第6話 幼馴染





「浮かない顔ね。」


 休み時間、億劫そうに頬杖をついている俺の顔を覗き込みながら、如月きさらぎ結衣ゆいは言った。

 俺は首の方向だけを変えて、彼女の方を見る。


 重力に引き寄せられて斜めに垂れる長い黒髪、中腰で近付けられた端麗な容貌には憂いの感情が滲んでいて、真紅の双眸は一心に俺へと向けられている。


「そうか?何時もの事だろ。」

「いいえ、いつもより心ここに非ずって感じだわ。」


 結衣は、触診でもするかのように人差し指で俺の頬をつつく。


「やめろ。」


 好き勝手に頬をつついてくる指を、鬱陶しそうに払い退けながら、内心、幼馴染の観察眼に感嘆する。


 こいつ鋭いな。


 普段から俺と顔を合わせることが多いとはいえ、ここまで詳細に当ててくるのは、流石の一言だった。


「ふふっ、思ったより元気そうね。」


 結衣は嫌がる俺を見て、大丈夫と安心したのか、クスリと笑って、肩から力を抜く。


「それで何で悩んでたの?バイト先の事?」

「いや、それは問題無い。紹介して貰った事も感謝してる。」


 古谷さんのバイトは結衣に紹介して貰ったものだ。

 結衣の父親が、日本でも有数の魔導技術会社を経営していて、その縁で結衣も探索者界隈には顔が利く。

 尤も結衣自身は、会社経営に関わるつもりは無いようだが。


「なら、何かしら?」

「恋煩いだ。」

「へっ!?」


 俺が冗談混じりに言うと、結衣はらしくもない素っ頓狂な声を上げる。

 俺だけでなく、周囲の生徒も驚いたように視線を彼女に注ぐ。


「も、もう。悠希が変な事言うから、変な声出ちゃったじゃない。」


 黒髪から覗く白皙の耳朶を紅く染め、小声で抗議する結衣。

 恥ずかしそうに萎縮している姿は、愛嬌が有り、心做こころなしか周囲の視線も和らいでいる。


「俺のせいかよ。」


 苦笑しつつ、俺は肩をすくめる。

 何処からどう見ても八つ当たりなのだが、それが結衣なりの甘えであることを俺は知っていた。


 文武両道、容姿端麗、品行方正、スタイル抜群、家も裕福、探索者としても才気煥発さいきかんぱつ

 誰から見ても完璧な肩書きを持つからこそ、周囲から相応の期待を寄せられる。


 だからこそ、その期待にそむく自分を受け入れられるかどうかで、相手との信頼性を測っているのだ。

 しっかりとしてそうな外見とは裏腹に、中身は甘えたがり屋なんだろう。


「まぁ、お前に心配されるようなことじゃない。」


 俺は慣れたように言った。

 平時と変わらぬ声音のつもりだったが、結衣は切なげに目を細める。


「貴方のその言葉はちっとも信用出来ないわ。」


 拗ねるようにも、責めるようにも聞こえる寂しげな言葉が胸に突き刺さり、身体の奥の方へと沈んで行った。


 あぁ、俺もそう思う。







 ようやく終わったか。

 全ての授業を終えた俺は早々に教室を後にする。


 放課後の廊下は、雑多とした活気に満ちていて、ここも学校なのだと再認識させてくれる。


 別に不思議な事じゃない。

 この学校に来るまでは、多くの生徒が魔法の適性があるだけの一般人だったのだ。

 進学したからといって、常在戦場のように張り詰めて生活しているわけでも無ければ、露骨な階級意識に耽溺している訳でもない。


 多くの生徒は、部活動に励み、恋人との放課後デートをしたり、趣味に没頭したりと普通の高校生と変わらない青春を過ごしている。


 ただ、その日常の中に、ひっそりと『戦い』という異なる日常を忍ばせているだけだ。


 その象徴とでも言うべき存在が、校舎に隣接する『迷宮』──通称『ファーム』だ。


 巨大な校舎を出ると、その姿を容易に目撃することが出来る。


 空間を縁取ったように、半透明な膜が縦長のドーム状に輪郭を描き、巨大な鳥籠のようにそびえている。

 半透明な膜の向こう側には、呑み込まれた当時の風景を薄らと映していて、奇形な額縁に飾られた風景画のようだ。


 無論、内部に当時の風景は残っていない。

 外部から見た『迷宮』は、かつての風景をそのままに残しているというだけだ。


 その理由は未だ不明だが、あの半透明な膜が原因であるという見方が大きい。

 あの膜は、外部からの攻撃を遮断する働きを有していて、『迷宮』が外部から破壊出来ない原因となっている。

 そういった理由もあって、何らかの干渉をしている説が濃厚視されている。


 話を戻すと、『ファーム』は桜花学園が主に実戦や研究のために使用する迷宮だ。

 迷宮の難度が極めて低く、地形は緩やかな丘陵地帯、天候も穏やかであり、棲息する魔物も臆病で、脆弱なものが多い。


 その為、初心者向けで、学生が探索しやすい迷宮となっている。


 授業でも使用されていて、現在も放課後活動としてファームへと向かう生徒が、ちらほらと散見出来る。

 そういった事情を揶揄やゆして、経験値稼ぎのゲームスラングであるfarmファー厶が、俗称として広がっている。


 俺はファームから視線を外し、反対方向にある駐車場へと向かう。

 黒のSUVに乗ると、車に搭載とうさいされたAIに指示を出す。


「自宅に頼む。」

『了解致しました。』


 車両は一人でに動き出し、よどみのない運転で発車する。

 科学技術の進歩によって、完全な自動運転が可能となり、現代では公道を走ることも認められている。

 寧ろ、人が運転するよりも遥かに安全なので、自動運転が推奨されているくらいである。


 今日はここからが本番だな。


 ゆっくりと離れていくファームを再び、一瞥し、憂うように息を吐いた。

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