるけど、なんの身なりの証明もできないし、武器も持ってる」
「あなたみたいな状況の人はよく来るのよ、この都には。そういう移民にも冒険者として働いてもらってるから、この街は栄えているし、その分ほかより柔軟な対応も取れるってことらしいわ」
「なるほど」
「『冒険と狩人の都』ギルツは昔からそういうところだからね」
ここからだと少し歩くわ。と暗い街道を迷いなく進むガリー。
「まぁ、とはいえ私が直接手続きをしたことは無いから、明日余裕があったら組合の担当の人を紹介するわ」
「ありがとう」
その会話を最後に、暗い街中を二人で歩く。
見知らぬ街を見回す俺に比べて、無言に耐えかねたのかガリーはこぼれ話を話し出した。それは、あの囚われた盗賊の話だった。
曰く、俺たちがそうそうに開放されたのは、あの盗賊……ジスワスと名乗った男が、思ったより従順に動いたという理由もあるらしい。
ジスワスは、その界隈では有名な盗賊だったらしい。衛兵も、ジスワスのいた盗賊団には手を焼いていたとか。
確かに、大人しく捕縛されているジスワスの姿を見た衛兵たちはどよめいていた。
盗賊、それも組織だって長く活動していた盗賊団にいたジスワス。本来ならそのまま死刑になるらしい。にもかかわらず抵抗する様子も見せなかったのは、衛兵としてはさぞ意外だっただろう。
避けえぬ死を前に全てを諦めたのか、老盗賊としての引き際を既に悟っていたのだろうか。
もう生きて会うことなどないだろう彼の心境に、少しだけ思いを馳せる。
「ねぇ、カイ?」
「どうした?」
「あなた、確かあの盗賊捕まえる前に、あと二人いるっていってたわよね」
「あぁ、二人いた」
「カイなら捕まえられたんでしょう?どうして逃がしたのかしら」
「……えっと」
人を殺したことがなかったからだ。顔も知らないが、茂みの中で慌てふためいていた気配は、まだ大事な一線を超えていない者のそれだった。
「いや、その……随分とジスワスが強くて。その間に、」
「ふふっ、あなた、嘘は下手なのね。いいわ、明日はそういう風に話しといてあげる」
バレた。
「見ればわかるわよ。両上腕骨が中ほどで綺麗に折られてた。診たかんじ、砕けることもなくパキッと。あまりに綺麗におられたんでしょうね。皮膚の打撲様の痕も小さいし、折れた断面も綺麗。固定したまま置いとけば、治癒魔法がなくても10日もあればくっつくわ」
手加減する余裕もあるなんて……あなたわざと見逃したでしょ。なんて、答え合わせまでされてしまった。
よく見えている。嘘は全くの筒抜けだったようだ。
「けど、安心した。あなたちゃんと加減できるじゃない」
「安心って」
「心まで染み付いてた殺人狂だったら、私も困るわ。まあ、助けてくれた時から大丈夫な人って感じしてたけど」
「大丈夫な人……ほんとに?」
「大丈夫よ。あなたの禽眼じゃないけど、私、眼は良いの」
自分は呑まれてしまってはいないだろうか。あの戦の炎に。
「あなたは大丈夫。人としてあろうとするなら踏みとどまれる。そう見えるわ」
蒼い瞳がこちらを見つめている。まるで俺の心の底まで見通す力があるようだ。その信頼の言葉に、果たして俺はどこまで応えられるだろう。
そんなに不安をよそに、見上げるような建物の前に辿りついた。
「さて、ようやく着いたわね」
「ここが?」
目の前の大きな建物を指さす。
『違うわよ!そっちはギルドハウス!その横!』
「あぁ、そっちが」
大きな囁き声で否定された。案内されたのは、ギルドハウスの横。これも二階建で、オニソグラン診療所という看板が掲げてある。
診療所も二それなりの大きさである。しかし、横のギルドハウスが大きいせいでどこか小さく見える。不思議なものだ。
その後、診療所の二階、空いていた客室に案内された。
軽い説明のあと「他にも色々説明あるけど全部あと。眠いわ!」というガリーの言葉で解散。
きっと、ガリーにとっては果てしなく長く、俺にとっては大戦が終わって初めての、一日が終わった。
MEMO
カイ
大戦前は、業務の隙間の休暇に食べる外食が楽しみの一つであった。
ガリー・オ二ソグラン
診療所に住み、薬の処方をしている。しかし、流れの医師から診察をすることは禁じられている。
ジスワス
老盗賊。眠り筒のジスワス
ハンベル
盗賊見習い。
盗賊団に入ったがまだ日が浅く『帝国』政府に指名手配されていない。
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