3.マダムとの日々

 

 ――邸宅ではなかったが、私はこのホームステイが良かったと思っている。人によれば仏人じゃない家にステイして、暖房や食事をケチられた、と言う話もきく。


 私は、マダムから朝食は台所にある好きなものを食べていい、と言われていた。


 起きて行けば大抵は誰もいない。ただし、こちらは立派な朝食は食べない。クラッカー、または乾いたバゲッド。出来立てのバゲッドを朝食用に買いに行く、それは稀。買うのは古いバゲッドが無くなってからだ。


 しかも、色々なデニッシュを買うような贅沢は少なくともマダムの家ではしなかった。私は夕方にマダムがバゲッド一本しか買わないのを恨めしく思っていた。(自分用におやつとして買っても、彼らは常に理由を詳しく求めるため、仏語ができない私には面倒だ)


 ただし、日曜の朝はムシュウがクロワッサンを買ってくるので、それを食べることができた。


 平日の朝、一度誰もいなかったから、そぅとオレンジを絞ってオレンジジュースを作ろうとしたことがある。

 けれど絞り機はオレンジのカスでガビガビだった。


 不思議なことに、この家では食器はすぐ洗わない。夕食後、放置。鍋にも皿にも食べ残しがこびりついているのを、ムシュウが次の日、一生懸命洗うのだ。または、息子が食洗器に入れる。せめて水につけとけばいいのに……。


 私はオレンジジュースが飲みたくて一生懸命絞り機を洗った、飲んでいいのかわからなかったけど。

 背徳感に包まれながら飲んだ、美味しかったけど、洗うのが大変でもう二度とやらない。

 

 マダムとお菓子も作った。さぞかし本場のを作れると思っていたら!! マダムは小麦粉の箱を見ながら目分量で粉をいれる。え? 凄く適当。粉をふるいにもかけない。


 タルトポムを作った。こちらでは、まな板を使わない。円状のリンゴをナイフでくるくる皮をむく。私は日本式にカッティングボードを借りて六等分にして皮を剥いていたら「ノン!」マダムに注意をされたが、切り分けた後、皮を剥くと理解された後は、何も言われなかった。


 私の方が切るのは早かった。こっちが便利だよ、と見せたが、自分達の方法を彼らは通す。それが外国人だ。異世界人が主人公に感心してくれることはないのですよ。


 ちなみに、ナイフの刃はボロボロで切れない。前にヨルダン人の家庭で料理をしたことがある。それもナイフがボロボロだった。


 彼らは刃がボロボロでも気にしないのか? 切れなくて時間が倍かかるのでストレス……。


 目分量で作ったタルト生地を伸ばすのは、空になったワインボトルだった。麺棒じゃないからうまく伸ばせない! 

 生地を敷いて林檎を並べ、砂糖と卵とミルクとバニラを混ぜたクリーム生地をかけて焼いたタルトポムは香りがよく美味しかった。


 ちなみに、その余ったタルト生地は丸めて皿にのせて冷蔵庫へ。ラップかけようよ、と思ったけれど、なぜかそのまま。そもそもこの家でラップを見たことがない。


 三日後、またタルトを作ることになったが乾燥した生地はガビガビだった。当たり前だ。マダムは粉が足りないからよ、とばさばさ小麦粉を足す。


 なぜかタルト生地はまとまり、伸ばすことができた。今度は市販のココアタルトの素を使い、チョコレートタルトができた。生地を冷ますのは、草ぼうぼうの庭だった。


 これもココアの風味がよく美味しかった。なぜ?


 この国のお菓子が美味しいのは、バターなのか、小麦粉なのか。お菓子は目分量では失敗するはず、美味しくなったのは解せぬ。


 この国の息子は母親が好きだ。菓子作りが終わるとマダムは二階にいる大学生の息子を呼んだ。「ボールを舐めにきなさい!」息子は降りてきて、ボールについたチョコレートソースを指ですくい舐めながらマダムに、今日あったことを楽し気に話していた(彼女あり)。


 ちなみに彼はマダムから「さくらにお菓子を作ってあげなさい」と言われ、クレープを作ってくれたことがある。日中に高校生の弟に生地の作り方を教えながら「このまま生地を寝かせるんだ」と。


 夕食後の夜九時、ホットプレートでクレープ大会をした。ただジャムとバターを塗るだけのクレープだったが美味しく楽しかった。


 フランスでは、マダムと何回かランチもした。この国ではムニュという十五ユーロ程度の前菜、メイン、デザートのランチセットがある。 

 私も一人旅の時は夕方五時くらいまでやっているし、ディナーはお高く夜九時から始まりなので、それで済ませていた。


 日本と違うのは、店員が「美味しいか?」と必ず聞いてくること。そして残すと必ず理由を聞く。量が多いので私はいつも「お腹いっぱい」と答える。


 ある時、刻んだタラのサラダの前菜を残していたらマダムが理由を聞いてきたので私は「しょっぱいサレ」と答えた。仏語では塩はサル。形容詞でサレだ。


 皿を下げて理由を聞く店員に、マダムは「サレだって」と答えた。私は慌てた「日本では、理由を言わない!」その話は、家庭でも大笑いされた。


 マダムとはロートレックの生まれ故郷アルビも行った。小さな可愛い街で、カフェでお茶をした。黄色いバルーンが飾られた電球、紙ナプキンは赤、紫の敷布のテーブル。

 この国の色彩感覚は日本人にはないお洒落なセンス。私は、アップルクランブルを頼んだ。クランルブルはゴロゴロのクッキー生地のこと。林檎のタルトケーキの上にそれがのり、大量の生クリームも添えられていた。甘くて無理、という印象とは違いクリームが美味しくぺろりと食べてしまった。どうしてこの国は、美味しいのだろう。


 一人旅の時、エッフェル塔の近くのミニホテルに泊まった。その足元の小さなレストランに夜九時に入った、小太りのマダムが一人でやっていた。

 強面で愛想のないマダムは私に小さな席を顎で示し、仏語がわかるかと聞いた。当時まだ英語しかわからない私が首を振ると、隣のアメリカ人カップルにメニュウを教えてもらえと言った。


 彼らとやり取りをしながら注文したが、料理は焦げていてお世辞にも美味しいとは言えなかった。

 マダムは何回も美味しいか聞いてくる。そのたびに私は「おいしいセボン」と答える。マダムはそのうち上機嫌になり、鼻歌を歌い出した。


 小さな子を二人連れた女性が入ってきた。席について注文してしばらくするとマダムが怒り出した。どうやら女性は夜が更けて太りたくないから注文を控えたらしい。「サラダだけとか、デザートだけとか。それなら他に行ってくれ!」追い出した……。


 私は必死で食べた。最後にマダムはお釣りと共にガムも添えてくれた。ご機嫌だった。


 今回のマダムに教わった料理で一番おいしかったのは、パンコントマテだ。日本ではバゲットを輪切りにするが、あちらでは上下にナイフをいれる。だいたい十センチぐらいに切ったパンの半面にガーリックを擦り込んだものを、トーストする。


 焼いたら輪切りにしたトマトをのせ、生ハムを載せ、オリーブオイルと塩コショウ。それにかぶりつく。美味しい!


 マダムに教わった料理では、ソラマメのサラダもある。生のソラマメの皮を剥き、刻んだドライトマト、刻んだ大量の生パセリ、オリーブオイル、塩コショウであえる。

 ドライトマトの塩味が丁度いい。もりもり食べた。


 ところが、日本では生ソラマメはえぐく茹でないと無理だった。


 マダムの家では毎晩食事のたびにワインを飲む。子どもは水を飲む。

 私は白が好きだが、ある時ムシュウが私のグラスに赤を注ごうとした。マダムは「ノン! さくらは白よ」

 大丈夫です、マダム。……私、赤もいけます。

 

 ワインを食事と共に毎晩飲む人達、なんて素敵。

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