第5話 余命宣告

 大型連休も終わり、智久はいつもの慌ただしい日常に戻っていた。そんな中、一息吐こうと仕事帰りに近所の地鶏料理屋に立ち寄る。以前よりたまに立ち寄っていた店なのだが、母・絹子の闘病生活が始まってからは寄らなくなっていた。店に入ると、奥の方から絵里が智久に手招きをした。

『トモ君こっちこっち。』

智久は、軽く微笑んで手招きをする絵里の下へ向かった。

『お待たせ。ごめん絵里ちゃん、遅くなっちゃった。』

『いいよ、全然。私も、今来たばっかりだから。取り敢えずトモ君の好きな鶏皮の串焼きをタレで、あとは適当に頼んどいたね。・・・・何呑む?』

『ん〜、生中で。』

二人は乾杯を済ませて、一息吐いたところで絵里が聞いた。

『どうしたの?田舎から帰って来て、何か眉間に皺寄せてる事が多いよ?』

『う〜んお袋の体調は大丈夫そうなんだけどさ、・・・・・。』

『お姉さん・・・・の事?』

智久は絵里を見ながら、小さく頷き話し出した。



 

 それはもう、二十年以上前になるのだが。蒼子が武蔵川音大の大学院に進んで、一年が過ぎようとした時の事だった。

プルルル・・・・プルルル・・・・

日曜日の昼過ぎに、琴美家の電話がけたたましく鳴った。高校生で思春期真っ只中だった智久は、電話に気付きながらも全く出る素振りを見せずに寝っ転がっていた。

『ほら〜、電話に出てくれんね。お母さん、今手ぇ〜放せんけん。』

『・・・・・・・。』

『ほらぁ〜、よぉ〜せんねぇ。電話ぁぁぁ〜!』

『チッ・・・・あぁ〜はいはい、解った々解ったって。マッジでっ、やぜかのぉ面倒臭ぇ。』

智久は、ゆっくりと起き上がり電話をとった。

『はいっ、もしもし琴美ですけど。』

すると受話器の向こう側で、ドギマギした感じの五十代であろう男性が話し出した。

『私、武蔵川音楽大学の河浦かわうらと申しますが、琴美蒼子さんの御実家で間違い御座いませんでしょうか。』

智久は、きょとんとした感じで返事をした。

『はぁ、琴美蒼子は自分の姉ですけど。・・・・どういった御用件でしょうか?母は今ちょっと電話に出れないので、よろしければ御用件お伺いして折り返し電話させますけど。』

智久がそう言うと、河浦は少し考える感じで間を取り話しだした。

『そうですか、あの〜・・・・つかぬ事をお伺い致しますが・・・。蒼子さんは、御在宅ですか?』

『はぁ・・・・?』

あまりにも意外な質問に、智久は大きな声が出てしまった。

『あぁ、すみません。姉でしたら東京にいますんで、こちらには帰って来ていませんけど。』

『あぁ、そうですか。でしたら、お母様がお手隙になったらお電話頂ける様お伝え願えませんか?』

『畏まりました。武蔵川音楽大学の河浦先生ですね。』

智久は、家電いえでんのディスプレイを見ながら

『今お掛けの、番号でよろしゅう御座いますか?』

『はい。蒼子さんの件でお話したい事が御座いますんで、出来れば早くご連絡いただきたいんですが。』

智久は、炊事場で何やらやっている絹子を見ながら応えた。

『はい、畏まりました。そうですねぇ、十分程でお電話差し上げられると思いますんでよろしくお願い致します。』

『そうですか、お待ちしておりますんで御丁寧にどうも。それでは、よろしくお願いします。失礼致します。』

『はい、失礼致します。』

智久は電話を切り、ディスプレイの番号をメモしながら、炊事場の絹子に向かって言った。

『お袋〜、なんやら東京の先生やったんやけど。』

『・・・・・。』

智久は、返事のない炊事場に向かいながら話した。

『お〜い、お袋〜!』

炊事場には、椅子に乗って換気扇のフードに頭を突っ込んで掃除をしている絹子の姿があった。

『お〜い、お袋!』

絹子は椅子から降りて、智久に呆れた様に言った。

『何ね、もう少しで終わるんやから待っときなさい!』

『んっ、いや別に良いんやけどさぁ。今〜、河浦っていう東京の先生からの電話やって。何か、訳の分からん事言いよったけどこのオッサン。』

絹子は、智久を呆れたように見ながら言った。

『大学の先生よぉ、アンタじゃあるまいし訳の分からん訳なかろうが?』

智久は、少しニヤけながら応えた。

『我が愛おしい息子に、そいは言い過ぎじゃろが。』

絹子は、悪びれる事なく続けた。

『い〜やっ訳の分かっとる子やったら、まぁ〜ちっと勉強でけるやろ。そいで、先生は何て?』

智久は、頭を傾げながら言った。

『いやぁ〜マジで訳分からんよ、蒼子さん御在宅ですか?げな(だってさ)。』

絹子は、不思議そうに智久を見ながら言った。

『河浦先生が?いやぁ、そがん事言わんさぁ。アンタの聞き間違えやろ。』

『いやぁ〜そがん事なかって、蒼子さんの事でお話したい事があるって言いよったんやから。お母様が、お手隙になったらお電話いただきたいってさ。お・か・あ・さ・ま。』

揶揄からかいながら言う智久を見ながら、絹子は表情を曇らせた。なぜなら、今まで教師から電話が掛かるのは、智久の事でばかりだからだった。

『アンタなら解るけど、・・・・蒼子にね。』

『あ〜、十分もすれば手空くやろけん、折り返し掛けさせますって言うとったよ。早う今すぐ掛けてみんねぇ。』

そう智久が勧めると絹子はゴム手袋を外して手を洗い、前掛けで手を拭きながら電話口に向かった。

『そこにメモしとるやろ、そん番号に電話してってさ。何か、急いどるごたったけんねぇ。何かあったんかんしれん。』

『嫌らしか、いらん事言わんと。』

そう言いながら、絹子は河浦に電話した。

プルルル・・・・プルルル・・・・ガチャ

『もしもし、河浦先生ですか?先程はすみません、琴美蒼子の母です。』

『いえいえ、こちらこそお忙しい時に電話したみたいで申し訳御座いません。』

『とんでも御座いません。それで、蒼子の事で何か御座いましたでしょうか。』

河浦は、一呼吸置いて話し出した。

『・・・・申し上げ難い事なんですけど、実はここ二ヶ月程レッスンにいらっしゃらないんです。ですので、御実家で何かあって帰郷されてるのかと思いまして、お電話差し上げた次第で御座います。』

『えっ!二ヶ月も前からですか?』

『・・・・はい。隔週一回のピアノのレッスンを、連絡も無いままお休みになっておりまして。』

『えっ、はっはっ・・・・はい。』

『お休みするにしても、何の連絡も無いというのも気になりましたし。そういう生徒さんではないと思いましたんで。もしもの事も考えて、お母様にお話した方がよろしいかと思いお電話したんですが・・・・。』

智久は、震えながら自分の方を見ている絹子に変わって受話器を取った。

『あっ、すみません。お電話変わります、先程話しさせてもろうた弟です。すみませんがちょっと、母が驚いたんかな?会話が難しそうなんで、差し支えなければお聞かせ願ってよろしいですか?』

智久は、そう言って電話機のスピーカーモードのボタンを押した。

『ああ、そうですね。・・・・驚かれますよね。』

智久は、河浦の声がへたり込んでいる絹子の耳にも届いているのを確認して続けた。

『すみません。お手数ですが、もう一度初めから話していただいてよろしいでしょうか?』

河浦は絹子に言った事を、丁寧にもう一度繰り返してくれた。

『そうですか、二ヶ月もですか。あの〜河浦先生は、その他の講義等で姉に会う機会はあったんですか?』

『・・・・いえ、私が蒼子さんとお会いするのはピアノのレッスンだけなので詳しくは解らないのですが。他の生徒の話しによると、校内では全く見ていないという事なんです。』

『そうしますと、二ヶ月程前から大学には顔を出していないのではないのかと言う事ですね。』

『そうなんです・・・・。』

智久は、まだ震えている絹子を見ながら続けた。

『こちらには何の連絡もしてきていないので、母もまさに今知って驚いている次第です。言い方悪いですが姉がサボって部屋に閉じこもっていたり、遊びまわっているくらいならまだ良いんですが。自分が知る限り、そういう姉でもないですしね。』

その時に、河浦が言い難そうに話した。

『実はここ数年うちの大学の校門付近や近辺で、新興宗教団体の勧誘が問題になっていまして。蒼子さんと似た様な欠席をしていた学生が、新興宗教団体での活動中に保護された前例も御座います。それが、気になりましてご連絡差し上げたのですが。』

智久が振り返ると、絹子は頭を抱えでへたり込んでいる。

『解りました、色んな可能性があると思います。実際本人がいつからいなくなったのかも含めて、早急にしっかりとした状況把握をせんといけんという事ですね。』

『はい、今はここまでしか解らないのですが。』

『こちらと致しましても、父も外出していて直ぐに何か動けるという状況でも御座いません。父が帰宅次第話して、どの様にするかを決めてもらわんといかんのです。そうした場合に、大学にこの件で相談する窓口などは御座いますか?』

河浦は、少し困った感じで返事をした。

『いえ、大学には窓口が御座いませんので、警察に相談していただくという事になります。』

智久は、溜め息を吐きながら返した。

『そうですよね。兎に角、父が戻り次第相談します。恐らくは父なり母なりどちらかが、東京に行かにゃぁどうもならんと思いますんで。』

『そうですね。私ももう少し生徒達に聞いてみますんで、何か御座いましたら気兼ねなくご連絡下さい。』

 この様なやり取りの後、帰宅し父に報告をした。家族会議の結果、両親共に上京。姉のマンションを拠点に、河浦先生の協力を得て両親は姉を探す事となる。

まずは警察に届けを出す前に内輪で探すという事になるのだが、姉の捜索を始めて直ぐに如何わしい宗教団体の影が浮き出てきた。智久はというと、一人実家で何だかの連絡が入ってこないか(自殺や事故死等の連絡)を待ちながら学校へ行く。そして、夜に両親と連絡を取り合うという生活になった。まだスマホも携帯電話も無い時代ゆえ、この様な手段を取る以外なかったのだ。

そんな生活を一月程続けたある日、智久を一人で実家に置いておくのも限界だという事となり一旦絹子だけ戻る事となった。東京からの最終便で絹子が帰宅し、疲れ果てて風呂に入った時に電話が鳴った。

『はいもしもし、筒井ですけどもどちら様でしょう?』

夜十時を過ぎた電話に、緊急の匂いを感じ取って智久は電話に出た。

『夜分遅くに申し訳御座いません。河浦と申しますけども、お母様いらっしゃいますでしょうか。』

智久は、少し緊張しながら応えた。

『すみません。今し方戻りまして、丁度お風呂に入ったところなんです。よろしければ言伝ことずてしますけども。』

『ああ、そうですか。お疲れでしょうね。・・・・実は蒼子さんの事で、お伝えしたい事が御座いましてお電話差し上げたのですが・・・・。』

河浦は、少し間を置いて話し出した。

『そうですね、そしたら言伝していただけますか。』

『はい、畏まりました。』

『実はうちの生徒で、池袋の駅前で蒼子さんによく似た人を見かけたという生徒がおりまして。』

『はい。』

『先程蒼子さんの部屋にお電話したのですが、留守番電話になっておりましたのでご実家に電話した次第なんです。』

『ああ、そうなんですね。』

『それで、この池袋の駅前って言いますのが気になりましてね。宗教団体に勧誘されたうちの生徒が、よく見つかる場所なんですよ。』

『・・・・解りました。母に伝えますんで、明日朝にでも電話させますがよろしいでしょうか?』

そう言う智久に、河浦は被せ気味に応えた。

『いえ遅くても構いませんので、お風呂から上られましたら連絡していただける様にお伝え下さい。』

『畏まりました。その旨伝えます。本当に、ご迷惑おかけします。』

『いえ、とんでもない。弟さんもご心配でしょうが、きっと見つかりますからね。』

『はい、有難う御座います。失礼致します。』

智久は電話を切り、風呂場の扉越しに絹子に言伝を伝えた。

『えっ、直ぐに掛け直して良いって言ってた?』

『うん、遅うても構わんけん電話下さいげな。』

それから急転直下。東京の蒼子の部屋にいる父に連絡を取り、翌日池袋駅前で布教活動のビラ配りをしている蒼子を保護するのである。




 智久は今でも鮮明に憶えているこの出来事を、絵里に話し終えたところで溜め息を吐いた。

『ふぅ〜っと、こんな感じの事があってさぁ。かなり、ヘビーな姉さんなんだよね。つっても、もう二十年以上も昔の事なんだけどさ。』

『あの、ショートメールを送って来たお姉さんだよね。』

『うん、そう。その、お姉様なんですよ。』

智久は、ちょくちょく絵里に相談していた。恋人ではあるのだが、姉の事は身内の恥だと戸惑いもした。だが、思い切って相談していたのだ。もしもの時の為に。

『でもさ・・・・お母さんの病状がいい方向に向かってるって言うし、取越し苦労に終わるって。きっと。』

智久は、気を遣ってくれる絵里の優しさに甘えた。

「親孝行したい時に親はなし」とは松下幸之助さんの金言なのだが、智久はまさにそうならない様に出来る事をしてあげたいと思っていた。




 それから十日程が過ぎた頃、智久は仕事帰りに同僚と食事をして家路に着いた。道すがら、自分の背後に何やら気配を感じて振り返る。すると、猫が威嚇して身構えていたのである。

『ハァ〜なんや、ニャンコかぁ。』

溜め息交じりにそう呟いた時、スマホのバイブに気付いて電話に出た。

『もしもし。』

『あ〜智久ね。もう帰っとっと?』

『うんにゃあ、今帰りよるとこ。どうしたぁ?』

智久は、嫌な何かを感じながら聞いた。

『ん〜私ね、今日病院の日やったとさ。』

『うん、・・・・どうした?』

『今日ねぇ、・・・・余命宣告ば受けた!』

『はぁ?何やそい!だって、・・・・ついこの間抗がん剤の投与ば止めるかもって言いよったんじゃろ?そいが何で?』

『ん〜分からんとけど、そがん言われたとさねぇ。あと、三ヶ月って・・・・。』

愕然として立ち止まった智久の横を、猫がゆっくりと歩いて行った。

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