第5話 名前

「私はガリー。ガリー・オ二ソグラン。個人で薬師の見習いをしていて、組合ギルドには治癒職の冒険者としても登録してるわ」


 先を歩いていた少女は振り返り、胸を張ってそういった。髪と同じく深い蒼を湛えた瞳には、その職に就くにあたっての強い自負が見て取れる。


 ただ、少しだけ。少しだけ胸を張りすぎたのかもしれない。

 嵌合獣キメイラからの逃亡のなかで、幾度となく枝に当たった影響か、その服に蓄積されたダメージは、限界を超えた。


 具体的には、豊かに育った胸を抑圧していた胸当ての糸が切れた。結果「パンっ」という音ともに、激しく胸が強調された。

 色々大変だったからか服装も乱れていて、本人の想定から外れるほど柔肌がのぞいてたりもした。


「………………」

「………………みた?」


 一瞬の長い沈黙のすえ、ガリーは素早く銀槌を引き抜き、それを胸の前で握りしめてプルプルとしながら聞いた。


「……え?」


 灰髪の少年、『火鼠』と謳われた男は、一瞬の硬直を余儀なくされた。見るも何も自己紹介なんてしてたわけで、見間違いようもないほどにまじまじと見えていたからだ。

 あらゆる戦場を見つめた『禽眼』は、ちょうど目線のさきで起こった事件、そのはじけかた、豊かにはずむ様子に至るまで、鮮明に認識してしまっていた。

 

「いや、そりゃ……」


 顔が赤くなるガリー。銀槌を握りこむ力はどんどん高まり、ギチギチと音を立てる。


「………………」

「………………」


 再び厳しい沈黙。それは灰髪からすれば嵌合獣キマイラとの戦闘より緊迫したものだ。

 長い視線の交錯のはて、やや落ち着きを取り戻したガリーは、銀槌を背中に戻し、襟元を整え、外套を深くまといなおした。


「そ、それで、あなたの名前は?」


 やや、というより、かなり強引な話題修正。それは灰髪の少年にとってはとてもありがたいものだった。


「さすがに『火鼠』が名前なわけじゃないでしょう?」

「いや……そうだな、俺は暗部の人間で、そこの隊じゃ全員が「鼠」とよばれていてな。おれはそこで火を使うのが上手かったから火のネズミ。火鼠だった」


 だから名前なんてないんだ。と続ける。

 事実、暗部に入る前なんて物心つかないどこぞの孤児だったから、おれに元の名前なんてない。


「いつか友人と話していた時にだって、ネズミと名乗っていたぐらいだ。好きに呼んでくれ」

「なんていうか……いろいろ複雑なのね。こんなにちっさいのに。あなたの名前がないってのは困るわねぇ」


 ガリーは、少し悩んだ顔をした。


「”カイ”っていうのはどうかしら?あなたの名前。昔ウチで飼ってた猫の名前なんだけど、その猫もあなた同じで、灰色の毛並みをしていたのよ。……それに」

「それに?」

「あなたの国って、昔の勇者が持ち込んだ”カンジ”とかいう字が好きなんでしょ?カイっていう言葉はグレーって意味の“カンジ”から来てるって母がいっていたわ。……どうかしら?」


 思えば、自分だけに与えられたなまえというのは初めての事かもしれない。


「あぁ、ぜひそう呼んでくれ。名前をもらったからには、その前任者に恥じない働きをしてみせよう」

「じゃあ、これからよろしくね、カイ」

「あぁ、ガリー。よろしく」


 どちらともなく握手をした。が、その手を握ったまま、ガリーはずるずるとくずれていく。

 握手をした手を持ち上げて、脇もとにつくった隙間から体を差し込み、肩で支える。


「おっと……大丈夫か?」

「ちょっと、安心しちゃったからかな。腰が抜けちゃったみたい」


 自分の方に回してある手も、上半身を支える背中も萎えてしまっている。完全に力が入らなくなっているようだ。

 見れば足腰も同じらしく、何とか倒れまいとプルプルとしながら耐えているようだった。


 思えば、最初出会った時も魔力が枯渇寸前になっていた。

 いままで動けていたのは、あまりの疲労に身体が追い付かず、脳のリミッターが外れていた状態になったためなんだろう。






MEMO


カイ

 ハイイロと呼ばれた暗部で育った。


ガリー・オ二ソグラン

 彼女によって選ばれた薬効系ドリンクは、ほかの売店でのドリンクより信頼度が高い。

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