第17話 選べない未来(前編)

 残暑厳しいとある日の琴美家に、一本の電話が掛かる。蒼子は、二階で子機を取りゆっくりと階段を降りながら応えた。

『もしもし、琴美でございます。どちら様でしょうか?』

ゆっくりとした語り口で、若干の太々しさを感じながら相手は返した。

『私、琴美智久さんから依頼を受けております。税理士の、鈴木と申します。』

『税理士の、・・・・・鈴木さん。』

『はい。先日お手紙でお知らせしました通り、相続税の件で、琴美様御姉弟の納付までのお手伝いをさせていただく事になりました。よろしくお願い致します。』

『あ〜・・・・はい、弟が依頼した税理士さんですね。はいはい、よろしくお願いします。・・・・それで、どの様な御用件でしょう。』

『はい、それでですね。まずは相続の全貌を理解しないとお二人の納税額を計算できないので、(有)コトミの所有資産と亡くなられたお母様名義の不動産など。お姉様と、会社で依頼されてる会計士か税理士さんに提出して頂く物が御座います。』

『あら、・・・・そうなんですね。』

『はい。つきましてはその資料を、今月中にでも東京の私共の事務所に郵送してもらいたいのですが。』

少し間を置いて、蒼子が嫌味っぽく応えた。

『あのぉ〜・・・・・・・。』

『えっ・・・・・?』

『では、・・・・そういう事ですので。失礼致します。』

蒼子は、口元を緩ませて受話器を置いた。




 午前中の業務が少し長引いた為に、智久は少し遅めの昼休憩に入っていた。絵里が作ってくれたお弁当を、休憩室の電子レンジで温めていた時だった。胸ポケットに入れていたスマホが激しく震えた。

『もしもし、こ・・・・・。』

相手は慌てているようで、被せて話し出してきた。

『もしもし、お忙しいところすみません。税理士の鈴木です。』

『ああ、どうも・・・・。如何したんですか?姉と・・・何かありましたか?』

『実は琴美さん、今御実家に電話をかけてお姉さんと話しをしたんですが。』

智久は、胸が痛くなる感じで苦しくなってきた。

『・・・・はい。』

『お母様と会社関係の資産に関する書類は、全て税理士が管理しているそうでお持ちではないとの事です。』

『・・・・・はぁ?』

まさに、「はぁ?」なのである。誓約書に署名させる時にも、その前にも何度も確認したのである。会社でか、個人的でかで契約している税理士はいないのかと。蒼子はその度に、税理士とは契約していないと言っていた。だから誓約書にも、自分と一緒に相続税を納付する項目。それと、その納付に支障が出る事はしない約束を明記したのだ。少し頭に血の登った智久に、税理士は畳み掛ける。

『そしてあの口ぶりですと、智久さんと共同で納税する気はない様ですよ。別々に納税しても、「何の問題もないですから。」と仰っていましたから。』

『ん・・・・?そうですか?』

『まぁ、一般的には御遺族が一緒に納税します。しかし中には、諸事情で別々という方がいらっしゃるのも本当です。』

『・・・・!でも・・・・』

『そうなんです。お姉さんは、出来るんです。ですが、智久さんの場合・・・・。』

智久は、頷きながら返した。

『相続の全貌が解っていないから、計算の仕様がないって事ですね?』

『・・・・はい、そうなんですよ。ですから私も費用は負担しますので、資料のコピーを郵送する様にお願いしたんですが。・・・・・断られてしまいました。』

『・・・・・!こっ・・・・断る事って、出来るんですか?』

『これは個人情報なんで、繊細な問題になります。お姉さんが、智久さんと話し合いをすると言うのであればですね・・・・・。』

『・・・・話し合い?そんな事を言っていたのですか?』

『いえ、ハッキリと話し合いをしますのでとは仰いませんでした。ですが、智久さんと直接話すと言われましたら。私が介入するのは、・・・・・出来かねます。』

『・・・・・そうですか。』

『でも今なら、御実家にいらっしゃる筈なんで。今電話を切って、直ぐに智久さんに電話しましたので。御実家に、電話したらいいんじゃないですか。今なら、電話に出るんじゃないかと思いますよ。兎に角、一度お姉さんと話し合ってみて下さい。』

税理士にそう勧められて、智久は急いで実家に電話を掛けた。念の為に、録音アプリを起動させて・・・・。

プルルル・・・・プルルル・・・・プルルル・・・・プルッ

『もしもし、琴美ですけども。』

太々しく、蒼子が電話に出た。

『もしもし、智久ですけど。何で電話したのか、当然解っているでしょう?』

『・・・・・。』

『約束と違うし、言っていた事と違うみたいなんだけど。これは、如何いう事なのか説明してもらえるよね。』

『・・・・・。』

蒼子お得意の、ダンマリである。

『あのさぁ、もういい加減にしてもらえないかなぁ。今まではどんだけ他所様に迷惑かけようが、親父とお袋が全部尻拭いしてきたよ。貴方は黙りこくって、自室に引き籠っていればよかったんだけどさ。今はもう、親父もお袋もいないんだよ。それとも何か?弟の俺が、五十前の貴方の尻拭いをして生きていかなければならないのか?冗談じゃねぇぞ!』

『・・・・・。』

『解ったよ、別々で・・・・』

そこで、蒼子が被せてきた。

『鷲巣さんとえらく揉めた様ですが、まずは仲直りをしていただけませんかね。鷲巣さんは、貴方の失礼な言動に憤慨されております。鷲巣さんに謝っていただいたら、全てがうまく行くと思いますが。』

『・・・・・はぁ?』

この時、ふと智久は母・絹子の言っていた愚痴を思い出した。それは父親が亡くなって、母・絹子が相続税の支払いに頭を悩ませていた時の事だった。税理士と揉めているとボヤき、珍しく愚痴を言ったのだ。

「本当、まぁ〜んか男が口の利き方も知らんとさ。こん小まんかとがさ、本当おおどか(腹が立つ・生意気)とって。はっ倒す(叩く)ごたっとさ。」

母・絹子が、そう言っていたのを思い出した。

「奴だ!」

何で、・・・・何で今まで思い出せなかったんだろう。まあ面識は無く、母・絹子から話しを聞いていただけなので無理もないが。

そうだ、通夜の時も言われていたじゃないか。従姉妹に、何処かで見た人なんだけど思い出せない人が蒼子と話していたって。その人が、お袋がボロクソに文句を言っていた人に似てるって。

「そうだ、そいつが鷲巣だったんだ。だとすると・・・・アイツは会計士としか名乗らなかったが、会計士と税理士が兼業しているなんてザラな事だ。公認会計士の資格を取得すると、税理士試験に合格しなくても税理士として登録できる。そういえば口喧嘩した時に、お姉さんの依頼は受けたが貴方の依頼は拒否するって言っていた。頭に血が登って会計士とか税理士とか関係なく、あのチッコイ爺ちゃんにムカついていたから気付かなかったんだ。と言う事は、蒼子の背後にいる税理士は鷲巣だ。蒼子が言っている、資料を渡している税理士は鷲巣なんだ。」

そこまで考えたところで、智久は蒼子がまだ話しをしている事に気が付いた。

『・・・・いいですか?鷲巣さんは、お父様の頃から良くしていただいている税理士です。会社の事も、ずっと昔から頼んでいます。貴方が謝罪するのが道理です。』

『・・・・・道理?夢々貴方から、道理と言う言葉が発せられるとは思いませんでした。貴方は何も知らないだろうが、お袋とも揉めていた鷲巣が何だって?それにそんなに腹を立てているのであれば、鷲巣が琴美家に関する事全てを断ればいいだけの事じゃないか。別にこの日本にいる税理士は、鷲巣だけではないんだし。逆に言えば、何故貴方は鷲巣に固執するのかな。貴方も、その時に鷲巣の事務所に居たんなら聞いていたでしょう?その時鷲巣に言われた言葉、「お姉さんと結託して、何かを企んでいる。」とかなんとか。鷲巣じゃなければ、貴方は都合が悪いのか?』

『なっ・・・・失礼な・・・・・』

『それに何度も聞いた筈だ、会社でも個人的にでも税理士と契約しているかって。今貴方は、お父様の頃からお世話になっている税理士ですと自分で言ったじゃないですか。自分で、嘘を吐いている事を自ら露呈させたじゃないですか。全てを隠し、そして嘘を吐いてでも鷲巣じゃまくてはならない訳があるのかな?』

『・・・・・。』

智久は、構わず続ける。

『・・・・ん?また、宗教とかに嵌っとんじゃないやろな?』

『はぁ〜・・・・そんな事ある訳・・・・・』

『貴方は知らんやろうけど、俺は全部知ってて言ってるんやぞ。貴方が大学院生だった頃に、宗教に嵌って行方不明になった事を。全部親が世間にバレないようにしてくれたから、親戚やら周りは知らんままやがな。自分は絶対的な被害者だって感じで生きてきよったけどさ、実は貴方は周りに迷惑ばかりかけてきた加害者なんだよ。まあいい、鷲巣に謝罪する事は死んでもあり得ない。もし鷲巣が謝罪したいと言うのであれば、考えてやるかどうかを考えてやるよ。相続の全貌を隠蔽するのなら、税理士ではなく弁護士に依頼する事になる。今月中に、相続関係の資料を郵送するようにお伝え下さい。住所は、貴方が御存知でしょう?福留不動産に、住所も口座番号も教えたくらいなんだからさ。無断でそんな事したんだ、今度は本人が送れって言っているんだから堂々と鷲巣税理士に教えてあげて下さい。兎に角、俺から謝罪する事はない!貴方から、鷲巣にそう言っとけ!』

智久はそう言って電話を切り、電子レンジからお弁当を取り出した。

『ふぅ〜・・・・、食欲が・・・・なくなるよな。なんか、胃が痛くなってきた。』

智久は、そのまま午後の業務に入ったのだった。




 数日が経ち、早めに帰宅した智久に鷲巣から電話が掛かってきた。智久はモニターを絵里に見せ、録音アプリを起動させて電話に出た。

『はい、琴美ですが・・・・。』

『どうも、鷲巣です。少しお話しをしたい事があるのですが、いいですか?』

「いいですか?」だと?

一々口の利き方が腹立つ奴だな、と思いながらも智久は返事をする。

『如何言った御用件ですか?』

『いや勿論、相続税の申告についの話しに決まっているじゃないですか。お姉さんからお預かりしている書類では、まだ不十分でしてね。聞きましたら、お母さんの銀行口座の解約などは弟さんがやったと聞きました。解約時の残額や、五年間の入出金証明書等をこちらに送ってもらいたいんですが。直ぐにお願いできますよね?』

何事も無かったかの様に聞いてくる鷲巣に、頭に血が昇りかけた智久の手を絵里が優しく握った。絵里の目を見て、智久が口を開く。

『保険証から携帯電話、そして銀行口座も全てこちらで手続きしました。姉が解約手続きをしたのは、母が掛けてくれていた生命保険くらいでしょう。ですので、貴方が今言った書類と最終残高はこちらで準備しています。ですが、貴方にこれを教えるつもりはありません。姉から聞いているんじゃないんですか?先日、こちらが依頼した税理士から電話があった事を。その時に姉に伝えておいた、私からの伝言も聞いているんでしょう?何の謝罪もなく白々しい、その上何を要求しているんだ?そんな事よりも、相続関係の資料をこちらに郵送しなさい。』

『君は、年上の私になんて失礼な事を言っているんだ!』

『ほら・・・・そんな口利く税理士に、なんで金払って俺が依頼しなきゃなんねェんだ?優しく言ってやってれば、いい気になりくさりよってよぉ。』

少し落ち着こうとしているのか、鷲巣は何も言わない。

『もう言う事はないんかい?じゃあ、書類をさっさと送ってくれよな!弁護士に依頼するなんて、面倒な事には俺もしたくないんだよ。そんな暇人でもないしさ。』

『私は、琴美蒼子さんから依頼を受けているんだ。だか・・・』

智久が、態と被せて話す。

『だけど、・・・・・俺はお前に依頼なんぞしとりゃせんぞ!』

『しっ・・・・しかし、そっちが送るのが筋だろう?』

智久は、呆れた感じで返した。

『お前の筋道は、俺にはよう解らん。いや、・・・解ってやれんなぁ。そいに、アンタが言うたんやろうが。俺の依頼は、拒否するってさ。相手に相続の全貌は隠蔽したままで、己が欲しい書類だけ送るのが筋だと?えらく都合のいい筋道やなぁ。ついでに聞くけど、お前の羞恥心ていうのはどこの方角に向いてんの?ああ・・・?お前のクライアントの琴美蒼子さんと、もう一度相談してこっちに資料を送るのか決めてくれ。そうだな、二週間、・・・・二週間以内に相続の全貌が明らかになる書類を郵送する事。こちらから言ってあげる事は、・・・・・そんだけだ。』

『私にだって、・・・・後を継がせたい息子がいるんだ。その・・・』

智久は、もう一度被せた。

『知らん!・・・・お前の個人的な事など、こっちは知りゃあせんぞ!人の家に土足で入ってきといて、この後に及んで己の息子?お前、全力疾走でクルクルパーか?お前の都合なんぞ知らん!二種間以内に、書類を郵送する事!・・・・・以上!』

そう言い終わると、智久は一方的に電話を切った。そして少し驚いている絵里に、申し訳なさそうに声をかける。

『ごめん、でかい声出したから驚いたやろ?お腹に子供がいるのに、大きな声出してごめんね!』

『ううん、驚きはしたけど大丈夫。それにさ、私も話し聞いててムカついてたもん。何なのこの人って思ってたら、トモ君がブチギレちゃった。初めて見たからさ、トモ君があんなに怒ったとこ。言葉使いが、・・・・怖いんだもん。そこが、一番びっくりしちゃったかな。』

恥ずかしがっている智久を見て、絵里が顎のところを摩りながら言った。

『ところでトモ君、最近少し痩せたんじゃない?』

『ん〜・・・・ちょっとね。』

いつもの智久の受け答えと、少し違う事を絵里は見逃さなかった。

『何?・・・・・ねぇ〜何?』

『えっ・・・・。』

絵里は、智久の顔にキスできる距離まで詰めて再度聞いた。

『何?・・・・・トモ君、何か隠してるでしょ?言いなさい!』

分かりやすい程視線を泳がせる智久に、絵里の鋭い視線が刺さる。そして智久は、ゆっくりと絵里にごまをする様に話し出した。

『実は・・・・、』

『何?・・・・怒んないから言いなさい!』

『この間さ、・・・・健康診断の結果聞いてきたんだけどさ。』

想像していた内容ではないので、絵里が急に心配そうな顔をして聞いてきた。

『ヤダァ〜、何・・・・どうしたのトモ君?』

『実はさ、血液検査でちょっと引っ掛かっちゃてさ。』

『血液検査で・・・・?』

『うん。P型アミラーゼっていうのがあってさ、それの数値に問題があるってさ。』

そう言うと、智久は休日によく使用するバックを持ってきた。その中から、健康診断の結果を取り出して絵里に見せる。

『この、赤線引いてあるやつ。これは、医者が引いているんだけどさ。このP型アミラーゼっていうのは、膵臓の細胞が破壊されて、膵液中のアミラーゼが血液中に漏れ出すんだって。そしたら、血液中のアミラーゼの濃度が上昇するんだってさ。正常値は17〜50らしいんだけど、・・・・・・。』

『えっ、66・・・・・?』

智久は、小さく頷きながら応えた。

『ちょっと、オーバーし過ぎだって言われてさ。もう少し詳しく調べたほうがいいって言われてね、今度もう少し立ち入った検査とMRIをやる事になったんだ。子供ができてって時に、こんなのちょっと言いにくくってさ。』

『何言ってんのよ!一番大事な事でしょ?』

『ん〜、・・・・ごめん。お袋が膵臓癌だったからさ、特に気になっちゃってね。だから絵里に、なんて言えばいいのか考えてたら遅くなっちゃった。』

絵里は、智久を抱きしめながら返す。

『遅くなっちゃったって、私が聞かなかったら今日も言ってなかったでんしょう?それで、検査とMRIはいつ受けるの?』

『・・・・・来週。』

『ほら。今私が聞かなかったら、ギリギリまで言い出せなかったんじゃない!』

『うん、・・・・・御免なさ〜い。』

『隠しても、直ぐに解るんだからね。特に、こんな大事な事は直ぐに教えて。』

『はぁ〜い。』

遺産相続だけではなく、前途多難な二人の夜は更けていった。

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