第10話 共犯者
「くそっ、最悪だ。」
湖の底から隠し通路を抜けて、陸へと上がる。
そこは、うろのような空間だった。
青色に光り輝く水晶に囲まれた天井、四方は冷たく湿った岩盤が広がり、清廉とした空気は驚く程、澄んでいる。
濡れ鼠になっていなかったら、もっと気分が良かったに違いない。
「着替えを持って来た方が良かったかもしれませんね。」
億劫そうな声が空洞に響く。
俺は気安くセレスの方を一瞥し、その判断を後悔した。
案の定、セレスはびしょ濡れだった。
だが、俺がみすぼらしいだけなのに対して、彼女は奇妙なほどに艶かしかった。
しっとりと白皙の肌に張り付く白い服、しなやかな曲線に沿って、水滴が滴り落ち、小さな手が水を含んだ黄金色の髪を軽く絞る。
ただ髪を絞ってるだけなのに、偉大な芸術作品のように神聖で、犯しがたい。
反面、何処か淫靡で、決して触れてはならないものを汚してしまったような背徳感が、胸を落ち着かせなくする。
(気が緩んでるな。)
目を背け、大きく吐息を吐き出して、気持ちを切り替える。
途端に平坦になる感情。
我ながら末恐ろしいほどに感情の処理に長けている。
「それであれをどうするつもりなんだ?」
すっと見据える先に有る『迷宮』のコアを指して、疑問を投げ掛ける。
コアは、捻り曲がった面を繋ぎ合わせたような奇天烈な形をしていて、空間を波のように揺らめかせる謎の力場を発している。
「・・・・・回収する、という言葉をお聞きにしている訳では有りませんよね。」
「当たり前だ。」
問うているのは、コアの使用用途だ。
この『迷宮』が定着してしまっている以上、コアを破壊する、しないは個人の自由にすれば良い。
しかし、コアを使って、何か行うとなれば、話は違う。
場合によっては、玉砕覚悟でセレスを仕留める必要性すら出てくる。
尤も、生殺与奪の権限を完全に掌握されているので、何も出来ずに殺される可能性の方が高いが。
「安心なさってください。危険な事に使うつもりはありません。」
逆立つような警戒心を柔らかな声音が宥めすかす。
彼女は慈悲に満ちた横顔で、滔々と言葉を紡ぐ。
「コアを回収するのは、向こう側と連絡を取る為です。本来、連絡手段として使用する魔法が、こちらの世界の
コア、第五元素循環装置。
その正式名称が真実だとするのなら、エーテルの濃淡を調整することは可能だろう。
こっちで言う所のエアコンで温度調節を行うみたいなものだと推測出来る。
とはいえ、気にならない点がないとは言いきれない。
「エーテルが薄過ぎるっていうのはどういう事だ?」
「あちらの魔法は、周囲のエーテルを使用することで発動する仕組みになっているんです。その方が個人の資質に影響されませんから。」
「それならさっき使ってた魔法はなんだ?」
「私のエーテルを消費して発動するように調節した魔法です。」
「なんで同じ事ができない?」
「単純に消費するエーテル量を私一人では賄いきれません。」
矢継ぎ早の質問に対しても、淀みなく答えていくセレス。
その答案の一つ一つを深く吟味し、疑り深く精査する。こちらとは違う異世界の実態を知らない俺に出来るのは、その程度の事だけだ。
現状、否定すべき事は何も無いように思える。
僅かな沈黙の後に、小さく息を吐き出し、肩を落ち着かせる。
「分かった。取り敢えず、それを信じてみよう。」
「ありがとうございます。」
腰を90度に曲げて、深々と感謝する。
そのあざとさに俺は何も言えなくなり、むず痒そうに
頭を上げたセレスとアイコンタクトを取り、頷き合うと、コアの付近へと歩を進める。
彼女が手を伸ばし、細長い指先がコアの表面に触れる。
すると、キィィンと甲高い音が鳴り出した。
コアを何度も目の当たりにした俺でさえ目にした事の無い反応。
俺を剣呑に目を細めたものの、手を出すことはなく、固唾を飲んで見守る。
「───」
なんと唱えたのかは分からないが、小さな唇が呪文のようなものを口ずさむと、コアは忽然と姿を消した。
「・・・・・戻りましょうか。」
暫くの静謐の後に、彼女は振り返る。
弧を描いて、こちらを捉える
ぞくりと背筋に戦慄が走った。
人間離れした美しさ、されど見蕩れる事は無い。
彼女を形成した愛嬌のようなものが消え失せた美貌は、さながら感情を持たない天使のようであり、こちらを覗き込む深淵のように、ただただ俺を畏怖させた。
そして、俺は理解する。
(これで俺も立派な共犯者か。)
自分が異邦人に手を貸し、もう後戻り出来ない場所まで辿り着いてしまったことを。
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