第11話 地獄の釜の蓋(後編)

 十八時になり、二十人位の弔問客を迎えて通夜が執り行われた。智久は、席に着いて物思いに耽った様にちゅうを見つめていた。父親の時にはなかった、虚無感を抱いていた。父親に対しての感情が薄かったと言うよりも、黄泉へ旅立つ順番の差であろうと思う。母の死と共に、頼れる何かを失った感じが襲って来たのだ。

父親の時には、「まだ、お袋がいるから。」と言う気持ちがどこかにあったのであろう。ただ母・絹子を失った事で、帰る故郷が無くなった感覚を感じていた。

 通夜が終わり十年二十年と長い間会っていなかった親戚等との挨拶の最中、智久の耳に蒼子の声が聞こえてきた。

『ええ、そうなんです。余命宣告を受けてから、直ぐだったんで何にもしてあげられなくて。それが、すごく残念で々心残りなんです。』

会う人会う人にそう言って目を潤ませて語っているのだろう事を背中で感じ、智久は怒りを抑える葛藤していた。


「余命宣告を受けて三週間は有ったのだから、何かをしてあげる時間は少なからず有っただろうと。しかも、闘病生活が始まってから何もしてあげなかったのはお前・・だろうと。」


智久は、はらわたの煮えくり返る思いでいた。よくもまぁ、そんな事が言えたものだと。そしてさっきの暢子が話していた通り、二・三日前迄余命宣告の事は知らなかったと皆に言っているのは何故なのかと。何で、そんなつまらない嘘まで吐かなければいけないのか。

 今日帰って来てから見せられた、会社存続の為の名義変更の書類にしても可笑しと思っていた。母・絹子の言っていた事とは違うが、会社を残したい継続して営んでいきたいと思うのは勝手だ。好きにすればいいのだが、そう言ったところであの書類を作った人間が他にいる筈なのだ。実家には、ワイファイも通っていなければパソコンも無い。さっきは電話中でもあり、軽くしか目を通しはしなかったが、蒼子一人でそこまで出来る訳がない。そんな事を思いながら弔問客へお礼を述べていた時、暢子が肩卯を叩いて休憩室に呼んだ。

『トモ君、思い出した。さっきの人、おばちゃんのきろうとった(嫌っていた)税理士の人のごたったよ。おばちゃんは叔父ちゃんの亡くなった時に、相続税の払い終わったら付き合いせんごと(しない様に)するって言いよった筈やけどねぇ。誰から聴いたとかしゃん。』

『んん、・・・・そうねぇ。』

この時には誰の事を言っているのか解っていなかった智久は、軽く受け流して弔問客の送り出しに戻った。久しぶりに会った従兄弟などとの会話の最中、母・絹子の兄にあたる叔父さんが話しかけてきた。

『トモよ、こっち田舎には帰ってこんとか?もう、ずっと東京におるつもりね?』

『うん、仕事のあっけんねぇ。どうにも動けんとさねぇ。』

『したって、蒼ちゃんは何もでけん(出来ない)やろうし大丈夫かとかねぇ?トモがいろいろしてやらんと、蒼ちゃんは困るとじゃなかか?今までは、絹子が全部してやいよったっちゃろうけん。蒼ちゃんは、一人で生活出来でくっとか?』

心配そうな面持ちの叔父に、智久は冗談混じりに返した。

『おっちゃん、言うても五十手前のおばちゃんよ。一人で出来て当たり前なんやからさ、何でもしてもらわんとね。』

『ははっ、そうか。まぁ、何かあったら言うて来んね。』

『はい、有難う御座います。』

小一時間もしないうちに弔問客はいなくなり、最後に叔父さんを見送る時に蒼子が話しかけてきた。

『今日はお泊まりですか?』

『はぁ・・・・?』

『私が居ない方がゆっくり出来るでしょうから、私は帰りますね。よかやろう?』

まあ、確かに蒼子が居ない方がゆっくり出来るに違いはないのだが。まさか自分から帰ると言い出すとは思ってもいなかったので、智久は少し驚きはしたが了承した。

『そうして下さい。高齢の方が多いから、深夜の弔問は考え難いんで。もし来たとしても、一人二人やったら一人で対応出来るんで。いいですよ、家でゆっくり寝て明日に備えて下さい。明日十一時の告別式に間に合うように、よろしく御願いします。』

叔父を見送った後、その後を追う様に蒼子も帰って行った。




 鷲巣はセレモニーホールからの帰宅途中、蒼子からの電話を受けていた。通夜が終わって、帰宅したと言うのである。

『はい、どうされました?』

『すみません鷲巣さん、今自宅に戻って来たのでお電話したんです。急いで見せなくてはいけないと言われていた書類を、まだしっかりと見てもらっていないんです。それで、どうしたら良いのかと不安だったので電話したんですけど。』

鷲巣は、首を横に振りながら応えた。

『いえいえ、気にしないで下さい。そんなに焦んなくて良いんですよ。どうせ初七日が終わるまでは、弟さんも動けないんですから。』

『・・・・はい。』

鷲巣は優しく宥める様に、そしてゆっくりと落ち着かせる様に話した。

『いいですか、会社継続の為には弟さんの印鑑証明書が必要ではあります。でも、それは弟さんが東京に帰る迄に解らせれば・・・・・いい事なんです。明日の告別式が終わると、弟さんも自宅に帰られるでしょう。それからで良いんですよ、初七日までにゆっくりと解らせてあげれば。その後東京に帰って、印鑑証明書を撮りに行くでしょう。一番大事な書類ですよって、お馬鹿な弟さんにも十分理解出来る様な簡単な書類を作成しています。大丈夫です、何も心配する事は御座いませんよ。今日はゆっくりお休み下さい。』

そう言って、鷲巣は電話を切った。

『全く困った人だ、全体の流れってもんがあるから分かるだろうに。私が特別に琴美家だけの仕事を、やっている訳ではないのを解っているのですかねぇ?ですが亡くなったとはいえ、あの屈辱のお返しはさせてもらわないとね。世間知らずの引き篭もりと、実家を出たまま帰って来なかったお馬鹿さんの弟。由緒正しい琴美家も、これでお終いですねぇ。私がしっかり、お世話をしてあげますよ。』

鷲巣はそう言いながら、自宅への帰路についた。




 セレモニーホールでの夜を、手持ち無沙汰で過ごしている智久に絵里からの電話がかかる。恐らくは帰郷初日にも拘らず、電話にメールと予想以上に智久が連絡してきたから心配なのであろう。

プルルル・・・・プルルル・・・・

『もしもし、・・・・どうしたの?』

『どうしたのって、・・・・心配になるに決まってるでしょ!』

『ああ・・・・御免々。ちょっと気になる事が多過ぎてさ、如何したものかって考えていたところなんだよ。』

絵里が不思議そうに聞く。

『会社の事以外でも、何かあったの?』

『う〜ん・・・・人格的な事以外に、物理的に姉さんには出来ない事があるんだ。メールで送った書類にしても、パソコンも何も持たない姉さんには出来ない。誰かに依頼しているのか、善意の第三者がいるのか。』

『う〜ん、・・・・・そっかぁ。』

唇を尖らせて、智久が考えながら続ける。

『それに何だろうなぁ、近所の人が言っていたんだけどさ。お袋が亡くなった後、警察が近所中に聞き回ったってさ。亡くなる前の人間関係とか、不審な事がなかっただとかね。人が亡くなった時のルーティーンだとしても、近所の人の言った言葉が気になってさ。』

『なんて言ったの?』

智久は、少し間を取って返す。

『ちゃんと、言っといてあげたからねぇってさ。』

『・・・・・?』

『絵里ちゃんにも言った様にね、姉さんの人格やら奇行って言うのかな。そういうのは、誰でも気付いていた事なんだ。近所の人でも、親戚関係から姉さんの学校関係の人までね。誰でも直ぐに気付けるくらい、姉さんの纏っている空気は異常なんだ。だから皆んな、腫れ物に触るように接していたんだよね。だから、・・・・「何事もなく仲良く暮らしていましたよって言っといてあげたよ。」みたいな言い方をしているんだと思うんだ。』

『えっ・・・・何?それって、亡くなり方が変だったの?』

『う〜ん、変っていうよりも・・・・・。俺が思っているのは、姉さんがきちんとした対応をしていれば違ったのかもなって思ってる。例えば、苦しんでいるお袋を只ぼぅっとして見ているみたいな事。余命宣告を受けていたとしても、もう少しは生きていられたのかも知れない。まあお袋の闘病中から、何もしなかった姉さんにしてみれば普通の事だろうがね。それに一番不可解なのは、・・・・・何で昼過ぎに亡くなった事を十八時になる迄連絡して来なかったのかって事なんだ。だって直ぐに電話してくれれば、その日の最終便で帰れただろうにね。こういう小さい事が何となく気になっちゃうから、警察も色々必要以上に聞きたくなるんじゃないのかな。書類を準備していた事なんかから考えると、姉さんに協力している人の何かを感じるんだよな。なんか、俺にその日のうちに帰って来て欲しくない様な何かをさ。』

絵里はまた、不思議そうに聞いた。

『何かって何?』

『悪意なのか何なのかは解らないけどさ、正直姉さんはそこまで頭の回転が速い人ではないんだよね。学業成績は良かったんだけど、機転が利かないっていうか何と言うかさ。お勉強しか出来ない馬鹿って感じの、頭の硬い偏屈人間なんだよ。そんな姉さんが、一人でこんな綿密な事は出来ない。そんな事が幾つか重なってさ、書類にしても音声にしても記録しておこうって思ってね。』

『そっかぁ〜、でもあんまり無理しないでね。それと、・・・・健康診断受けずにいるでしょう?検診日の変更までしちゃってさ。』

智久は、思わず声に出してしまった。

『あっ・・・・・』

『はい、いつもそうです〜ぅ。いつもトモ君は、病院嫌いなんで後回しにしちゃいます〜ぅ。予約日変更完了のメールが来てたよ。今度は、絶対に行きなさいよねぇ。』

『・・・・・うぃ〜っす。』

そんな会話を暫くして、智久は電話を切った。そして念の為に、セレモニーホール反対側のコンビニにお金を下ろしに行く。帰って来てから、全ての交通費からその他の雑費を出していたからである。智久はコンビニから戻り、溜め息を吐きながら少し仮眠をとる事にした。明日の告別式に備えて・・・・・。




 そして告別式当日、余り寝れなかった智久は朝六時頃から休憩室と式場を何回も行き来していた。休憩室にいても落ち着かず、式場の母の顔を見ては戻って来る。そんな事を、二時間くらい繰り返しながら過ごしていた。

「後数時間もしたら、火葬場に行き焼却されてしまう。」

そんな事を思いながら、人間とは・人生とは何なんだろうと考えだした。今の時代は上部だけの、・・・・そう上部だけの格好の良いものが兎に角好きだ。皆が平等であらねばならないという、人類の歴史も文化も理解出来ない空っぽの価値観が横行している。人種差別にしても、男女の格差や収入の格差など全てにおいて・・・・。

考えてみるといい、そもそも生まれて来る時点で平等なんて価値観は存在しないのである。生まれて来る時代も国も、親も性別から身体的な障害に至るまで何一つ平等に割り振られるものはないのである。にも拘らず、メディアなどでは平等という言葉で世の中を揺動しようとする。我が親を見送るにあたって、世相を切っても仕方がないのだが・・・・・。

 ただ自称ミュージシャンとしては、言葉の使い方で受け取り方からその後の影響までを利用している現代社会が気に入らないのだ。芸能人や有名人が、「皆さん選挙にいきましょう。」やら「期日前投票で○◯さんに投票しました。」なんてやっているのを見ると尚更だ。「プロパガンダじゃねぇかよ!」と、突っ込みたくもなるのだが世の中はそれでいいらしいのだ。智久は時折、生まれて来る時代を間違えたなと思う時がある。ギターも何も無い時代でも、人間が・・・・いや日本人が日本の文化の中で暮らしていた時代の方が良かったと。

上部だけのなんちゃって日本人の中で生きていくのは、とにかく疲れるしイライラさせられるのだ。ペットボトルのキャップをひっくり返したくらいの許容量しかない、己の常識と正義感で自分に優しく他人に厳しいどころか他人を潰す。

そして、それが罷り通る世の中。そのくせに、権力に刃向かう事は出来ない情けない精神。自分を含めて言えば、こんな日本を作る為に亡くなっていった先人達は何を思うのだろうか?子供の代の為に、孫の代の為にと戦争で命を散らされた英霊は何を思うのか・・・・・。

自分の母親の世代がいなくなっていく今、この国日本は亡くなってしまうのだろうなと思ったりもする。世代が変わるという事は、そういう事なんだろうか?

親から子へ、子から孫へと紡いで来た文化は踏み躙られている。智久は、こんな世の中に自分の子供がいなくて良かったのかも知れない。そう思いながら、棺の中の絹子の顔を撫でた。そして、呟く・・・・・

『いや・・・・何にしても、親に孫の顔を見せてあげられないのは最大の親不孝なんだろうな。俺が一番悪いや!』

智久が時計に目をやると、九時を過ぎようとしていた。

『うっし、珈琲でも飲んでシャキッとしますか!』

そう呟きながら、告別式に備えるのであった。




 十一時の告別式十分前になっても、式場に蒼子の姿が見えない。親戚も含めてどうしているのかとザワつき始めた頃に、のめのめとエレベーターから降りてくる蒼子を親戚が見つける。

『心配したよぉ〜、何しよったとねぇ。皆んな心配しよったとよ。』

親戚のそんな言葉など、鉄面皮の蒼子は意に介さない。

『銀行に行く用事があったんで、それを終わらせてから来ました。』

智久はそれを聞いて、今時ネットバンキングじゃないのも珍しいと思った。蒼子の場合は、ネットバンキングの存在さえ知らないでいるのだろう。ネットバンキングでお金の振り込みなどをするのと、銀行の窓口でやるのとでは手数料が違う事も知らないのだろう。

仮に知っていたとしても、態々時間と手数料のかかる事を敢えて母親の告別式当日にやる。琴美蒼子という人間は、そういう人間なのだ。智久は内心、来ただけでもまだマシかと思っていた。

 そしてこれから三時間くらいかけて、告別式から出棺と全てを粛々と取り行って琴美絹子は位牌と遺骨になった。

慰問者に挨拶を済ませ、智久達も実家に帰る事となった。二人は、ずっと無言のままタクシーで帰路に着く。助手席に蒼子、そして後部座席に位牌と遺骨と智久が乗って実家に着いた。助手席に座っていた蒼子は、無言のままタクシーを降りて行った。智久は金を払えとは言わないが、何故コミュニケーションをとる事を拒むのかが全く解らなかった。智久は大きく溜め息を吐き、タクシーから降りて実家に入ろうとした。だがしかし、入れない。施錠されているのである。智久は位牌と遺骨を抱えたまま、顎でインターホンを押して反応を待つ。

だが、・・・・・応答がない。智久は外で三回、インターホンを押してやっと中から蒼子の声がした。

『どうちら様ですか?』

智久はキレそうになるのを堪えて、締め出されている事を伝えた。

『俺を入れたくないんだったら、ホテルに泊まるからいい。ただ少なくとも、お袋の位牌と遺骨は家の中に入れてやれよ!今日は、一体誰を見送ったって思ってんだ?』

智久がそう言い放つと、明らかに不貞腐れて蒼子が玄関の鍵を開けた。智久は取り敢えず何も言わずに中に入り、仏壇の前に設置された台に位牌と遺骨を置いた。線香をあげて、立ち上がると部屋着に着替えた蒼子の姿があった。智久が一瞥して荷物をまとめながらチャロに絡まれていると、バツが悪そうに蒼子が話しかけてきた。

『ちょっと聞いてもらいたい話しがあるんだけど・・・・・』

智久は視線を合わせずに、荷物をまとめながら言い放つ。

『人をお袋ごと締め出しておいて、自分の都合に合わせて話しを聞け?いい加減にしてもらえないかな!俺の事がそんなに気に入らないのなら、今日から初七日が終わるまでホテルに泊まるからいいよ。お袋も可哀想に、告別式終わったら家にも入れてもらえんのやからな。もう、・・・・・お袋は用済みか?』

いつもなら不貞腐れて自分の部屋に籠るのだが、何か話しがあるのは間違いないのであろう。蒼子は、気持ち悪いくらいの作り笑顔で応える。

『それは申し訳ありませんでした。でも、会社の事で早急に聞いてもらわなければならない話しがあるんです。』

智久は、取り敢えず話しを聞く為にソファーに座った。すると、テーブルに書類の束が置かれる。その時智久は思った、何だこの準備の良さわと。昨夜の通夜が終わって帰宅してから、今日の十一時までの間にこの書類を準備したって事だ。少なくても、昨日の午前中にはなかった書類である。しかも葬儀などの請求書などではなく、有限会社コトミ関係の書類だけだという事も智久には気に入らなかった。

そこでゆっくりと蒼子が、口元を少し綻ばせて話し始めた・・・・・。

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