第2話 辞職願
「辞める。もう俺は絶対辞める。辞めると言ったら辞めるんだ!」
ここは魔王城の一角にある、俺の執務室。
デカいマホガニー材で出来た立派な机には、俺の決済待ちの書類が山のように積み重ねられている。
俺は椅子に座ったまま、頭を掻きむしり、もう何万回言ったか分からないセリフを繰り返した。
「ハイハイ、長官。わかりましたから、さっさとこの書類にサインしてくださいね。今日中にこの未決済分を片付けないと、次の書類を置けませんから」
俺の秘書であるティリアが、俺の横に立って、書類の束を差し出しながら冷静に言い放つ。
いつも思うのだが、ティリアの着ている服の胸元は開き過ぎではないのだろうか。
豊満な胸の谷間が、ほとんど見えてしまっていると言っても過言ではない。
そして必要以上に前かがみになって、俺にアピールしてくるのはやめて欲しい。
そんなことを口にすると「自意識過剰」とか「セクハラ」とか言われそうなので、絶対言わないが。
サキュバス族だから? サキュバスだからなのか?
「フフフ、ティリアよ。俺が辞めるなんて言うのは、いつものことだと思っているな? 甘く見てもらっては困る。今日の俺はひと味違うのだよ」
「? どうしたのですか? 朝食で塩でも服にこぼしたんですか?」
「違うわっ! 実は昨日の帰りがけに、魔王様宛で辞表を正式に提出しておいたのだ」
「ええっ!」
「フフフ、そろそろ受理されたという連絡がきても・・・・・・」
俺がそう言ってニヒルな(と自分では思っている)笑みを浮かべていると、突然バンッ!という大きな音と共に執務室のドアが、ものすごい勢いで開けられた。
「長官! これは何の冗談ですか!! 説明してください!」
ズカズカという擬音がぴったりの勢いで執務室に乗り込んできたのは、副長官のルナリエだった。
手にはなにか書類を持ち、血相を変えて振り回している。
ああ、ルナリエはエルフの血を引いていて美人なんだから、そんなに怒らない方がいいのに。
「あまり怒った顔ばかりしていると、しわが増えるぞ」
「私の顔にしわなんてありません!」
「あれ? 心の声が口に出てたか?」
ルナリエが、額に血管を浮かせながら、バンッと書類を俺の机の上に叩きつける。
書類は俺が昨日、魔王様に出した辞表に関する内示のようだ。
「ああ、魔王様には、俺が辞めたらルナリエを長官にしてくださいとお願いしておいたからな。その相談だろう」
「聞いていません! だいたい副長官の私に相談もなく辞めるなんて、どういうことですか?!」
俺は右手の人差し指を立てて、左右に振りながら、頭も降って見せる。
「チッチッチッ、ルナリエ、ルナリエ。俺がお前に何度、もう辞めると言ったか覚えているか?
昨日で3692回だ。これで聞いてないというのは、さすがに無理があるだろう」
ルナリエは俺が立てた人差し指をガっと掴むと、食いしばった歯の間から唸るように言う。
「ムカつく・・・・・・これ、折ってもいいですよね?」
「やめて! 鼻をほじるときに困るだろ!」
「ウウウ・・・・・・」
ルナリエは俺の指を掴んだまま、俯いてしまった。
「本気で辞めるんですか・・・・・・。どうして? 辞めて何をするんですか? どうせすることなんてないでしょ?」
「おまえ・・・・・・俺をなんだと思っているの? はぁ~」
俯いたルナリエの頭が丁度いい場所にあったので、左手で撫でてやる。
顔を上げたルナリエは、薄っすらと涙ぐんでいた。
「そんな顔するなよ、ルナリエ。俺はさぁ、15歳の時にこの世界に入ったんだ」
「・・・・・・」
ルナリエはぽつぽつと語りはじめた俺をじっと見つめている。
「18歳の時には魔王様から諜報機関をつくれと無茶振りされてな、そりゃ必死に頑張ったさ。それが今や1000人の部員を抱える立派な組織にまでなってくれた。お前らみたいに頼れる後輩も育ってくれたしな。そして何より戦争が終わっただろ。もう俺は必要ないんだよ」
「そんな事無いです!」
「いいえ、それは違います!」
ルナリエとティリアが同時に声を上げて叫ぶ。
「忍者部隊を作りあげた長官の功績は、何物にも代えられないものです!」
「戦争は終わったと言っても、まだやることはたくさんありますよ」
「そうかもしれない。でも俺は疲れたんだ。この10年以上、裏の部隊として世の中の薄汚い部分を見続けてきた。人には言えないような汚いこともたくさんしてきたよ。何人暗殺したのかなんて、覚えてもいない。それで気がついたら、俺ももう28歳だ。アラサーだよ! 気がついたらおっさんになっちまってるんだよ!
普通ならキャッキャウフフできたはずの青春時代が、何もしないまま、しかも暗黒のうちに過ぎ去ってしまった・・・・・・。
これからはせめて、ゆっくりと暮らしたいんだ・・・・・・」
「でも引退するには早すぎますよねえ。ゆっくり暮らすって、何をするつもりなんです?」
「そうだなー、田舎に一軒家でも借りて、家庭菜園なんてものを造るのもいいな・・・・・・。嫁さんでも貰って・・・・・・」
「嫁!?」
「結婚?! 好きな人でもいるのっ?」
ルナリエとティリアが血相を変えて、俺に迫ってくる。
「二人とも近い近い! いるわけないだろ! これから探すんだよ」
「・・・・・・いや、長官がどうしてもって言うんなら、私がなって・・・・・・ごにょごにょ」
ルナリエが俺には聞こえないような声で、なにやらブツブツ呟いていると、ティリアが巨大な胸を俺の顔に近づけながら言った。
「長官、あたしが嫁になってあげましょうか?!」
「ハァ!? ティリア!何抜け駆けしてんのよ」
俺はビシッと両手で胸の前にバツマークを作ると、きっぱりと断言する。
「いや、俺、仕事とプライベートは分ける主義なんで。社内恋愛はしないことにしてるんだ」
「・・・・・・それで、あれだけアピールしても反応しなかったんだ」
「ウウッ、長官が辞めるのは嫌だけど、辞めたら社内恋愛じゃなくなるのでは・・・・・・。でもなぁ・・・・・・」
何やら女性陣が考え込んでしまった時に、執務室のドアがノックされた。
「入れ」
「失礼します! リュカオーン長官殿、魔王様がお呼びです。玉座の間までいらっしゃるようにとのことです」
「わかった。ご苦労」
近衛兵が魔王様からの呼び出しを告げてきた。
俺はいまだになにかを考え込んでいる女性陣を残し、執務室を出る。
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