第3話


 それから何度かショウリはわたしの前に現れて、そのたびわたしはミッションをクリアしていった。ミッションそのものは単純なものばかりだ。

 例えば、こんなことがあった。

「今回は、家に帰る前に少し寄り道をしてもらいます」

わたしのマンションの最寄り駅に突然現れて彼はそう言う。

「寄り道……。そんなんでいいの?」

「えぇ」

 しかし、このとき、昇がひとりで家にいる。家事を完璧にこなしているとは思えない。早く帰って、洗濯物の取り込みや、料理をしたかった。

「いえ。少し寄り道をしてください。10分……。いえ、5分でいいので」

 わたしはとりあえずそれに従うことにした。ショウリの言うことなんだったら、なにか大切なことだったのだろう。『なぜ?』と疑問に思うこともなくなってしまった。

「わかったよ……。そこのスーパーで買い物して帰るから」

わたしはきっかり5分買い物をしてから帰った。


そう、ショウリのミッションはこんなものばかりなのだ。

『久々にあった学生時代の男のクラスメイトと3分話せ』

『一泊二日の旅行(場所は不問)に行け』

『香水を1週間変えろ』

『音楽の趣味を1週間、J-POPから洋楽に変えろ』

 そんなものばかりだった。正直、なにに、どう変化を与えているのか分からないが、重要なこととは分かった。

 それは、変数というものが理由。

 未来が変化しすぎないようにするための、行動の制限。それが変数。ショウリ曰く、世界のバランスを壊さないようにする。例えば、戦争が起こらないようにするため。貧富の差が開き過ぎないようにするため。

 なので、わたしになぜかを教えると、変数が大きくなりすぎてしまい、未来が変化しすぎてしまうらしい。



 こうして、ショウリから出会って1ヶ月ほどしたとき、彼はわたしにこう告げた。

「これが最後のミッションになります」

「そう言われると、なんだかこう、寂しくなっちゃうね」

「ニイコはそう思うかもしれませんが、僕はいつだって問題に真摯に向き合っていますよ」

「ごめんごめん」

 彼は少し怒っているように見えた。わたしの感傷なんて吹き飛んでしまうほど、未来は大変らしい。

「……ごめんなさい」

 そうだ、彼は父を失っているのだ。

 空中をイルカのように泳いで、彼はマンションの玄関の方に向かう。

「ついてきてください。最後のミッションは、外で行います」

 わたしはスリッパを脱いで、スニーカーに履き替える。


 彼について行って、わたし達はラブホテル街にたどり着いた。今日は祝日ということもあって、夕方なのに両手を絡ませている男女が結構いる。わたし達は見やすいように、カフェに入って、2階からホテル街を見下ろした。

「こんな所に、なんの用事があるの?」

 何回か利用したことがあるホテルがある。わたし以外には見えないとはいえ少年と一緒に見張るのは、ちょっと恥ずかしい。

「ここにもうすぐ、ターゲットが現れます」

「ターゲット?そのターゲットをどうすればいいの?」

 一呼吸置いて、彼は奇妙なことを言った。

「そのターゲットがなにをしていても、無視してください」

「……無視をする?こういうのって、だいたいターゲットを捕らえてこいとか、接触しろっていうのが普通なのでは?」

「無視してください」

 戸惑っているのをショウリが感じ取ったらしい。

「そんなこといってもさ……。具体的になにかをするわけじゃないんだ」

「そうですね。今回は、なにか行動をするってことではなく。貴女がそれを知っているっていうことが重要なんです」

「それで未来が変わるの?」

「本来、そういうものでは?未来はなにが起こるかわからない」

 彼の言うとおりだ。未来はなにが起こるかわからない。けれども――

「でも、変数とか気にしてるじゃん。ひどいことを変えるために行動してんじゃん」

「僕も必要以上には未来は変えたくないので。自分が生まれないとかイヤなので」

 気にしたことなかった。わたしが妙な行動をすると、変数を大きくしすぎると――彼が生まれない可能性があるのだ。

「……。そうならないように気をつけるよ」

 そして――ターゲットが現れた。

「彼です」

 事務的に淡々と言った。

「アイツ!!」

 わたしは感情を沸騰させながら言った。

 そう、ターゲットは――わたしの夫、昇だった。

「昇……チクショウ!!」

 テーブルを思いっきり叩いて、立ち上がる。椅子が後ろに倒れた。カフェの客からの視線を自身に集めてしまったが、気にしていられない。

「まず、落ち着いてください」

「これが落ち着いていられるか!!わたしの旦那が、誰かをホテルで待ち合わせしてるんだぞ!!」

 間違いなく――不倫する気だ。いや、もうしていたのかもしれない。

 あぁ、そうか、わたしが知らなきゃいけないことってこれか。頭の中は冷静で自分でも意外だった。

「2度目ですが、落ち着いて。貴女がここでなにか行動をすると――これまでの努力が水の泡です」

「……。分かったよ……」

 わたしは椅子を立てて、座りなおす。一旦は落ち着いた。

「で、どうすればいいの?」

「相手を待ちましょう」

 心臓がバクバクしているし、感情はぐちゃぐちゃにされて、泣いているのか、怒っているのか自分でもわからない。

 脳が破壊され続けながら、相手を待った。

「来ました」

「……理々海」

 そこにいたのは、高校時代の親友、斉藤理々海だった。

「……。アイツら!!」

 わたしの知らない間に、旦那と親友が不倫関係だった。これにはもう、怒りの感情が際限なく湧き上がってくる。

「落ち着いてください。3回目ですよ」

「落ち着いていられるか!!」

 2回目の視線が飛んでくる。

「ここで変数を大きくすると、未来が変わり過ぎてしまいます」

「知るか!!そんなもん!!」

 冷静さを極めて、冷酷な声で彼は言う。

「それを、トラックに轢かれるはずだった子供にも言えますか?」

 はっと、息を呑んだ。

 そう。ここで出て行くだけで、失われる命があるのだ。それは、おそらく彼の父親なのだろう。

「……」

「ようやく落ち着きましたね」

「うん。……やめとく」

 なんだか、すっかりやる気がなくなってしまった。なんだか、感情が遠のいていく。

「これで一応、ミッションはクリアです。おめでとうございます」

「うん……」

「この後、離婚するもしないも貴女の自由です」

 ショウリはだんだんと透明に近づいていって、まるで空中に溶けていくみたいだった。

 ……。




 けれど、わたしの怒りは収まらない。

 理々海は絶対に許さない――と。

 そのために、どんな手でも使う。







 そういえば、彼はヘッドマウントディスプレイで過去に戻ったと言ってたな……。


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