さしも知らじな燃ゆる思ひを
はるはる
さしも知らじな燃ゆる思ひを
スマートフォンの画面を見つめる私の心は気が気ではなかった。
寝不足やら高揚やら不安やらでぐちゃぐちゃだった。彼女から送られた最新のメッセージの『もうすぐ着きます』から目を離せない。
今日、日曜日は部活の後輩と私の家で映画を見る約束をしていた。ただそれだけ。ほかの人からすれば、それだけなのだが私にとっては違う。
少しでも落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。何度目かの吸いの動作のとき、インターフォンが鳴って私は大慌てでリビングを飛び出した。
「は、はーい!」
玄関を開けると約束の相手である
「こんにちは、先輩」
白色のカットソーにデニムパンツ、青色のカーディガンにトートバッグ。口元にはマスクをしているのだが、目元だけでも人好きのする柔らかな笑みが見て取れる。
初めて見た私服姿だけど少し意外だった。普段の由良ちゃんのイメージからするともっとガーリー系の可愛らしいものを選びそうである。
とはいえ、ばっちり似合っている。いつもよりも大人っぽく感じられる彼女にドキッとした。
「先輩?」
「あ、ごめんごめん」
何でもないよ、と誤魔化して家の中に招く。
「お邪魔します」
玄関に入りブーツを脱ぎ、由良ちゃんはマスクも外す。この時期は花粉症対策でいつもマスクをしているらしい。
と、由良ちゃんが廊下の先を見て小首をかしげた。
「あれ? もしかして先輩だけです?」
「うん、なんかみんな用事があるみたいで」
「そうですか」
由良ちゃんの質問に私の心臓は飛び跳ねそうだったのだが、当の本人はただの確認だったらしい。特に気に留める様子もない。
「あの、先輩」
どぎまぎしている私をよそに、由良ちゃんはトートバッグから、かわいらしい薄い桃色の包装紙の箱を取り出した。お菓子だろうか。私に差し出す。
「これお口に合うかわからないですけど」
「え、わざわざいいのに」
「先輩の家に行くって言ったら、お世話になってるんだから持っていきなさいってママが」
「そんなに気を遣ってもらわなくてもいいのに。お母さんにお礼を言っておいて?」
「わかりました」
「それじゃ、さっそく見る?」
「ですね」
今日の目的である映画を見るため、廊下を真っすぐに進んだリビングへ案内すると、由良ちゃんが首をかしげる。
「先輩のお部屋じゃないんですか?」
「こっちのほうがテレビが大きいし」
映画を見るのはやっぱり大きな画面に限る。もちろん、家族がテレビを見ているときは自分の部屋でパソコンを使って見ることもあるけど、できるのならリビングにある我が家で一番大きな画面で見たかった。
「そうですか」
「う、うん」
もしかして、私の部屋で見ると思っていたのだろうか。でも、少なくとも映画が終わるまでは家族の誰も帰ってこないので、リビングで見たほうが絶対にいい。
……一応、部屋の掃除はしたけれど。
テレビ正面のソファに案内して、その間にお茶を用意する。
「由良ちゃんも映画ってけっこう見るの?」
「たまにぐらいですけど。これは気になってて」
「あー、話題になってたもんね」
「そうなんですよ。映画館に行こう行こうと思ってたんですけど、いつの間にか公開が終わってて……だから先輩、ありがとうございます」
会話をしながら映画の準備を進めていく。
目が悪くなるので電気は消さず、代わりに日光を遮るためにカーテンを閉める。私の部屋から持ってきていたディスクをセットして再生するとすぐに映画が始まった。
今日、由良ちゃんと見る映画はジャンルでいうと青春ものだ。ただ、すごく緻密な構成と繊細な音楽、間の使い方や心理描写が美しく、感動すると当時話題になっていた作品である。
もちろん、私は映画館でも数回観たのだが、何度も見たかったし、オーディオコメンタリーも気になったので購入したのだ。
最近公開された映画のなかでのお気に入りの一つだった。
画面では主人公とヒロインが出会うシーンが描かれている。だが、集中できない。理由は簡単、隣に由良ちゃんがいるから。
彼女は集中して、私のことなど気にせずにじっと画面を見つめている。
しかし、彼女が隣にいる事実と、普段感じることのない甘い彼女の匂いがわずかに届くだけで私の心は惑わされるのだった。
……先に何度も見ていてよかった。
これが初見の映画だったら、見終わった後に感想を言い合える気がしない。
意識するな、意識するな、と画面に集中しようとするのだが、彼女が少し体勢を変えようと動いたり、息遣いが聞こえたりするだけで思わずちらと横目で姿を見てしまう。
そして迎えたラストシーン。キスシーン。
いつもなら、なんてことなく見れるのにまずい。今日は由良ちゃんがいる。ダメだとわかっているのに、平静を保たなければならないのに自然と引き寄せられるように彼女へ――彼女の口元へと視線が向かう。
これじゃ、変態だ……。後輩の、それも女の子を相手に、こんな……。
自分自身に愕然とする。ただ一つ、救いなのは由良ちゃんがこのシーンでも画面に集中していることだ。これで目が合ってしまったら、悲惨なんてものではない。もしかすると二度と私には話しかけてくれなくなるかもしれない。
そして映画はハッピーエンドとなり、エンドロールが流れ始めた。
「んんっ」
と隣で由良ちゃんが伸びをする。
「よかったです、すごく」
「ほ、ほんと?」
「はい。先輩、ありがとうございます」
由良ちゃんの目元にはうっすらと涙が滲んでいるようにも見える。感動してくれたらしい。よかったと思う反面、そんな感動した人の隣で私は一人で何をしているんだと再び自分を責める。
エンドロールが終わり、映画はタイトル画面に戻った。カーテンを開けるため立ち上がろうとした瞬間。
「――あッ」
隣にいた由良ちゃんに押し倒された。突然だったことと、中途半端な体勢だったせいもあり、そのままソファに寝転がる。
「な、なに?」
「何って今更」
由良ちゃんの顔が近づいてくる。由良ちゃんの匂いがする。脳が痺れそうになりながら、抵抗した。
「だ、ダメだって」
「どうしてですか?」
「だ、だって」
目を反らして弱弱しい声だと自覚しつつも説得する。どうして由良ちゃんは愉しそうなのか。
「だって由良ちゃん、彼氏いるでしょ。こんなこと」
「先輩がかわいすぎるのがいけないんです」
「か、かわいい……?」
今までに言われたことのない言葉に困惑する。
「先輩、さっきめちゃくちゃ私のこと見てたじゃないですか」
「う」
バレていたらしい。
一気に頬が熱を帯びたのがわかった。
朱に染まったであろう私を見て、由良ちゃんがにやりと笑む。
「期待、してたんじゃないですか?」
「そんなこと……」
「したいんじゃないんですか?」
否定したいのにできない。どうして?
言葉を返せない私をどう思ったのか。由良ちゃんは私の耳元に顔を近づけると、囁くように告げる。
「はっきり否定しないなんて、えっちな先輩」
「そ、そんなんじゃ……」
「もう、仕方ないなぁ」
どっちつかずの返事と態度の私に痺れを切らしたのか、由良ちゃんの身体が離れる。
彼女はカバンからマスクを取り出すと耳にひもをかけて口元につけた。帰るのだろうか。いや、違う。
再び私の元へと戻ってきた由良ちゃんはいたずらっぽく微笑むと、
「これなら、ね?」
「…………」
想いが巡り、巡り、燃え上がり、目を閉じた。
そっと、マスク越しの彼女の唇が私の唇と重なった。
「映画、本当に面白かったです。ちょっと泣いちゃいました」
由良ちゃんは知らなかったはずの私の想い。ただ私の裡で燃えるだけだったこの想い。知られたのに、いや、知られたからこそ、より強く、より熱くなる。
私のこの恋はどこへ行くのだろう。
さしも知らじな燃ゆる思ひを はるはる @haru-haru77
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