第4話 別れに至るまでに(後編)・

 智久の父は、母・絹子とは二回り年が違い、酒は呑まないし博打も打たない真面目な男だった。経営していた鐡工所が、高度経済成長の波に乗り、琴美家は周りよりも少し裕福な家庭を築いていた。

そして五十を過ぎた頃に、二人の子供を授かった。それが、蒼子と智久になる。そんな子供達に、特に長女の蒼子には特別愛情を注いだ。

弟が出来て皆が生まれたての智久に愛情を注ぐ中、幼い蒼子は嫉妬を抱き孤立していった。そんな蒼子に気付いた父は、胸が締め付けられる思いになったと母・絹子に言ったそうだ。父親からの一方通行ではあるが、愛情を注いでもらいながら蒼子はすくすくと育っていった。智久はその頃の話しで、笑い話しとして絹子から聞いた話しがある。

何を話しても何をしてあげても、何一つ口をきかずに反応もしない。そんな蒼子に、父が郷を煮やして聞いた事があった。

『そんなに、お父さんの事が嫌いなのか?』

冗談交じりに聞いた父に、蒼子が返した言葉は辛辣だった。

『はい!・・・・嫌いです!』

真っ直ぐに父を見て、そう応えたのだという。

父は、おちゃらけながらも落ち込んでいたらしい。それでも父は、一人娘の蒼子を大事に育てた。その琴美家では、幾つかの不動産を所有している。父の死後は、その一つである四階建てのビルの一室に事務所を構え、全ての不動産の管理をしている。

父親が生前経営していた有限会社名を、鐡工所名から(有)コトミと変更して営んでいるのだ。そのビルの一階は駐車場になっており、蒼子はそこに車を停めている。




 智久はタクシーの乗務員に行き先を告げて、母・絹子にこの後の希望を聞いた。

『お袋、如何する?昼飯は、食うとらんのやろ?』

絹子は、笑いながら返事をする。

『食っとらんのやろう?ってね。そうねぇ、まだよぉ。』

『そしたら、買い物の前に飯食おっか。何にする?』

『アンタが、食べたいもんにせんね。何でもよかよ。』

そんな会話をしながら、三人は車に乗り換え食事に出かける事になった。タクシーを降りて車に絹子の荷物を載せる時、智久はちゃっかり助手席に座っている蒼子の姿を見て絹子に目配せをしていた。

別に運転しろとは思いはしないが、母への気配りくらいは見せてほしいものだ。

「お前の母親は、闘病生活をしているんだぞ。」

と言いたくもなる。

 食事の後、買い物をするのに都合が良いようにと大型ショッピングモールへと向かった。駐車場に車を停め、飲食店の連なるフロアーへと向かう。絹子と、何にするのかを相談をしている時だった。

『ちょっと電話のかかってきたけん、二人で先に行っとってくれん。』

蒼子が、そう言うのである。智久は、違和感を感じながらも取り敢えず返す。

『そこの天麩羅屋に居っけん居るから・・・・』

蒼子は、無言で背を向けながら離れて行く。それを見て、二人は先に店に入る事にした。席に着くなり、絹子が聞いてきた。

『あんた、何でタクシーで来たとね。』

小さく頷きながら、智久は呆れた様に応える。

『さぁ何か昨日のうちに、態々事務所まで車停めに行っとったごたるよ。何でかは知らんけどさ。』

智久はそう言うと、絹子にメニューを見せて指を差しながら決めていった。

『それはそうと、お袋は我慢出来ると?姉さんとの、今の暮らし。』

絹子は、苦笑いしながら応えた。

『蒼子の事ね。・・・・はぁ、まぁそうねぇ。そりゃあ、あの子と生活するのは難しかさ。何も話してはくれんし、イライラもするよ。でもねぇ・・・・。』

智久は、おしぼりで手を拭いながら言った。

『東京来て、俺と暮らす?病院の手続きとかも、そう難しいもんでもなかやろうし。どがん?(どう?)』

絹子は困った顔をしながらも、嬉しさを隠す様に返事をした。

『有難うねぇ。でも、あん子ば・・・こっちに独り残してあんたと東京にってなったらねぇ。あん子独りじゃ、生活出来る訳なかやろ?』

智久は、キョトンとして

『はぁ?流石に、五十手前のババアやもんば大丈夫さぁ。そいにちょっとしか見とりゃせんけど、お袋が横になっとん寝ているのば良い事に何もしよりぁせんのやろ?さっき見たばって、家の至る所埃被っとるやなかね。あがんとあの人の事ば気にせんちゃあ、お袋の身体ん事ば第一に考えんといかんやろうに。』

絹子は、頷きながら

『本当に有難うねぇ。ばってねぇこん歳になって癌ば抱えた上に、何も知らんし誰も知らん街に行って暮らしていく自信もなかしねぇ。嬉しかけどねぇ、難しかとよ。』

『そうねぇ。・・・・そうかねぇ。』

そこ迄話しをたところで、入口から蒼子が入って来るのが見えた。キョロキョロと見回し、絹子の後ろ姿に気付いてのそのそと席に着いた。

『取り敢えず、三人とも一緒んとにしとるよ。らんごたったら足したらよかろ(足りないようなら追加して)。』

智久がそう言うと、不貞腐れて蒼子が言った。

『あんた、そがん私ばえさせたかとへ!』

『じゃぁ、・・・・何も食うな!』

そう言いたい智久だったが、面倒臭いのでそのまま無視して絹子に買い物の相談をする事にした。

『そう言えばお袋、部屋のテレビの調子悪かって言いよったごたったとんどがんする(どうする)?』

『そう、何かなんも映らんごとなってしもうてねぇ。』

智久は、呆気に取られて・・・・

『そら、調子の悪かって言わんで壊れとっとじゃろ。見て行こうや。』

『あら、よかね。』

そこに、注文していた料理が来た。まぁ一般的な天麩羅定食なのだったのだが、絹子は智久が思っていたよりも大きなリアクションを見せた。

『あらぁ〜、こがん(こんな)御ご馳走おごっつおうは本当久しぶりやもんねぇ。いつもは身体んきつか怠いけん、後片付けと掃除のあっとはせんとやもんねぇ。そいじゃぁ、いただきますね。』

そう言って食べ出した母を見て、智久は目頭が熱くなるのを堪えて食事を始めた。今の言葉で、普段の食事の用意も全て絹子にやらせているのだという事が解る。一体蒼子は、毎日何をしているのであろう。自宅から毎日事務所に出勤しても、数件の不動産を管理しているだけなので全く忙しくはないのである。

その上実際は不動産屋に委託している為、家賃日以降に経理をちょこちょこやるだけの業務なのだ。智久には詳しい内情までは解らないのだが、実家の掃除にしても食事の支度にしても出来る筈なのだ。ましてや月に二回の、たった二回の通院にしても送り迎えくらい出来無い訳がないのだ。東京に住んでいて口だけ出すのはと思っているので何も言わないでいるが、ここまで酷いとは正直智久は考えてもいなかった。それに蒼子は、知人や友人と過ごす事はない。だから絹子の世話にしても、プライベートな息抜きにしても時間は十二分にある筈なのだから。というのも蒼子は、学生時代から友人を作った事がないのだ。正確に言えば、作る事が出来なかったのだ。




 小学生の頃は智久には解らないが、中学生になってからの蒼子の事はよく覚えている。プロテスタントの女子校に通っていたのだが、智久には解り得ない女子校には女子校の世界があるらしいのだ。何が切っ掛けかは解らないが、気付いた頃には苛めの対象になっていたらしいのだ。

クラスメートに無視をされて、馬鹿にされていたらしい。そうして蒼子は、自分の心を益々閉ざしていった。奇行が目に付き出し、両親を無視し出したのもこの頃からである。智久は、この頃の蒼子の事で忘れられない出来事がある。

 蒼子の通っていたプロテスタントの女子校は、土・日が休校だった為に智久は羨ましかった。よく土曜日に、智久が登校する時間まで寝ている蒼子を羨ましく思ったものだ。そんなとある土曜日に、珍しくドアの開いた蒼子の部屋を見て智久は驚愕したのだ。学習机の上に、大量の髪の毛の様な物がバラ撒かれていたのだ。

ホラー映画の様なその惨状に、智久は急いで声を上げ両親を呼んだ。直ぐに駆け付けた両親は、蒼子を起こして事情を聞こうとした。そして、両親に起こされた蒼子が顔を上げた時に、また驚愕したのである。背中位まであった髪の毛は無残にもに切られて、その上前髪は立つ程短く切られていたのだ。そして、茫然と立ち尽くす両親を見上げる蒼子の眉は剃り落とされ、まつ毛に至っては全て抜かれていたのだ。智久はその時、「四谷怪談のお岩さんって、こんな感じなんだろうな。」っと思って怖くなったのをよく覚えている。

智久はそこ迄で学校に行くのだが、帰宅しても両親と蒼子の話し合いは続いていた。母・絹子曰く、金曜日の夕方に帰宅した際も夕食の時も何の変化もなかったそうだ。結局風呂から上がり、就寝前の僅かな時間に行った奇行の原因は解らず終いになった。

 そこ迄思い出したところで、智久はゾクっと悪寒が走る思いがした。自らの髪を切り落として眉は剃り落とし、まつ毛を全部抜く奇行をする蒼子が送ったあのショートメールを思い出したのだ。

そして、ふと奇妙に思った。先程の蒼子の行動を。

「電話?友人も、恋人も居ない筈の蒼子に電話?」

ここで問いただす必要はないかと思い、智久は食事を摂りながら母・絹子にお願いされていた事を思い出した。

『あっ、そうやった会社の事。有限会社コトミの事やけど、姉さんどがんなっとるん

ね(どういうなってるの)?お袋は、会社を閉じたいってここ二・三年言いよるんやけど。』

無視したまま食事を続けている蒼子に、智久はもう一度語気強くして聞いた。

『姉さん。お袋が会社畳むって言いよったとの、進展具合ば知りたかとげな。今現在、どがんなっとる?』

『・・・・・・・・。』

智久は、我関せずとばかりに食事を続けている蒼子をチラッと見て続ける。

『昨年度は、税金の問題で延期したってとこまでは聞いとるとげなけどさ。今年度中に出来るんやろう?でけんのやったらオンドンですっけど。どがん?(出来ないのならば、俺達でやるけど。どう?)』

すると、奇声の様な奇妙な声を上げて蒼子が箸をテーブルに叩き付けた。

『キィエ〜・・・・・・。』

「何だこいつ」という空気が店内に張り詰める中、蒼子が和かに言った。

『私も、もう少ししたら五十歳になります。年金などの調整が整い次第、全て完了すると思いますよ。』

額に血管が浮き出ている智久の手を、母・絹子が優しく握りながら首を横に振った。智久は、一呼吸吐いて自分を落ち着かせて言った。

『そいやったら、早急に済ませてもろうてお袋を安心させて下さい。』

『・・・・・・・。』

叩きつけた箸を手に取り、蒼子は何事もなかった様に食事を続けた。

『あっ、すみません。・・・・すみません。御迷惑お掛けしました。』

店内の人達に、謝罪をしながら智久は思っていた。

「何か?・・・今の何か、・・・芝居じみていなかったか?それと、年金?闘病生活している親のことは?」

久々に会った姉の不気味さが、智久には以前とは何か違って感じられた。




 三人は食事を終え、家電フロアーに向かった。

『今のテレビのサイズって、どんくらい?』

絹子好みのテレビを決めて、購入の手続きをしている時だった。

『あら?アンタ、蒼子はどこ行ったとね。』

絹子にそう言われて、智久は蒼子が居ない事に気付きフロアーを見回した。するとフロアー隅にある、休憩所の長椅子に座りながら電話をしてる蒼子の姿が見えた。

『・・・ん? また・・・電話?』

智久は、配送日等を店員と話し終えて絹子に聞いた。

『最近姉さんの様子で、気になる事とかなか?』

絹子は、苦笑いしながら首を横に振った。

『例えば友達が出来たとか、良い人が出来たとか。』

そう言う智久の問いに、絹子はニヤながら頭を捻った。

『いやぁ、そいやったら良いんやけどね。さて、じゃぁ食料品買いに行こうか。車で来る事なんかそうそうないやろうけん、ガッツリ買って帰ろうか。重とうして(重たくて)いつもは買いきれんやつも、今日は大丈夫やけんさぁ。』

米や飲み物類等、重くて嵩張る買い物を済ませると三人は帰宅する事にした。一人家で留守番をしている、オスが寂しい思いをしているだろうと絹子が言うからである。

まぁチャロの事なのだが、三人は大量の荷物と共に帰宅する。帰宅すると、甲高い甘えた声での激しい出迎えを受けた。一息吐いて、蒼子が風呂に入ったのを確認してから、智久は絹子に話しかけた。

『家事洗濯全般、何もかんもお袋がしよっとやろ(やってんでしょ)?』

絹子はソファーに座り、チャロを膝に乗せて応えた。

『私がせんと(やんないと)、あん子は何もせん(しない)やかね。』

『にしてもさ、あら(あいつは)何もしよらんやろ?そいに、天麩羅屋でのありゃなんね?まぁ〜だ、あんな感じなん?』

絹子は、チャロを見つめながら言った。

『普段は、何も話さんけんねぇ。私も、ビックリしたさぁ。』

『そいに、だいと電話しよったとか(してたのか)知らんけど、想像しとったよりもおかしな事になっとるごたっけどねぇ。』

智久は、何となく蒼子が芝居じみた行動を取るのが気になっていた。それに、会社を閉める手続きが遅れている事も。

『会社の手続きにしても、確認しようか?あらぁ(あいつ)、よう嘘も吐くど?一回、詰めとったが(確認したほうが)ようなかね。』

そう言う智久を宥める様に、絹子は首を横に振りながら言った。

『あんたが言うたら、またあん子はぶてつらかす(凄く不貞腐れる)やろう?そいはそいで、やぜかけんねぇ(面倒臭いからねぇ)。』

『解った。ばって、気ぃ付けんといかんよ。言うてもお袋が社長で、あら従業員じゃろう?チェックも入れとかんと、何すっか分からんよ。』

『うん・・・・。』

『そいに、お袋言いよったろう(言ってたじゃん)?親父からの相続の時に、なまちゃっか(生意気な)口きくこまんか男(ちっちゃい男)の税理士に我慢してやってもろうたって。解らんけど、またそがんと(そういう奴)の居るかもしれんけんさ。』

『そうねぇ、・・・・解った。でも、話しするだけで大変かとよ。そいと、良い機会やけんあんたに言うとくけど。会社畳んだ後は、現金化出来る物は現金化して家の事とかに使って。』

『はぁ、縁起でもなかろう。まぁ、言いたか事は解った。』

『そいとあんたには悪かばって、生命保険の受取人は蒼子になっとるとさねぇ。大した金額じゃなかとけど、蒼子は働いた事も何もした事なかけんね。やけん(だから)、蒼子にしとったとさ。』

『うん、解った々。気にせんでよかけん。』

智久と絹子がもう少し踏み込んだ話しをしていると、風呂場の方で蒼子が上がって来る音がした。

『あんた、蒼子の上がって来るごたっよ。二人してコソコソしとったら、あん子、またはぶつっよ(不貞腐れる)。また、今度ゆっくり話そうや。』

そう言って、久々の帰郷初日は終わった。そして五泊六日の帰郷は、あっという間に過ぎて行った。智久は翌日の帰京に向けて、職場等へのお土産を買ったりしながら母・絹子との時間を満喫した。荷物をまとめていた智久に、絹子がゆっくりと話し出した。

『あんたは、孫の顔ば見せてくれると思うとったけんねぇ。本当早う身を固めなさい。四十になったとやったら、直ぐ五十になっとやけんね。』

智久は、苦笑いしながら応えた。

『御免々、まぁ、今からでも見せてやっけんあと十年は頑張らんと。』

『あら、そいわ見せてもらわんといかんねぇ。』

絹子は、チャロの頭を撫でながら言った。

『あぁそいと、姉さんの事やけど。』

『何ね、蒼子が何?』

『何かあったら、直ぐ電話すっとよ(するんだよ)。何時でもよかけん、何かあったら直ぐ連絡して。』

智久は、少し考えてここまで言う事で我慢した。母の不安を煽る様な感じで帰京するのを、どうしても避けたかったからだ。こうして、大型連休を利用した帰郷は終わった。一応癌の転移を克服して、順調な母の様子を確認出来たので安心はした。しかし抗がん剤を投与しての家事洗濯など、姉との生活の問題も確認出来てしまった。智久は、これを何とか解決出来ないかと思いながら東京へと戻った。

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