第3話 別れに至るまでに(前編)

 大型連休を前にして、琴美家のカレンダーに書き込まれた項目がある。母・絹子が書き込んだ、智久の帰郷スケジュールである。蒼子は、それを睨み付ける様にしてスマホを取った。

プルルル・・・・プルルル・・・・ガチャッ

『もしもし・・・・』

『あっ、琴美ですけど。』

『どうしました?』

『実は春の大型連休に、弟が帰って来るみたいなんです。それで、どうしたら良いのか聞いておこうと思って。』

蒼子は、ソファーに座りながら聞いた。

『いいですか蒼子さん、絶対に弟さんの好きにさせてはいけません。貴方の弟はずっと東京に身を置いて好き放題に暮らし、貴方に全てを押し付けてきたとんでもない愚物ぐぶつなんですからね。』

『はい、・・・・・そうですよね。』

『お母さんが亡くなった後の琴美家を、受け継ぐべきなのは蒼子さん・・・・貴方なんですからね!』

蒼子の相談の電話は、・・・・・暫く続いた。




 春の大型連休初日、智久は機上の人となっていた。母親の絹子に、膵臓癌が見付かってからは初めての帰郷となる。母・絹子にお土産を頼まれていた為、一週間位前から慌ただしく買い物と発送に追われての帰郷となった。滑走路から機体が浮かび上がった瞬間に、智久はホッとして溜め息を吐いた。

『ふぅ〜、一時間半ちょっとか。仮眠でも出来ればいいかなっ。』

そう呟いて、智久は軽く目を閉じて物思いに耽った。どうしても、姉から送られてきたショートメールが気になっているからである。姉の人となりを十二分じゅうにぶんに解っている智久は、精神的に引き籠ったまま大人になってしまった姉のメールを危険に感じていた。これはこの帰郷に絵里を連れていない事にも繋がるのだが、姉の母・絹子に対する嫌悪感を感じ取っていたからである。

 智久の姉は、五歳違いで智久とは全てが正反対の姉弟きょうだいだ。性別はもちろんの事、性格・価値観・金銭感覚・社会経験・勤務経験・対人応答・人生観等上げればキリがないほどだ。智久は子供の頃から病弱で、十歳位迄病床に伏せっている子供だった。一方蒼子は、高校卒業迄無遅刻無欠席の健康優良児で風邪を引いた事すら見た事がないくらいだ。学業成績も優秀で、いつも低空飛行であった智久とは正反対。幼い頃からピアノを習い、ストレートでの大学進学は東京の有名音大に進学。そして、最終学歴は大学院卒という優秀さだ。いつもギリギリの低空飛行で、人当たりは良いのだがトラブルに巻き込まれがちな智久とは真反対まはんたいの人物である。そんな二人の違いで、如実に違うのが親に対する接し方である。

二人とも思春期には、それなりの反抗的な態度を取っていたのだが、二十歳はたち位を境に正反対になる。ベタベタはしないが優しく接する様になっていった智久と違い、蒼子は頑なに心を許す事なく周囲の人が見ていても異様な程の接し方を貫いて現在に至る。何が異様かと言うと、兎に角無視をするのである。自宅であろうが、冠婚葬祭の席であろうがお構いなしなのだ。社交辞令も体裁ていさいも一切なく、その上口を開けばさげすんだり憎まれ口をきいたりと。

それでいて、

「自分は、教育パパとママに強制的に良い子にさせられた犠牲者だ!」

と言うのが口癖だ。智久は若い頃から、そんな蒼子のことを軽蔑していた。

 あれこれ考えている智久に、キャビンアテンダントが軽食を持って来てくれた。小さめのサンドイッチだったので、ついでにビールを頼み一緒に流し込んだ。その後ウトウトしていると、着陸態勢に入り到着。人の流れに流されるまま到着ロビーを出て、智久は実家へと向かった。今日母の絹子は、月二回の大学病院への通院日である為に十四時位迄は病院だ。一旦実家に行き、車で姉の蒼子と迎えに行く事になっている。普段は公共交通機関を使っているので、母の絹子が前もって注文してきていたのだ。食事をするにしても、車で気軽に行動する事を母が望んだからである。

『車が有るのにも拘らず、なんで使わねぇのかねぇ〜。まあ、あの人は昔っからそんな人だもんな。』

智久はそう呟き、タクシーを停めて乗り込んだ。行き先を告げてから、約二十分程で実家に到着。智久は門の前に立ち、少し緊張しながら実家のインターホンを押した。チャイム音が数回なり、暫くすると玄関から門の鍵を開けに姉の蒼子が出て来た。不貞腐ふてくされた顔はほうれい線を際立たせて、智久の想像を遥かに上回る不機嫌さで出迎えてくれた。

『ゆっくりしてるところ、すみませんね。』

ぎこちなく微笑みながら言う智久を、蒼子は冷ややかな視線を向けて冷たく呟きながら門の鍵を開けた。

『いいえ〜。どうぞ、貴方の実家でもあるんですからお気遣いなく。』

智久は、「相も変わらず嫌な感じだなぁ〜」と思いながら門を入った。そして、久々の実家の庭の匂いを嗅ぐ。左側にある梅の木の懐かしさを噛み締めながら、智久は玄関に入り靴を脱いで視線を上げた。そして、・・・・我が目を疑うのであった。智久の実家は二階建てで、玄関は吹き抜けになっている。吹き抜けの天井にはシャンデリア風の照明があり、玄関扉を背に正面には階段があり奥手に炊事場への扉がある。智久の視界に入るその全ての光景が、埃にまみれて蜘蛛の巣までもが見て取れるのである。これは、綺麗好きの母親からは想像出来ない。この有様ありさまに、智久は闘病生活での母の苦悩が垣間見えた。そしてその傍らで、何もせずに不気味に暮らす姉の現状を容易に感じ取れる。ただ今は何も言わずに母親を迎えに行く事にしようと、自分に言い聞かせてその場は済ませた。

 智久は靴を脱ぎ、左手にある応接間への扉を開けた。そして、また驚くのである。もう既に、十二時を過ぎているのにも拘らず、厚手のカーテンは閉められたままで照明も点けていない。智久は薄暗い応接間のソファーを、手探りで確認して荷物を置いた。そして、照明を点けてまた驚くのである。っつある電灯のうちっつが切れているのだ。当然、照明をつけたところで薄暗いままなのだ。その薄暗いままの足元に、智久は蠢く何かに気が付いた。

『クゥ〜ン・・・・。』

かなしげな鳴き声と共に、尻尾を振りながら黒く小さいポメラニアンが擦り寄って来た。母・絹子が闘病前より飼っていて、名前を「チャロ」という。何かのテレビ番組に出ている犬のキャラクターらしいのだが、智久には何だか覚え難い名前であった。子供の頃に飼っていた犬が、全身真っ白な犬で名前も「しろ」だっただけに尚更だ。まぁ、可愛い事に変わりはないのだが。智久はチャロを小脇に抱えて、とりあえずカーテンを開けた。日差しの差し込んだ部屋を見て、あまり生活感を感じる事が出来ずにいる智久に蒼子が話しかけた。

『今日は、病院に行ってるから居らんよ。』

智久は、ぼぉ〜として実家の荒れた様を見ていた。その為に、蒼子が言った事を聞き取れていなかった。

『あん?なんてぇ?』

そう聞き返した智久に、蒼子がイラつきながら語気強く繰り返す。

『やけん、うえは居らんって。』

蒼子が上と言っているのは、二階で寝起きしている母・絹子の事を言っているのである。この言い回しに、ピンときた智久は怒りを堪えながら返した。

『あぁ解っとる、お袋から聞いとるけんで。今から迎えに行くんやけど、帰りに買い物とかしたいって言いよったけんでね。荷物置きがてら、車取って来てくれんねって言われとるっさ。お袋から聞いとるやろうし、アンタも行くとやろが。』

蒼子は、より一層不貞腐れて応える。

『そうねぇ、お二人が嫌じゃなければ行かせていただきますけどぉ。』

智久は、溜め息を吐きながら返す。

『ふぅ〜・・・・そしたら、もう直ぐにお袋迎えに行くけん車の鍵はどこ?』

蒼子は返事をする代わりに、顎で大きな柱時計を指して応える。この古い柱時計の中に小物を置ける場所があり、琴美家ではそこに鍵などをしまう習慣があった。

『はいはい、そしたらもう出発するんで準備して下さい。』

そう言うと智久は少し汗ばんでいた為にシャツだけを着替え、車のスマートキーを借りて裏手のガレージへと向かった。庭の手入れをしていた向かいのお宅の方に、軽く会釈をしながら向かったガレージに車は無かった。智久は、一度強く目頭を押さえて気持ちを持ち直して玄関へと戻る。応接間に入り、ソファーに深々と座ってテレビを見て笑っている蒼子に聞いた。

『アンタ車の鍵貸してくれたんはいいんやけど、肝心の車無いやなかね。如何なっとるん?』

振り返った蒼子の笑顔は消えていて、無機質な声で太々しく返す。

『貴方が帰って来るとカレンダーに書き込んであったので、昨日事務所の車庫に置いてきましたけど何か?』

智久は、久々に感じたこの感覚で思い出していった。

「ああそうだ、この人は昔っからこういう人だった。」と。

そして、智久は呆れ返って聞いた。

『そいが解っとって、鍵渡したん?』

それでも蒼子は、無表情のまま返す。

『さぁ、それは解りませんけど。私は、鍵を貸してと言われたからお貸したまでですんでねぇ。貴方が、如何されるかまでは知りません。』

 智久はこの数分のやり取りで、母・絹子がどんなに我慢して闘病生活をしているのかを悟った。そして母親の部屋を見る為に二階へ上がり、部屋を見回して大きく深呼吸をした。智久は、想像以上に険悪であろう蒼子との関係を思いながらスマホを取った。そしてショートメールを開き、母・絹子からのメールを見直した。入院予定や病状の説明などのメールの中に、蒼子についてのメールもある。それは智久が入院している母の事で、実家にも蒼子の携帯に電話しても連絡が取れないので直接母・絹子にメールした時のものだ。


「姉さんに連絡取れないんやけど、大丈夫かな?ちゃんと世話してもらっているんだよね?」


「こちらも、入院以来連絡取れません。病院にも一度も来てませんよ。」


「明日、検査結果が出ます。出来れば、家族の方と御一緒にと言われています。お昼から電話しているのですが、まだ連絡が取れてません。蒼子に、そちらからも電話してみて下さい。」


「明日九時半頃退院します。一人でタクシーで帰れますから心配せんでね。」


読み返してみると、一人で癌と闘っている母・絹子の姿を容易に思い浮かべられた。実のところ智久は、母・絹子の病状も心配であったが、それと同じくらい蒼子との関係が気になっていたのだ。最後に蒼子から送られて来たショートメールをもう一度開いた。


「こちらこそ失礼致しました。ポックリ逝く前に、キチンとしておかなければならないので。それでは。」


母の看病に疲れて、精神的に参った時のメールだと思いたかった。それでも、人として問題有りだと思うのだが。付きっきりでの看病をする人間の苦悩は、しない人間には解りはしないのだから。看病からくる身心共に疲弊しての、最大限の愚痴メールだと思いたかった。

 しかし蒼子の人となりをよく知っている智久には、期待しながらもそうではない事を悟っていた。なので一度帰郷して自分の目で確認して、面と向かって母・絹子と話し合う為に帰郷したのだ。そして帰郷に際して、恋人の絵里にその旨を告白し相談してもいた。蒼子のショートメールも見せた上で話しをして、もしもの時の相談までしていた。もしもの時と言うのは、「病死ではなく事故死の時の状況」である。

それ程智久は、蒼子のメールに異常性を感じ取っていたし緊急性を感じていた。

例えば、二階からトイレに降りたいのだが身体が機敏に動く訳がない。

そこで、蒼子に手を貸してくれと頼む。その状況で、階段から転げ落ちる。いや、もしくは落とされる。蒼子のメールには、そういう最悪の事さえも考えさせられる異常性を感じざるを得なかったのである。当然、相談された絵里も驚いていた。だが、余りにも真剣に相談する智久に気押され、真摯に相談に乗ってくれたのである。

相談の最後智久が、

『もし・・・もしなんだけど、警察とかに状況を聞かれるような事になった場合。今の相談内容を、証言してもらっていいかなぁ?』

と言った時には驚いていた。

『そんなに、深刻に考えなっくても大丈夫だよ。きっと取り越し苦労で終わるよ。』

驚いた上に、気まで遣わせてしまったほどだ。そしてこの蒼子の存在が、絵里を東京に置いてきた最大の原因でもあった。

 そこまで思い返したところで、智久は地元のタクシー会社に電話をして絹子を迎えに行く準備を始めた。それから、十分程してタクシーが来た。財布とスマホを持ち、靴を履いているところに蒼子が近寄り聞いてきた。

『お出掛けですか?』

智久は、無表情で返した。

『はぁ?何時迄もすっとぼけとらんで、ちゃっちゃと行くど!』

面倒臭い相手は、付き合うだけ増長させてしまうので感情をなくして対応する。子供の頃に身に付けた、姉と接する術を思い出し実行してみた。すると拍子抜けする程何事もなく、バッグを下げて戸締りをしタクシーの助手席に乗り込んで来た。

智久はまぁ良いかと気にせず、母・絹子を迎えに行く事にした

『すみません。大学病院までお願いします。そこで、一人拾って稲佐の方迄で行きますんで。』

智久は、ぼう〜と見違えるほど変わった故郷を見ていた。すると、助手席の蒼子がずっと乗務員に話しかけているのに気が付いた。そうだった、この人昔っから外面は良いんだよな。親が居ない時の外面の良さは、子供の時から変わらない。ただこの二面性が、蒼子の不気味さをより一層際立たせるのである。智久は、二人の他愛もない会話を聞き流しながら車窓から外を眺めていた。

『すみません、何方どちらに着ければよろしいですか?』

乗務員の声で、我に返り智久は返事をした。

『あっ、ここで・・・・ここで待っててもらえますか。一人連れて来るんで。』

そう言うと智久は、蒼子を残して病院の待合い室へと向かいながら母・絹子の携帯を鳴らした。時間的には、診察が終わって待合い室で待っている筈なのだが出ない。

智久が周りを見廻しながら歩いて行くと、入口横の長椅子に座る絹子を見付けた。病院なので、着信音を切っているのであろう。だが絹子は、スマホのディスプレイを見たまま固まっている様に見える。智久は、少し昔の事を思い出した。もう、十年位前になるだろうか、母・絹子が単身上京して来た事があった。上京してくる十日程前にいきなり連絡してきたのだ。

『あんたぁ、歌舞伎見たいけん如何にかしてくれんねぇ。せっかくやけんが、一度観てみたかけんさぁ。』

智久は慌てふためいてチケットを購入し、上京した絹子に手渡そうと新橋の駅前で待ち合わせをした。

SLの前で、落ち着かない様子の絹子を見付け声を掛けた。

『うぃっ、お待たせ。』

『いえ々、結構です。息子と待ち合わせていますんでお構いなく。』

母・絹子は、面倒臭いキャッチを断る様に対応するのだ。少し面白くなって、智久は意地悪な質問をした。

『あんたぁ、我が子の顔も忘れたんね。』

そう言う智久を、もう一度まじまじと見て絹子は言ったのだった。

『あら〜、何処のオジサンかと思うたらアンタねぇ。東京は怖かけんねぇ、騙されんごとて思うて構えとったさぁ。』

その時の事を思い出しながら、智久は絹子に声を掛けた。

『あんたぁ、電話は見とるだけじゃ繋がらんとよ。出らにゃぁねぇ。あんたを、探しよる人がおるんやけん出らんとぅ。』

すると、絹子は会釈をしながら言った。

『はい、御親切に有難う御座います。』

智久とは気付かずに、絹子は丁寧にお礼を言って電話に出た。

『もしもし、ずっと待っとっとよ。早よぉ来てくれんねぇ。』

『おん、そいけん来とるやろう?こけ(此処に)。』

絹子は、キョトンとして返す。

『ああ、アンタねぇ。何処のオジサンかて思うたやかねぇ。』

智久は、「やっぱり」と思いながら絹子をタクシーに連れて行く為に腕をとった。信じられない程腕は細くなっており、体も一回り小さくなっていた。歳を取った上病魔で小さくなった母親に、智久は胸を痛くせずにはいられなかった。

『アララッ?タクシーね。』

『うん。まっ、追々説明すっけん。取り敢えず行こうか。』

こうして智久達は、タクシーに乗って病院を出たのだった。

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