第2話

 空中を泳ぐ、ナビゲーターを名乗る少年、ショウリについて行く。たどり着いた場所は、わたしのマンションから徒歩5分ほどの場所にある公園だった。遊具が充実していて、滑り台、ブランコ、砂場、ジャングルジムがある。今は平日の午後なので、公園にいるのはわたし達と3歳ぐらいの男の子と、その母親くらい。

「ここで、なにか起こるの?」

「えぇ。でも、その前に説明しないといけないことがいくつか」

「大丈夫、ついていけてないから」

 正直、彼の言うことにはついていけていない。けれど、彼のお父さんが亡くなったことだけはどうにかしてあげたいと思った。

「正直、細かいことはどうでもいいけど、アンタの父親が死んじゃうのは……ね」

 ひとり親なのは……いろいろ大変だろう。同情した。けれど、それが気に食わないらしい。彼はわたしを睨んでくる。

「協力はしてくれるのですね?」

「……。できる範囲なら」

「……。では、説明をさせて頂きます。未来を変えるために過去を変えると言いました」

「うん。言ってたね」

「そこで、風が吹けば桶屋が儲かるに近いことをしてもらいます。今後は桶屋理論と言いましょう」

 SFの知識を引きずり出す。

「……それはバタフライエフェクトとなにか違うの?」

「バタフライエフェクトは、蝶が空気を動かしたから、ハリケーンが起こる。つまり、空気の変化で、気流が変化する。つまり、同じ単位なのが、バタフライエフェクト」

「……う、うん」

「一方、風が吹けば桶屋が儲かるは、全くの別のもの同士の掛け合わせで変化が生じること。ことわざを例えに使うと、風が吹いた結果、桶が売れて、桶屋に経済的な影響を与えることになったわけです。つまり、変化するモノが別なんです」

「モノが別?」

 文系のわたしはついていけていない。

「前者なら、速度。速度が変化した結果、別の場所の速度が変わるんです。この場合は、両者ともに単位が同じです。これがバタフライエフェクト。

後者は、複雑に事象が絡み合い、本来関係ないもの同士が影響しあうことになります。この場合、単位が同じとは限りません。速度が変化した結果、桶の個数に変化が生じるんです」

 同じものの影響――バタフライエフェクト。本来関係ないもの同士が影響を与え合うようにする――それが桶屋理論。

「かいつまんで言ってしまえば、ニイコには、風の役割をしてもらいたい」

「……具体的には、どんなことすんの?」

「ちょっと、歩くのを速くする。遅くする。ものの位置をずらす程度のことです。ほんの少し、いつもと違うことをする。それだけです」

 少し、ほっとする。

「未来を変えろって言ってたから、もっと大変のことをするものだと……」

 誰々を守れ、とか、何々を盗んでこい、アレを手に入れろ。そんな無理難題だったとしたら、わたしは彼のことを無視しただろう。

「人にはできることと、できないことがありますから」

「で、わたしになにをしろって?」

「まず、スマートフォンを出して貰えますか?」

 わたしはスマホをポケットから取り出した。

「僕の手にくっつけて貰えますか?僕が現実に干渉しようとすると、僕自身がデジタルデバイスに触れて、情報を送る程度のことしかできないので」

 彼がわたしのスマホに触れると、勝手にロック画面が解除された。

「うわぁ~」

 少し引いた。

「今、スマートフォンに動画を送りました」

 その動画を再生させた。

 動画はトラックのドライブレコーダーの映像だった。

「これって、マンションと公園の間の道?」

「はい、この近くです」

 そして、動画の中で小さい子が飛び出してきた。トラックはスピードこそ出していないが、とっさの出来事で、完全に対応に遅れていた。

 その子が、トラックに引かれて、赤い血をまき散らしながら、吹っ飛ばされた。

「……」

「それが、今から1分後の動画です」

「は?」

 なんて動画を見せてくれてんだ。映画なんかとは違い、本物の映像に胸がきりきりと痛くなった。トラウマものだ。

 ストレスで脳が焼き切れそうになった。しかし、次の瞬間、なにか引っかかった。

「……ちょっと待って」

 動画を見直した。飛び出している子供を確認する。

「この服……」

 言葉がつい漏れてしまう。寸分違わず、同じ服装じゃないか……。つまり、この子はわたしの目の前にいる――3歳の子供だ。

 ショウリは察したように、指を指しながら言った。

「えぇ。今から1分後、あの子供が交通事故で死にます」

「は!?」

 それはどやって助ければいい?そもそも、わたしに止められるの?

 様々な疑問が、頭の中に巡る。

「えっ……。早く助けないと……」

 苦肉の策で、

「こらぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 静かな住宅街に、わたしの叫び声がこだました。

 子供はわたしの方を見て、怖がっているし、母親もわたしに不審者に送るのと同じ視線を向ける。いたたまれない。

 わたしは両手で顔を覆った。

「そのくらいの変数なら、まぁ、影響はないのでいいか……。落ち着いてください。さっき説明したじゃないですか」

 子供はわたし達のことなどすっかり忘れて、砂場の周りをうろちょろしている。後1分、もしかしたら、もっと早くに死ぬことなんて、全く想像できない。

「妙なことをすると変数がおかしくなって、望みの未来が手に入らないのですが……。どうにか許容範囲内にすみましたね」

 頭が疑問と焦りでいっぱいいっぱいになっているわたしと違って、ショウリはあくまで冷静だった。

 砂場に飽きたのか、子供は目的もなく歩いたり、走り回ったり、手を叩いたりしている。母親はスマートフォンをいじっていて子供のことなど見ていない。

「新聞や、ニュースの記録では、少年はトラックに轢かれて、全身バラバラになって――死にます。即死です。ついでに、残り30秒です」

「悪趣味なカウントダウンをやめろ」

 わたしはどうすればいい。

 わたしはどうすればいい。

 さすがに目の前で子供が轢かれるのは、胸くそ悪い。そんなものを見たら、この後、普通に生活できない。

「慌てないでください。慌てても、後20秒なのは変わりませんから」

「だったら、どうすればいいのさ」

 子供は公園の入り口の方向に向かって歩いて行く。あと2メートルほど進んでしまうと、見通しの悪い、交通量の多い道路に出てしまう。

 ショウリは地面に指を指した。

「そこに落ちているペットボトルの蓋を、公園の入り口に向かって投げてください。なるべく遠くに」

 淡々と、あくまで事務的に感情を込めずに言った。あくまで冷静に対処するらしい。

 わたしは彼の指差すそれを手に取って、聞いた。

「これを!?」

「はい」

「投げるの!?」

「そう言ってるじゃないですか。とっとと投げてください。後、10秒ですよ」

 わたしは野球の外野手がキャッチャーに送球するように、それを遠くに飛ばした。

 9秒前。

 風に煽られながら、ゆらゆらしながら、ペットボトルの蓋が宙を舞う。そして、公園の入り口の少し手前で落下して、わずかな傾斜にそって転がっていく。

 8秒前。

 入り口に立っているポールにコンと当たって止まった。

 7秒前。

「計画通りですね」

 成功を確信したように、ショウリは言った。

 6秒前。

普通の乗用車とは違う、エンジン音が聞こえてきた。

 5秒前

 そして、さっきのドライブレコーダーの主であろうトラックがわたしの視界に入る。

 4秒前。

 わたしはどぎまぎしながら、子供の様子をジッと見る。目をそらしたい気持ちもあったけれど、それを抑えた。

 3秒前。

 子供は道路直前、後ろを振り返る。すんでのところで戻ってきた。

 2秒前。

 そして――さっきわたしが投げたペットボトルの蓋に興味を示して、それを拾った。

 1秒前。

両手でぶんぶん振り回して、公園の砂場の方に投げて遊んでいた。

 0。

 視線を道路に向けると、トラックが、公園の入り口の前を横切っていった。

 ほっと胸をなで下ろす。

「初のミッション成功、おめでとうございます」

 彼はあくまで淡々と言った。

「ありがとう……」

「ニイコ、さっきの動画を見てみてください」

 わたしはスマートフォンを手に取って、動画を再生しようとした。しかし、

「あれ……?」

 再生できない。というか、その動画が削除されていますと言う表示が出てくる。

「過去が変わったので、動画はなくなりました。写真なんかだと、映っている人物が変わったりしますよ」

 なるほど。昔見た、古い映画みたいだ。

「では、僕はこれで……。ひとつのミッションが終わったら、ヘッドマウントディスプレイのエネルギーを浪費しないようにするため、一旦姿を消します」

 半透明だった彼が、さらにその存在感をなくしていく。

「待って……」

「次のミッションが決まり次第、ニイコの前に現れるので、ご心配なく」

 そう言って、彼は完全に姿を消してしまった。

 わたしには妙な達成感があった。今まで人命救助なんてしたことがなかったので、こんな気分ははじめてだ。

未来を変えるっていいのも、そんなに悪くないのかも。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る