第9話 顔役は遣手婆

 夜も更け、アリーナはJJの家に案内された。

 いや……家と呼べるシロモノではないな。

 スラムの道端に、ボロボロの布が張られたテントもどきが立っている。


「姉ちゃん。スフィーラって言ったっけ。今日はすまねえ。

 元はと言えば、俺がバッグをひったくったせいなのに」

「もういいよ。

 紙幣はまずかったけど、あとはロクなもの入ってなかったでしょ?」


「ぱんつとぶらじゃー。ちょっとお金になったー。

 バッグも売れたー。だから、パン買えたよ」

 JJの妹がそう言った。


「ははは。可愛い妹さんだね。いくつ?」

「まひるは六歳だよー」

「へえ、そうなんだ。じゃあ、お兄ちゃん……JJはいくつなの?」

「おれは多分十五歳。それで……まひるは本当の妹じゃないんだ。

 親に捨てられたんだと思うんだが、赤ん坊の時、道端で泣いてた。

 それを俺の家族にしたんだ。

 真昼間に道端で大泣きしていたんで、まひる」

「JJ……偉いね」

 

 十五と言えば、自分が死んだ年だ。それがこうして、誰の援助も受けず、血のつながらない妹を懸命に面倒みている。父の治世であれば、こんな事にはなっていなかったはずだ。そう考えると、アリーナの胸は苦しくなった。


「それでねJJ。私、ここの事あんまりわからなくて。何か仕事してとりあえずお金稼がないととは思うんだけど……。

 それで、早く普通の服が欲しいの!」

「なんでだよ。それすっごくいいじゃん。娼婦ならそれがベストだろ?」


「ああーん。だから娼婦じゃないんだって。これしか服がなかったの!」

「そうなのか? でもそんなにエロい体つきなら、娼婦で稼げるんじゃないか?

 俺の知り合いの姉ちゃんたちも、結構街角に立ってるぞ」


 もう、この子の倫理観はどうなっているのかしら。

 いや……こんな世相にしちゃったのも、旧王国の指導者たちのせいか……。


「あのね。あなたは、まひるちゃんに、身体を売って稼いでほしい?」

「いや。絶対そんな事はさせねえ!」

「でしょ? 体を売るのが好きな子なんてそうそういないわよ。

 みんな、仕方なくだと思うよ」


「そっか。そうだよな。

 でも、そうだとすると姉ちゃんの仕事はどうしたものか……。

 俺が食わせられちゃいいんだけど……」

「はは、ありがとね。JJ」

 アリーナが大人ぶってJJに投げキスをしたら、JJの顔がゆで蛸の様に真っ赤になった。かっわいいー!


「そうだ姉ちゃん。姉ちゃんの得意な事ってなんだ?」

「得意な事? そうね。この身体、力仕事とかは得意かも。

 あと私自身は、学校では結構優等生だったのよ。

 火と水は上級習得済で、土ももう少しで上級までいったんだけど……」


【アリーナ!】あちゃー。モルツに叱られた。


「火? 水? 土? なんじゃそりゃ。でも姉ちゃん、学校行ってたんだ! 

 じゃ読み書きは出来るのか?」

「まあ、読み書き・計算は普通に……って、あっそうか。

 あなた達読み書き出来ない?」


「ああ、俺達だけじゃなくって、このスラムで読み書き出来るのは、大戦中生まれだけだぜ。だから、それを教えれば少しは稼げるんじゃないかな」 

「おお! それは名案だね」

「じゃあ、明日。マイタリ婆さんの所に案内してやるよ」

「マイタリ婆さん?」

「ああ、街娼のまとめ役の遣手婆やりてばばあなんだけど、このスラムの事を何かと仕切っている顔役さ。

 前に、娼婦達が馬鹿すぎて、エルフに釣銭騙されてるってぼやいてたんだ」

「あらー」


 そしてその夜、アリーナはまひるを抱っこしながら寝た。

「お姉ちゃん、ふわふわ……おっぱいおおきいねー。それにすごく暖かいねー」

「そう? よかったね? いつもはお兄ちゃんにくっついて寝ているの?」

「お兄ちゃんはねー、まひるがくっつくと嫌がるんだよ……」

 はは、年頃男子だねー。かっわいいー!


 ◇◇◇


 翌日。アリーナはJJに案内されて、マイタリ婆さんに会いに行った。


「ふーん。夜逃げしてきた流しの娼婦かい。

 それで読み書き・計算が出来るとか……胡散臭いね」

「あのー。私は娼婦ではありません。たまたま服がこれしかなくて……」


「おやまあ、こりゃ失礼。

 あんまりに恰好が板についてたもんで、かなりのベテランかと思ったわい。

 まあ、身体で稼ぐやつはそれなりにいるんだけれど、読み書き出来るっていうのはレアスキルだね。それじゃ採用試験だ。これが読めるかな?」

 マイタリ婆さんが、どこからか二冊の本を出してきた。

 

 一冊目は……ああ、これは昔から王国に伝わる、子供向けの童話の本だ。

 問題なく読める。

 そして二冊目は……あれ? これ何? 

 見た事無い文字なんですけど……外国語?


【アリーナ。これはエルフ語です。言語トランスインタプリタを起動しますか?】

(えっと、よく分からないけど、それで読めるんならお願いします)


 すると、よく分からないはずの文字が、徐々に王国の文字に置き換わって見えていく。

(あら、すごいわね。でもスフィーラになんでこんな機能が?)

【対エルフ潜入工作時のピロートーク用と推定】

 なんか、王国が戦争に負けた理由がちょっと分かった様な……気のせいよね。


「これは……歴史書ですかね。

 女王ヨーシュアは、あまねく世の太平と魔法の隆興を期し……」

「なんと! そのまま直訳出来るレベルかい! 

 こりゃ、とんだ拾い物かもしれん」 

 マイタリ婆が、目をひん剥いて驚いている。


(ははは。ちょっとカンニングですけれどね)


「いまんところエルフ達は、旧王国語の使用を禁止してはおらんし、獣人達には王国語の習得を推奨しておる。コミュニケーションの重要性を認識しているという事でな。だが第三区画に来るエルフ連中は、まあ大体がおなごの身体目当てで、会話はあまり重要視されておらんでな。意思疎通の問題で、よくトラブルが起きるんじゃよ。あんた、聞いて話す方も大丈夫なのかい?」


「ええ。多分……」

「よっしゃ。採用! 普段は、金を払って習いたい奴や、街娼達に読み書きを教えてくれ。それでエルフとの間で何かあったら、通訳を頼めるかの?」

「はい! 分かりました」


 こうしてアリーナは、第三区画の人間相手に、読み書きを教える事になった。

 

 うん。教育は国の基本だ! 

 元王女の私に相応しい仕事じゃないの!

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