第6話 其々の決意(前編)

 突然の電話で衝撃を受けた智久は、その場に立ち止まったまま動けずにいた。

『アンタァ〜聞こえとるとねぇ?』

絹子の声で我に返り、智久は謝りながら返した。

『んぁ〜、御免々。そいで?』

動揺する智久に、絹子は優しく話しかける。

『アンタが動揺してどがんすっとね(どうすんの)?』

『んっ、おっ・・・うん。』

『私は、とぉっくに覚悟しとったけん。』

『うん。・・・・っで、明日から入院すっと?』

『そいが余命宣告した後の患者は、大学病院には入院出来んとげな。』

『えっ・・・・!』

『でね、恵比寿病院かフランシスコ病院のどちらかに入院する事になるらしか。』

『そしたら、どっちにするか決めんといかんねぇ。』

そう聞く智久に、絹子は信じられない程淡々と話し出した。

『そいがさ、入院するとに面接の予約ば取って下さいって言うとさね。しかも、一番早か日で二週間後って言うとさ。三ヶ月以内には死んでしまうって言うとにさぁ、面接すっとに半月も待たんといかんとげなさ。そいば聞いたらねぇ、何か馬鹿んごたるねぇって思ってねぇ。』

まるで他人事の様に話す絹子に、智久は驚きながら返した。

『まぁ治療しながらなんやろうから、三ヶ月って言ってもあくまで目安として区切ったんやろうからさ。半年やら、・・・・一年やらって伸びるんやろうし。』

そう信じたいという話し方をする智久に、絹子は少し自虐的に笑いながら返した。

『先生にお盆過ぎて秋とか、もっと先のクリスマス迄とか、どうにか頑張る事は出来んのやろうかって聞いたとさね。そしたら、無理のごたるって言うとさ。そんだけ、全身に飛び散ったごと転移しとっとげな。』

『うん・・・・。』

智久は、母・絹子の覚悟の強さを感じながら、声を振るわせながら返事するのが精一杯であった。

『そいでね、私はずっと家にる事にしたかとさねぇ。』

『うん・・・・そいはよかばってさ、姉さんには言ったと?』

『うん、さっき言った。三ヶ月しかなかとに、面接やら入院やらに時間取らるっとは勿体なかけん。』

『流石に、姉さんも解ってくれたろ?』

『ん〜何も言わんやったけど、いつもの事やしねぇ。もう私も、蒼子の事ばそこまで気にしてやられんけんねぇ。』

『そっかそっか。うん、家に居っとかんね。そうせんね。』

『そいでね、アンタに言うとかんといかん事のあっとさ。』

『なん?』

『アンタが、この間帰って来てくれた時に話ししてくれたやろ。何とか会社の清算するとは、今月中に終わるとげなさ。そいやけん不動産の事は、言ったごと売れるうちに売りなさい。』

『ああ、解った。まぁ、そんな事よりも自分の体ん事ば考えんと・・・・』

智久の言葉を遮る様に、絹子は話しを続ける。

『智久、よう聞いときなさい。お母さんはね、お父さんの亡くなった時に苦労したけん解っとっとさ。よかね、不動産屋さんにはもう何年も前から言っとっと。出来るんやったら、アタシの生きとるうちに直ぐにでも売ってしましなさい。』

智久は、戸惑いながらも返事をした。

『うん、・・・・解った。』

『よか?いくら不動産持っとっても、税金は現金で払わんといかんとやけんね。税務署は現金でしか受け付けてくれんし、分割するにしても凄か金利ば取らるっとよ。蒼子にも、そん事はさっき言ったとさね。』

『・・・・そうね。』

『でも何の返事も反応もせんけんで(しないから)、アンタがちゃんとせんといかんとよ。』

『うん、解った。・・・・そっち帰っけん。』

『なん馬鹿んごと言いよっとね。智久、しっかりせんね。今日明日死ぬ訳じゃなかとよ。一月ひとつき二月ふたつきも仕事休んでどがんすっとね!』

『あっ・・・・うん・・・・。』

『そがん慌てんでよかけん、お母さんが言うた事忘れんごとしとってくれんね。アンタ男なんやから、こがん時こそアンタがしっかりせんといかんとやけんね。』

『うん、・・・・解った。』

『もう、家には着いたとね?』

『うんにゃぁ、もうちっとかかる。』

『そしたら、気を付けて帰らんねよ。また、電話すっけん。』

『うん、じゃっ。』

智久は、呆然としたまま帰宅して大きく溜め息を吐いた。

そして、蒼子にショートメールを打った。


「明日、正午に電話します。お袋の事で話しをしたいので、必ず出れる様にしておいて下さい。」


智久は入院せずに自宅での最後を選択した母親を、最大限にバックアップしてあげたいと思った。なので蒼子と、その相談をしようと思った。そして最後くらいは、母親の世話をして欲しいと頼もうと思っていた。

 自宅に帰るっと、珍しく絵里の方が早く帰って来ていた。部屋に入るや否や、絵里は智久の顔色が悪い事に気が付く。

『トモ君、どうしたの?』

何も言わずに悲しい目をした智久を、絵里は強く抱きしめて言った。

『お風呂沸いてるから、・・・・先に入っちゃいなよ。もう少ししたら、夕飯も出来るから。』

『うん、・・・・・有り難う。』

スマホをテーブルに置き、智久はいつもよりも長く風呂に入って頭の中を整理しようとした。出来る限り事のをしてあげたいと思い、明日蒼子との相談内容を頭の中でまとめていった。

『ふぅ〜、兎に角やれる事をやるしかないかっ・・・・。』

智久は、独り言を呟きながら大きな溜め息を吐いた。




 翌日智久は午前の業務が終わると、直ぐに蒼子に電話をした。当然、余命宣告を受けての今後の相談である。なんだかんだ言ったところで、絹子の側に居るのは蒼子なのである。残された時間を、如何に過ごして行くのかは蒼子次第と言っても過言ではないのだから。

プルルル・・・プルルル・・・プルルル・・・・

『・・・・?』

プルルル・・・プルルル・・・プルルル・・・・

もしかしたら、母親に何かあったのか?智久がそう思った瞬間・・・・・

『はいは〜い、もしも〜し?』

蒼子は、呆れるほど能天気な感じで電話に出た。

『あっ、昨日の・・・』

智久がそう切り出した刹那、蒼子が軽い感じで遮った。

『携帯の充電が切れそうなんで、かけ直しま〜す。』

ガチャッ・・・・

智久は余りにも緊張感のない蒼子の対応に、信じられないのと同時に呆れて呆然とスマホのディスプレイを見つめた。

「あれ?お袋が余命宣告を受けた事を、姉さんはまだ知らされてないのか?いや、そんな事はないだろう。昨日のお袋の電話では、姉さんにはもう話したって言っていたんだから。それなのに、あの久しぶり〜元気?みたいなノリは何なんだ?」

智久はスマホのディスプレイを見つめたまま、今の状況を把握しようとしていた。

『だとしても、何かえらく楽しそうに感じたな?』

そう呟いて智久は、自販機でカフェオレを買い蒼子からの電話を待った。

五分・十分、・・・・カフェオレを飲み終わっても電話は掛からない。そして、十五分・二十分経っても蒼子からの電話はない。蒼子の電話を待ちながら、智久は昔の事を思い返していた。


 


 あれは蒼子が受験した、武蔵川音楽大学の合格発表の日だった。子供の頃からレッスンをしてくれていた、ピアノの先生と上京して合格発表を見に行っていた。絹子は今や遅しと蒼子の連絡を待っていて、風邪をひいて学校を休んでいた智久も偶然居合わせたのだ。田舎から東京の音楽大学に進学するなんて当時は珍し事で、蒼子の通っていた女子校でも話題になっていたほどだ。午前中に一度、蒼子の通う女子校から電話があった。何でも他の生徒も気になっているので、結果が分かったら連絡をくれないか言ってきたのだ。

母はそれを快諾していたのだが、それを聞いていた智久は「落ちてたらどうすんだろう?」と思ったものだ。まぁ、それだけ田舎での注目度が高かったわけだ。

昼になり、両親がソワソワしながら待っているのを智久はぼぅと見ていた。

十三時になり、十四時になっても連絡はない。

両親は揃って、

「きっと落ちてたんで、電話出来ないんでいるんだ。」

と言っていた。きっと今頃、ピアノの先生に慰められてるのではないかと。そして蒼子の女子校にも、連絡がないので恐らくダメだったんだろうと電話をした。そんなこんなで日も暮れて夜になり、落ち込んで連絡出来ないままの娘をどうしたものかと相談していた時に一本の電話が掛かった。

『はい・・・・はい、ええっ!』

電話をとった母親の驚きの声を、智久は今でも鮮明に覚えている。

ピアノの先生曰く、一緒に合格発表を見て蒼子の合格を確認した。一緒に喜んでいたかったのだが、他の予定があった為に一度蒼子と先生は別行動となったらしい。そしてお祝いに食事でもと合流したところで、まだ両親に合格の連絡をしていない事を聞いて電話をしたとの事だ。

 そういう、変な行動を平気でする姉だった。人が嫌がる言葉を敢えて使ったり、人が困る事を敢えてやる。その時の事を思い出しながら、智久は蒼子からの電話は掛からない気がした。そういう信じられない行動を、蒼子は昔っからするのだ。

勿論、母親が余命宣告を受けたこの状況でも然り。

そうしているうちに十三時になり、智久は午後の業務に取り掛かった。




 少しイラつきながらの午後の業務に時間がかかり、十九時過ぎに会社を出ての帰り道に智久のスマホが激しく震えた。

『はい、もしもし琴美・・・』

相手は、お構いなしに被せてきた。

『もしもし琴美ですけど、お昼はすみませんでした。それで、どういった御用件でしょうか?』

智久は、イラつきを抑えながら要件を話した。

『どういう要件かが解らない?昨晩のショートメールは、見てもらえてますよね?』

蒼子は、能天気な感じで応える。

『ええ、もちろん。だから、お電話してますけど?』

智久は、落ち着くように溜め息を吐きながら話した。

『ふぅ〜、だったらお袋の余命宣告受けた話し以外ないでしょう。それで、お袋が入院せずに自宅での生活を選択する旨は聞いたと思いますが?』

『はいはい、聞きましたよ。』

軽い感じで話す蒼子に、智久は少しペースを乱しながらも続ける。

『お袋は往診の段取りとかも説明済みって言いよったけど、そいで間違いないんだよね?』

『はい、大丈夫ですよ。』

『それと、会社の解散は今月中に完了するって事で大丈夫ですね?』

『・・・・・。』

智久は、返事しない蒼子に構わず進めた。

『他に、幾つかある不動産の売却の件も大丈夫ですよね?』

『・・・・・。』

智久は大型連休に帰郷した時にも気になっていたのだが、蒼子は会社の事や不動産の事になると返事をしない。「何かあるのか?」

『大丈夫なんだよねぇ?』

『・・・・・。』

『こがん時に、辞めてもらえんかなぁその病気!』

『・・・・・。』

智久の我慢も、限界を超えた。

『あんさぁ、おいはお袋の見送り方をしっかりしたいんよ。アンタに付き合うとる暇なんかなかとて!五十手前の婆さんなんやから、返事くらいする様にしてもろうていいかな?』

『・・・・・。』

蒼子は、・・・・何も言わない。

『大体何なんやわいゃ!昼に電話取れる様にって、態々前もってメールして電話してくれる奴なんぞおらんぞ。そんで、そうまでして掛けた電話に充電ないって?これが仕事の相手なり会社の人間やったら、信用も何もしてもらえんごとなるやろう!そん挙句、掛け直しの電話が夜?こんクソ馬鹿たれが!』

『・・・・・。』

智久は、堪えていたものが弾けた。

『東京に居る者が口だけ出すのもって思って我慢しとったけど、アンタお袋の世話なんぞ何もしよりゃせんやかね!入院しても、見舞いにゃあ行かんし月二回の送り迎えもせん!自宅に居りゃあ、炊事洗濯は全部病気のお袋にさせよるし。お袋が、なんか頼んでも返事もせんのやろうが!』

『・・・・・。』

『そいやったらもうよか!何もかんも、ぜ〜んぶおいすっけんやるからよか!明日そっち帰って全部おいがすっけん。お袋の看病も、送り迎えも往診の手続きも。』

『・・・・・。』

『あぁ、そいから会社の後始末から不動産の・・・・』

そこまで言ったところで、蒼子が遮った。

『大丈夫です、・・・・大丈夫ですんで。こちらで、全部キチンとやれますから。』

『はぁ?ふざくんなよ(ふざけるな)、わいやぁ・・・・・』

そこに、いきなり母・絹子声が割り込んで来た。

『智久、落ち着きなさい!智久。』

『えっ・・・??』

優しく宥める様に、絹子が話す。

『止めなさい智久、アンタみたんなかみっともない。』

『あぁ、御免々。しかし、・・・・何で?』

『何でってね。下にトイレに下りて来たらアンタ、蒼子が電話口で突っ立っとるやなかね。そいで、二階の受話器取ったらアンタがヤンヤン言いよるけんさ。』

『そうねぇ、御免ねぇ。あん馬鹿たれが、あんまいスッ恍けるとるけんさぁ。』

智久は、そう言いながらスマホのディスプレイを見た。ディスプレイには、「実家」の文字。

「あぁ〜蒼子のスマホからじゃなかったんだぁ。」

智久は、心の中でそう叫んだ。

『よかねぇ智久、帰ってこんでよかけんねぇ。ちゃんと明日も仕事に行きなさいよ。アタシは、最後までいつもの様に暮らすんやから大丈夫。』

『うん、・・・・解った。』

『はいそしたら、ケンカせんごと話しなさい。お母さんは、お風呂に入っけんねぇ。じゃあ、ケンカせんとよ!』

そう言って、絹子は受話器を置いた。

『じゃあ兎に角、お袋の事最優先でやって行くって事でいいですね!』

『はい。大丈夫です。』

『そしてお袋の容態がいつどうなるのか分からんので、いつでも必ず連絡が取れるようにする事。出来ますか?』

『はい。大丈夫です。』

『これは電話に一瞬だけ出て、充電がありませんのでまた今度みたいな事では困りますよ。今日のごと(今日みたいに)!それが、貴方に出来ますか?』

『大丈夫です。』

蒼子は、あからさまに不貞腐れて応えた。

『じゃあ兎に角、お袋に負担の掛からんごとして下さい。じゃっ。』

智久は電話を切ると、大きく息を吐いた。

『ふぅ〜。本当に大丈夫かな?』

そう思いながらも明日帰郷するっていうのは、現実的にどう考えても無理な事とは解っていた。解ってはいたが、そうしたいと思っているのも間違いなかった。

それだけ、母・絹子の生活環境を変えたいと思っている。そして、カッとなって捲し立てながらも気になった事がある。そう、会社や不動産の事になると違和感を覚える蒼子の態度である。

『そういや、天麩羅屋で奇声上げた時も会社の話しをした時やったなぁ。』

この時にはまだ、智久は気付けずにいた。蒼子が何故、この様な反応をしていたのかを。蒼子が、何を考えているのかを。




 蒼子は智久との電話を切り、自室へ戻ると直ぐにスマホを手に取った。

プルルル・・・・プルッ

『もしもし、・・・』

『すみません、琴美ですけど。教えてもらった通りにやっているんですけど、弟が何かと五月蝿く言ってくるもんなんで。』

『いいですか、二十年も家に居ない弟なんて他人と同じなんですから。相手は、きっと良からぬ事を企んでいるんです。貴方を、そんな馬鹿な弟と一人で戦わせませんから安心して下さい。』

電話の向こう側の声に安心したのか、蒼子は肩の力を抜いて返事をした。

『はい。有り難うございます。』

『いいですか、まずは・・・・・・・』

蒼子は頷きながらも、途中々微笑みながら返事をして会話をしている。絹子や智久には、一度も見せた事のない笑顔で電話をしながら夜は更けていった。

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