第3話 少女との邂逅





 迷宮を出ると、俺は古谷さんと別れ、家路に就く。

 空はすっかり茜色に染まり、夜の到来を感じさせる。


「ただいま。」


 玄関の灯りを点けながら惰性の挨拶を行う。

 返答は無い。

 一人で住むには広過ぎる一軒家を包み込む静寂が大袈裟に俺の声を反響させただけだった。

 俺はその事を気にも留めず、家の中へと。

 昔は気にしていた時期もあったが、すっかり慣れてしまった。


 リビングに行くと、この世にたった一枚しか残ってない家族写真に軽く会釈えしゃくする。

 家族は既にいない。

 俺が7歳の頃に迷宮災害で命を落とした。

 義父と共に生活していた時期もあったが、今はこの家に一人で住んでいる。


 屋内用AR機器を作動させ、無味乾燥な部屋を瀟洒しょうしゃに彩る。

 VR・AR技術は2024年から遥かに向上し、かつてのスマートフォンのように普及している。

 小型化も進んでいて、眼鏡型からコンタクト型まで存在する。

 『迷宮』に入ると、誤作動を引き起こすので、俺は付けないが。


 ワイヤレスイヤホンを装着し、指を中空に滑らせて、操作パネルを出す。

 異世界転生ものの漫画なら『ステータス』と呼ばれるだろう半透明なホログラムを軽快に操り、音楽を垂れ流しにする。

 それから魔導武装の整備を行い、それを終えると勉強したり、ネットサーフィンをしながら暇な時間を潰す。


『迷宮災害特集。現在20歳、迷宮庁特殊攻略部隊所属の地山晴彦隊員に迷宮災害とその対策について、お聞きしました!』


 ふとそんなインタビュー記事が視野に入る。

 俺は露骨に眉を顰め、ブラウザを閉じる。

 はぁ、嫌なものを見た。

 胸を刺すような疼痛とうつうから目を逸らし、ソファーにだらりと横になる。


 遊ぶ気力すらすっかり萎えてしまった。

 このまま寝るか、と一考していると、インターホンが甲高い音で鳴く。

 誰か来客が来たようだ。

 「誰だろう?」と訝しみながら、俺はモニターを確認する。

 そして、愕然とした。


 モニターに映っていた人物は、今日迷宮で目撃した金髪の少女だったからだ。

 驚愕する俺を他所に、彼女は細い手をドアノブへと掛ける。

 ガチャリと何かが動く音がした。


「はぁ!?」


 鍵が解錠されたのだと悟った俺は声を荒らげる。

 余りにも不可解な現状に対する抗議の叫びであった。

 すぐさまリビングを飛び出して、玄関ホールに向かう。

 兵法において、川越えの敵を迎え撃つには川岸ではなく、岸から少し離れた地点に構えるのが基本だ。

 多分、そういう事だろう。


 少女は丁度、家の中へと入ってきたばかりだった。

 長い睫毛まつげが掛かる碧眼で俺を捉えると、少し嬉しそうに目を細める。


「こんばんは、やっとお会い出来ましたね。」


 少女は遠目で見た時よりも遥かに美しかった。

 薄い唇が柔らかな曲線を描き、たおやかなる笑みを作り出す。

 優雅に奏でられた夕方の挨拶は、まるで街先ですれ違っただけかのように拍子抜けしている。


 その場違いな笑顔は、余りにも無垢で、時でも止めたように俺の頭を真っ白にした。

 ゆっくりと玄関扉が閉まっていき、音を立ててとざされる。


 その音にハッとした俺は頭を振って、我を取り戻す。


「お前が誰なのか全く知らないが、今すぐここから出ていけ。不法侵入だぞ。」


 警戒心を剥き出しにした唸るような声で警告する。

 右手は拳の形に握られていて、何時でも応戦可能であると威嚇していた。

 なれど、少女は怖気付くことも、萎縮することも無く、毅然と声を発した。


「断りもなくお邪魔した事は謝罪します。ですが、貴方とは、まだ話すべきことが有ります。出来れば矛を収めて頂けないでしょうか?」

「断る、慮外者りょがいものと話す口は持ち合わせていない。」


 第一、人の家に不法侵入しておいて、話し合いを要求するのは虫がいいというものだ。

 かたくなな態度を見せる俺に少女は小さく嘆息し、


「《矛を収めなさい》」


不思議な響きの命令を発した。

 何の真似だ?

 その疑問に対する答えはすぐに訪れた。

 俺の意思とは裏腹に身体が勝手に動き出し、拳を解く。

 慌てて握り直そうとしたが、ビクともしない。

 まるで自分の体では無いみたいだ。


「敵対行動を取れないようにさせていただきました。」


 なんて事のないように少女は澄ました顔で言葉を紡ぐ。

 だが、俺は戦慄を禁じえなかった。


 有り得ない。

 魔法の発動には必ず前兆がある。

 物理法則を超えた事象を引き起こすのに、第五元素エーテルを活性化する必要性があるからだ。

 そして、どれ程、些細な前兆だろうと、この距離にいてエーテルの活性化を見逃すことは無い。


 息が出来るとか、歩く事が出来るとか、そういう次元の話なのだ。魔法を使う者にとって、エーテルの活性化を知覚するというのは。


 まして、格上には通じにくい精神感応系の魔法を掛けられるなんて。


「安心してください。危害を加えるつもりはありません。」

「それを信じろと?」

「信じるように命令した方が良いでしょうか?」


 鋭利な曲線を描く顎先に人差し指を当てて、少女は悪戯っぽく笑った。

 全く笑えない冗談だ。

 俺は乾いた苦笑を浮かべ、


「分かった、話し合おう。」


広げた両手を上にして白旗を上げた。







「どうぞ、粗茶だが。」

「お気遣いありがとうございます。」


 少女の前に緑茶の入ったコップを置き、木製のリビングテーブルを挟んで、俺は少女の向かい側へと座る。

 半ば無理矢理、話し合いという名の交渉のテーブルに着かされてしまった。


 もう自棄やけだとコップを呷り、喉を潤す。

 そんな俺を少女は目を丸くして、しげしげと観察している。


「毒なんか入ってないぞ。」

「えぇ、それは存じています。ですが、もっと粗雑に扱われるものかと。」

「お前の機嫌を損ねても一銭の得にもならないだろ。むしろデメリットが多くなるだけだ。」


 世の中には必ず強者と弱者が存在する。

 それは絶対的なものでなく、何方が優位で、何方が劣位なのかという相対的なものであるからだ。

 なので、ひょんな事から形勢が変化することも平然と起こりうる。


 そして、現状、俺は弱者だ。

 少女が命令すれば、自由を奪われ、より苦しい立場に追いやられてしまう。

 それなら、敢えて言うことを聞いて、自由を確保し、虎視眈々こしたんたんと相手の隙を狙う方がずっと賢明だろう。


「何なら敬語でも使った方が良いか?」

「結構です。 」


 少女はきっぱりと断りを入れ、お茶を口に含む。

 静謐とした空気が僅かな緊張を孕み、時が間延びする。

 ごくりと小気味よい音の後に少女は「美味しいです」と朗らかに微笑んだ。

 これだけだったら眼福で済んだんだがな。

 やるせない思いに肩を落としつつ、本題に入る。


「それで何の用なんだ?」


 直截ちょくせつ的に話を切り出した俺とは対照的に、少女は暫く何も答えなかった。

 数泊の後に、覚悟を決めるように長い睫毛を持ち上げ、緑柱石ベリルのような瞳に俺の姿を映した。


「私はセレス・アルトウェルト。『迷宮』の暴走を食い止める為に、貴方の力を貸して頂きたく参りました。」


 胸に手を当て、凛とした声で彼女は助力を申し出た。

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