第2話 家族の形(後編)
四年前 令和二年(2020) 十月
平日の夜、智久は帰宅して風呂上がりのビールを呑む為に冷蔵庫の扉を開く。だが、冷凍室に冷やしておいたジョッキが見当たらない。
『あれ・・・・・?絵里〜・・・・、冷凍庫のジョッキが・・・・・あっ!』
テレビを見ながら、絵里がキンキンのジョッキで一足早く一杯やっている。
『ぷぅ〜・・・・』
『あぁ〜、・・・・それ俺が冷やしてたんだよ?何で盗るの?』
『ふぅふ〜ん、・・・・早い者勝ちなのねぇ!何で二つ冷やしてくれてないの?こういうのは、自分の分だけ冷やしてたトモ君が悪い!トモ君の物は私の物!』
『全く、・・・・・。』
智久はそう言うと、缶ビールを持って来てそのまま呑み出した。
『ほれ、取り敢えず乾杯っと。』
テレビを点けながら、智久も一気にビールで喉を潤す。テレビでは、紅葉のシーズン到来を知らせている。二人は、明日の天気予報を見ながら何気ない話しをしていた。絵里の店の事に、智久の仕事の事。そして、智久の母親の病状の話しになった。
母・絹子は一年前の検査入院時に膵臓癌が見付かり、四時間の手術の末に五年掛けて経過を見ていく事になっている。
そんな会話の最中、機を見計らっていたかの様にスマホが鳴った。智久は、絵里と顔を見合わせてスマホを取る。モニターの「琴美絹子」の文字を見て、驚きながら絵里に見せた。嫌な予感がしながらも、智久は電話に出る。
『もしもし、どうした?』
『・・・・あぁ。夜遅くに御免ねぇ。ちょっと、アンタに話しのあってねぇ。』
『んん?・・・なん?・・・・どうした?』
智久は天井を見つめながら、何も言い出せずにいる母親に優しく聞いた。
『癌、・・・・転移してしもうた?』
『うん・・・・・、転移してしもうたとげな。・・・・・そいでね、また誕生日に入院せんといかんとさ。前回も今回も、なんで誕生日になると入院せんといかんとやろうかねぇ。本当嫌らしか!』
絹子は毎月二回、大学病院に通っている。一年が過ぎて、このまま元の生活に戻れるものだと思いだした矢先の転移だった。智久には、希望を打ち砕かれた母親の気持ちが手に取る様に解った。
『入院は?明日から?』
『うん、明日から行ってくっけん。』
『あぁ、頑張って行ってこんね。そいで、何処に転移しとるって言いよると?』
『・・・・肺に転移しとるらしかけん、どうなるもんか分からんけど。』
智久は、溜め息を吐きながら目を閉じて言った。
『兎に角膵臓より、全然手術しやすいやろうから安心してやってもらおうよ。根気強く、一つずつ確実に取り除いて行けば完治するんやから。』
智久は自分で言いながら、何の気休めにもならない事は解っていた。
『うん、有難うねぇ。ちょっと頑張ってくっけん。』
『あぁ、頑張ってこんね。明日、姉さんに車で送ってもらってさっ・・・・』
智久の声を遮って、絹子が語気を強めに言った。
『あん子が、送ってくれる訳なかろう。前回入院した時にもそうやったし、アンタにも言うたろう?見舞いにも来てくれんやったって。大丈夫々、いつものごとタクシーで行ってくるだけやけん。』
智久は、絹子の言葉に耳を疑った。
『えっ、いや初めて聞いたぞ!見舞いにも来てくれんやったって?毎月二回の通院はどうしよったって?・・・・車は何の為に持ってんの?・・・・あんクソ馬鹿タレ!何しよっとや!』
苛つく智久を、宥める様に絹子が言った。
『そがん言わんと。今に始まった事じゃなかやろ?落ち着かんね。私が二人で生活しよっても何をしよるとか、何考えて如何したかとか何も解らんとやから。そいでも今からは、世話してもらったりせんといかんかもしれんけんねぇ。』
『そうにしてもさ、月二回車で送り迎えする事くらい出来るやろ?ずっと入院しっぱなしって訳じゃないんやから、見舞いくらい出来るやろ?親父の時に、失敗したって後悔しよったのは嘘やったん?また、同じ事繰り返しよるだけやないね!』
そこまで言って、智久は自分を宥める様に溜め息を吐いた。
『ふぅ〜御免々、ついイラッときてしもうて。明日から入院するって言うのに、嫌な事聞かせたね。』
『あら、少しは大人になったごたるねぇ』
『やかまして。』
『じゃぁ、行ってくっけん。また、電話すっけんで。』
『あぁ、気〜落とさんごと頑張ってねぇ。』
智久は電話を切り、残っていたビールを一気に呑み干した。
『ふぅ〜、癌・・・・肺に転移してしまったって。』
絵里は、智久の手を両手で握り優しく言った。
『大丈夫だよ、手術はまた成功するから。』
気休めだとしても、絵里にはそれ以外かける言葉が見付からなかった。
二年前 令和四年(2022) 一月
それから一年と数ヶ月が経ち、智久は相も変わらず忙しい毎日を過ごしていた。肺へ転移した癌の摘出施術が成功し、絹子は月に二回の通院生活に戻っている。そんな中で智久は、春の大型連休を利用して絹子の顔を見に帰郷しようと考えていた。
プルル・・・ プルッ
『もしもし、智久やけど今電話大丈夫?』
『あぁ、はいはい大丈夫ですよぉ。何ね?どがんしたとね?』
いつもは掛ける側なので、母親の絹子は電話を受けてぎこちなく聞いてきた。
『いや何だって訳じゃないんやけど、春の大型連休に
そう智久が、冗談を交えて言った。
『ええっ、春に帰って来るとね。そうね、うん、帰って来てくれんね。』
絹子の声が、心なしかテンションが上がった感じに聞こえた。なので、智久は何となく湧き上がった嬉しさを堪えながら話しを進める。
『あぁ、ゆっくり話さんといかん事もあるやろう?実家の痛んどる所の事とか、入院する時に保証人になってもらったおじさんの事とか。その他にも、色々とさ。』
『そうねぇ、他にも不動産の事とかアンタに言っておかんといかん事の結構あるけんねぇ。そいで、連休は何日に帰って来るとね?』
『いやいや、まだ決まっとらんさ。お袋に確認して、今からネットで予約を取るんやから。そがん
『ああそうね御免々。そしたら、何日に帰って来るか決まったら連絡くれんね。買い出しにも行かんといかけん。』
『はぁ〜、まだ三ヶ月もあっとよ。気の早かって。チケットとれたら直ぐ電話すっけんが。まぁ、焦らんで待っとって。』
『はいはい、そしたらアンタ。お金送ろうか?』
智久は、笑いながら応えた。
『はっはっ、大丈夫やってお袋。アンタの息子は、もう四十一歳になったって知っとるね?そいに、カード決済やから大丈夫やって。』
『いやぁ、ついでにお土産
そんな会話をして電話を切り、智久はいつまで経っても親は親で子は子なんだなと思った。そして、口元を緩ませながらパソコンを立ち上げた。そこに絵里が、不思議そうな顔をして近寄って来た。
『もしかしてトモ君は、一人で帰郷されるおつもりですか?ま・さ・か・とは思いますが、一応念の為に確認しときたいんだけどさぁ。』
明らかに不貞腐れて、絵里が智久の髪をクシャクシャにしながら聞いてきた。智久は神妙な面持ちで、絵里の顔を見て言った。
『良い機会だから話しとくね。実は・・・・・・。』
その夜初めて、智久は実家の事や過去の事を話すのだった・・・・・。
数日が経ち、智久は遅めの昼食を摂っていた。行儀の悪い事なのだが、スマホで動画を見ながらの昼食である。基本的に昼食は車内で摂ることが多く、動画や音楽を視聴しながらの食事が習慣になってしまっていた。
食事の後、智久は何気なくスマホのアプリをチェックする。そして銀行のアプリを開くと、二十万円の入金が記録されていた。少し驚いて振り込み人の名前を見ると、琴美絹子と書いてある。参ったなぁと頭を掻きながら、帰郷の日程を知らせていない事に気付いた。
『今夜、実家に電話すっか。土産代って言って、無理して二十万も振り込んで。』
溜め息を吐きながら、土産に何を買おうかと思案する。
『ん・・・・?そういや、東京の土産って何がいいんだ?』
そう呟きながら仕事に戻った。
帰宅して絵里が帰る前に洗濯物をたたみ、智久は母親に電話を掛けた。
プルルッ・・・プルルッ・・・ガチャッ
『もしもし、智久ねっ。』
『あぁ、そうやけど。よかって言うたとに、銀行に入れてくれとったとん。』
『うんもうねぇ、私は生きてるうちにしてやっとこうって決めたとさね。やけん、そいでお土産とか
『うん、有難う。』
『そいでねぇ、私はちょっと体の
『んっ・・・・何ば?』
『銀行での振込ばさっ。やけんでメールでよかけんさぁ、有難うってお礼ば言うとってくれんね。』
『んん、解ったぁ。』
そんな会話をした後、帰郷の日取りを伝えてその日は電話を切った。智久は忘れないうちにと、姉にお礼のショートメール打っておいた。
そして帰郷を待ちどうしく思いながらも、また忙しい日常に戻っていった。そうして慌ただしく過ごしながら十日程が経ち、智久は絵里と夕食を摂っていた。
『そういえばトモ君さ、お母さんに持って帰るお土産如何すんの?』
『ん〜、・・・・まだ何にも決まってない。大体さぁ、東京土産って何があんの?』
『そうだなぁ、定番で言えば虎屋の羊羹でしょ。後は、東京ばな奈とかかなぁ。親戚の方とかに持ってとなると、結構年配の方多いでしょ。和菓子系が良いんじゃないかなと思うよ。』
智久はスマホで検索しながら、お土産の品定めをしていく。すると、未読のショートメールが溜まっているのに気が付いた。仕事柄普段ラインはチェックするのだが、ショートメールまでは気が回らない。なので、どうしても未読が溜まってしまうのである。携帯電話の料金やらウォーターサーバーの配達日などの中に、姉からの返信もあった。智久は、絵里を見ながら言う。
『ヘェ〜、返信なんてするような奴じゃなかったのになぁ。人間どんな奴でも、歳と共に常識的になるんだなぁ。』
そう言いながら、智久はショートメールを開くと我が目を疑った。
「こちらこそ失礼致しました。ポックリ逝く前に、キチンとしておかなければならないので。それでは。」
智久は愕然とした。これが、自分の姉が返信してきたショートメールなのかと。
『なんて事書いて
つい声が出てしまった智久に、絵里が驚いて声を掛けた。
『トモ君どうしたの?怒るなんて珍しいじゃん。』
智久は、絵里にスマホのディスプレイを見せる。
このショートメールを見た時には、二人はまだ知らなかった。
人の心を腐らせた、
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