しがないギター弾きの詩

木菟

第1話 家族の形(前編)

     令和六年(2024) 七月


 路面電車の終点から徒歩で十分、そこから坂道を歩いて一息吐く女が一人。彼女は岡本絵里おかもとえり三十三歳、初めて来た街の風景に驚きながらも先を急いでいた。そんな彼女に、男が話しかける。

『すみませんねぇ、マップで調べると近かったんですが。実際に歩くと、結構な距離になりますねぇ。』

絵里は、汗を拭いながら返す。

『そうですねぇ、距離は別に大した事はないんですけど。この暑さに、坂道が凄いですからねぇ。しかも、まだ上るんでしょ?』

『そうですねぇ、右手に小学校ですので・・・。はい、もう少し上りますねぇ。すみませんが、もうひと頑張りお願いします。』

そう言う男の名は永野英寿ながのひでとし、絵里に依頼されている弁護士になる。二人は、暫く無言で坂道を上って行く。すると少し先行していた永野が、右手にある一軒家の表札を見ながらインターホンを押している様だ。そしてゆっくりと近付いて来た絵里に、汗を拭いながら言った。

此方こちらですね。此方が琴美さんのご実家の様です。』

門に掲げられている表札には、「琴美官一ことみかんいち」の表札がある。

『ええ主人から聞いているお義父とうさんの名前なんで、ここで間違いない様ですね。』

絵里は、初めて主人である智久ともひさの実家に来たのである。中との応対も永野が済ませていたので、絵里は玄関まですぐに入れた。すると、一人の女性が仁王立ちの様にして立っている。

『さあどうぞ、お待ちしていました。態々東京からすみませんねぇ。大事な話しだっていうのに、智久はいないんですねぇ。まったく、幾つになってもダラシのない弟ですみませんねぇ。弁護士さん達も暑かったでしょう?』

そう言いながら招き入れた女は琴美蒼子ことみあおこ四十九歳、本人は気付いていない様だが絵里の義理の姉である。つまりは、小姑にあたる。今日は智久の母親が亡くなってから揉めていた、遺産相続の件での話し合いが行われる。応接間に通されて席に着くなり、蒼子がいきなり話し始めた。

『今日の話し合いから、弟が逃げ出した事を残念に思います。まず私は・・・・』

挨拶も何も無いまま始まった話し合いに、絵里は小姑・蒼子の性格を垣間見たのだった。智久に聞いていた通りの人だと・・・・・

そして義理の母である絹子きぬこが、亡くなってから二年以上経って話し合いが持たれる事の意味を考えていた。智久の事を憶いながら・・・・・



     二年前 令和四年(2022) 六月



 東京は世田谷区三軒茶屋、初夏の夕暮れ時一人の男がラーメン屋から出て来た。彼の名前は琴美智久ことみともひさ、四十一歳の売れないミュージシャンである。まあ当然売れていないので、普段は普通に働いている。生コンクリートを運ぶ、ミキサー車の運転手を請け負いでやっているのだ。そんな智久が横断歩道を渡り、冷房の効いたキャロットタワーに入った時にスマホが鳴った。スマホのディスプレイを見て、智久は少し微笑んで電話に出た。

『もしもし、絵里ちゃん。どうしたの?』

『ん〜、手続きとか早く済んじゃって帰って来ちゃったぁ。』

『え〜っ、今日は遅いって言ってたから、大筒家でラーメンっちゃったよぉ。』

『ぶぅ〜、なんで一人で食べちゃうの?』

『だって明日田舎に帰んなきゃいけねぇからさあ、一人だし手っ取り早く済ませちゃったんだよ。』

『そっか〜、じゃぁ私はぼっちで食べるぅぅ〜。』

『ごめんごめん。じゃぁ〜、ケバブでも買って帰ってあげるから機嫌直して?』

『うんうん。それと、サラダも欲しい〜。』

『はいはい、サラダもセットでね。分かった。はぁ〜い。』

絵里との電話を切り、智久は点滅している横断歩道を走って引き返した。小道に入った所のケバブ屋で買い物を済ませ、またキャロットタワーに向けて横断歩道を渡る。点滅した信号に気付いて、駆け出した時にスマホが鳴った。ディスプレイに表示されているのは、彼女の名前ではなく「実家」の文字。嫌な予感がして、智久は電話を取った。

『はい。もしもし。』

『・・・・・・・・・・・。』

掛けてきておいて何も話さない相手に、智久は苛立ちを覚えて語気強く言った。

『もしもし、ことっ』

相手は、無機質で無感情な声を被せてくる。

『貴方のお母さんが、亡くなりました。』

苛つきを隠さずに、智久は返す。

『はぁ?何言ってんだよお前!俺は、昨日・・・』

相手は、聞く耳を持たずに構わず被せる。

『今日の昼過ぎに、お亡くなりになりました。』

『何で昼過ぎに亡くなってんのに、連絡がくんのが今なんだよ?ふざけんな!』

相手は構わず、無感情に連絡事項だけを言ってきた。

『長男の貴方が帰って来るまで、通夜も葬儀も執り行う事が出来ませんのでよろしくお願いします。』

ガチャ・・・・・・・

『なっ・・・・チッ』

既に一方的に切られている電話に、苛立ちを募らせて智久は舌打ちをした。



     五年前 令和元年(2019) 十一月



 世田谷区の自宅マンションで、ヘッドホンを着けて智久はギターを弾いていた。売れていないながらも、自称ミュージシャンである。作曲活動、・・・・という訳だ。

智久は高校を退学になって、すぐに東京へ出て来た。それは勿論、ロックスターを目指してである。昭和五十五年十二月生まれの智久は、来月で三十九歳になる。90年代初頭に始まったバンドブームに影響されて、中学に上がると母親に強請ねだってなんとかギターを買ってもらった。それからギターに夢中になって、気付けばこの歳になっても夢を諦めきれずにいる。

ヴィィィィン・・・・ヴィィィィン・・・・ヴィィィィン・・・・

スマホのバイブに気付かないままの智久に、絵里は演奏が終わったのを確認して肩を叩いた。

『・・・・・ん?・・・・何?』

ヘッドホンを外しながら振り返る智久に、絵里は悪戯っぽい顔をして言った。

『ヒット曲は出来そうかい?ギターマン。』

笑いながら智久が返す。

『うるせ〜、まだ時代が俺に付いて来れないんだよ。だから絵里からも言っておいてくれよ、早く追いかけないと置いていかれますよってさ。』

『何処にいるの?その時代さんって人。何それ?・・・・ん?』

そんな冗談を言い合いながら、二人はじゃれ合っていた。智久と絵里が同棲する様になって、もう三年の月日が流れている。ちょうど十歳違いのこのカップルは、歳の差を感じる事なく付き合ってきた。しかし絵里としては、そろそろ結婚の事を智久に意識して欲しくなっていた。

 智久は、ミキサー車の運転の仕事をしている。個人事業主だが、月に四十万近く稼いでいる。まあ、その大半は楽器や機材に消費されているのだが・・・・・。

そして絵里はというと、最寄駅のショッピングモール内で小さいながら帽子屋さんを経営している。自作の帽子や面白いデザインの帽子を、半々の割合で取り扱っている店で中々評判も良い。そんな二人の出逢うキッカケは、絵里の店に智久が客として来た事だった。

『すみませ〜ん。なんかこう・・・・髪型が崩れない帽子ないっすかねぇ?』

そんな馬鹿げた注文を真顔で言う客に、絵里は呆れた感じで接客したのだった。

『お客さん、そんな帽子ある訳ないでしょ?帽子を被るなら、髪型は崩れます!お客さん美容室に行って、「ちょっと十センチ位伸ばしてもらって良いかなぁ?」って言っている様なもんですよ?』

それを聞いて、智久は腹を抱えてバカ笑いした。

『はははははっ・・・・・・ひぃっひぃっ・・・・』

キョトンとしている絵里に、智久が腹を抱えながら言った。

『そうだね、・・・・間違いない!ははははっ・・・・、また明日来るよ。』

そう言って帰った翌日から、智久は毎日の様に来店した。客としてではなく、絵里を口説きにである。そんな日々が二・三ヶ月続いた頃、なんとなく食事に行く様になっていった。

そして、・・・・気がつけば付き合う様になっていた。出会った頃はバンドを組んでいたが、付き合いだしてから暫くしてバンドは解散。智久が一人で音楽活動をする様になった頃に、二人は同棲を始めた。絵里が贔屓目に聴いているとしても、結構カッコ良いんじゃないかと思っている。そんな生活の中で、智久がヘッドホンをして電話に気付かない事などしょっちゅうだ。絵里は食事をしながら、智久に先程のスマホの着信の事を教えた。

『トモ君がギターマン中、電話かかってきてたよ。』

『ん?・・・・・あっ!』

智久はそう言うと、真顔で絵里を見て言った。

『お袋からだ。』

智久はそのまま、電話を折り返した。

プルルルル・・・・・プルルルッ

『もしもし、智久やけど。お袋、どうした?何かあった?』

智久は久々に掛かってきた母親からの電話に、嫌な空気を感じ取っていた。

『ん〜実はね、この前背中にピリッとした痛みを感じたから病院に行ったとさね、そしたら「大学病院で直ぐに検査を受けましょう。」って言われてしもうたとさ。』

『んん?・・・・・っで、検査入院すんの?』

口籠くちごもる母親に、智久が聞いた。

『いやねぇ、検査はもう終わっとるとさねぇ。』

『えっ?・・・・っで、どうやったの?』

『私、・・・・・がんになってしもうたとさねぇ・・・・。』

『あっ、・・・・・まっマジか・・・・おん、そいで?』

『そいで手術をするんやけどねぇ、その前にどんなやり方で手術をするのかを調るとげなさ。調べてからじゃなかと、手術の出来んって先生の言うとさねぇ。』

『・・・・ああ。』

『でねぇ、明後日から入院して暫くはそのままって言うとよ。やけん、アンタの声ば聞いとこうかって思ってさねぇ。』

『ああ、そう。でも、ヤバイ訳じゃないんやろ?』

『うん、見付けたのが早かったけんねぇ。直ぐにどうこうなるって訳じゃないんやけどねぇ。膵臓癌すいぞうがんって事やから、そう長くはないんやろうけどさ。』

智久は返す言葉に困りながらも、母親の近くにいるべきだと思った。

『そっちに行こうか?』

『いや、よかとよ。大丈夫やから。有難うねぇ。』

母親の名前は、琴美絹子ことみきぬこ。智久が、郷里に残す母である。

『私は、アンタの子育て失敗しとるからねぇ。アンタが都会に一人って、誰も知らん人ばかりの所でどうやって生きて行きよるとかが心配でねぇ。元気しとるとね?ちゃんと食べれよると?最近テレビでいろんな人が、困っとるのを見るけんねぇ。』

『ああ、大丈夫。そがん事よりも、今は自分の事心配せんといかんやろ。そいで、いつ頃手術になるて言いよると?』

『んっ、・・・・今週末に一度検査してから、どういう手術になっとか説明してくれるとげな。そん時に、詳しい日程の分かると思うけんまた電話するよ。』

『ああ、そうしてくれんね。姉さんは、ちゃんと世話してくれるんやろ?』

『ん〜・・・あん子はねぇ・・・、私にはよぉ分からんとよ。アンタも、よう知っとるやろ?あん子がどがん子か(どういう子か)・・・・。まぁ〜、明後日から入院する事は言っとるけどねぇ、どうやろうねぇ。よぉ分からん。』

『まあ、・・・・ねぇ。兎に角、気〜落とさんごとして行ってこんね。癌も、早期発見すれば一昔前よりも完治する確率高うなったて言うけんねぇ。』

『んっ、そうねぇ。・・・・じゃあ、また電話すっけん。アンタも、なんばしよるかよう分からんけど頑張んなさい。』

『ああ、・・・・うん・・・・じゃあっ。』

電話の内容が深刻な内容だという事は、側で見ていた絵里にも解っていた。そんな絵里の目を見て、智久がいつになく真剣な面持ちで言う。

『絵里ちゃん、・・・・お袋が・・・膵臓癌になっっちまったってさ・・・・・。』

そう言うと、智久は少し顔を青ざめさせて座った。絵里は智久の横に行き、膝枕をしながら頭を撫でた・・・・・。

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