第10話 地獄の釜の蓋(中編)

 母・絹子の遺体を乗せた搬送車を見送った後、智久は担当の白石と打合せの続きをしていった。

『お通夜は、十八時からになります。ですので、十五時迄には式場の方へいらっしゃって下さい。それでは、私は準備が御座いますのでこれで失礼致します。』

そう言うと、白石は深々とお辞儀をして式場へと向かった。

智久は父方と母方の親戚に、母が亡くなった旨を連絡する電話を始めた。リビングで数件の電話を終え、チャロをあやしながら溜め息を吐く。すると、蒼子の電話している声がかすかに聞こえて来た。

『はい、・・・・中々タイミングが合わなくってまだなんです。はい・・・・解りました。』

智久は、大型連休の時から気になっていた。友人のいない蒼子が、一体誰と綿密に連絡を取っているのだろうかと。そして、薄気味悪い雰囲気と小芝居じみた所作。大型連休中に感じていた、違和感と何か関係があるのか?

「まさか、お袋には関係してないだろうな。」

そんな事を思いながら、親戚への連絡を続けていた。電話を掛けながら智久は、先程蒼子が差し出した会社関係の書類を何気に手に取った。

『ええ、そうなんです。はい。それで、今日の十八時から通夜を・・・・・』

連絡をしながら、軽く目を通したその内容に智久は我が目を疑った。


「(有)コトミ継続の為の名義変更手続きについて」


智久は、怒りを抑えながら書類を目で追った。


一、会社の名義変更に伴い、お互いが五十パーセントずつの株主になる事。


一、不動産管理業が主たる業務となる為、地元に居住する蒼子が代表取締役になる事  とする。


一、現代表取締役(琴美絹子)の死去に伴い、名義変更の為に新役員の印鑑証明書が  必要な事。


「何なんだこれは?会社継続?今月中に解散してしまうって言っていたのに?」

智久は電話を切り、スマホのカメラで書類を急いで撮った。そして今夜から告別式が終わるまで、構ってあげる事の出来ないチャロを散歩がてら外に出た。撮った画像のバックアップを確認して、絵里に電話をかける・・・・・。




 智久が実家に帰ってからの数時間で、鷲巣は蒼子から幾度も電話を受けていた。弟が帰って来たというので、細かい確認をしたいという事らしい。それを、面倒臭そうに鷲巣が対応している。

『葬儀場に行く前に、大まかな話しをしといた方がいいですよ。今日と明日は、バタバタしてしまうと思うんでね。』

『・・・・・。』

『そうですか、まあまだお昼前ですんで頃合いを見て言って下さい。その方が、後々何かとやり易くなりますんで。』

『・・・・・。』

『はい、お通夜には行かせていただきます。弟さんに、挨拶しておいた方がいいでしょうからね。では後程。』

電話を切って、鷲巣はパソコンのモニターを睨み付ける様に作業に没頭した。そうしながら、十数年前の出来事を思い返していた。十数年前智久と蒼子の父が亡くなった後の相続税、その納付までのやり取りでの事を。

『私はあの時の屈辱・・・・いや侮辱は、決して忘れていませんからねぇ。琴美の奥さんは、あの時態と私に聞こえるように罵ったんだ。この私を、・・・・絶対に許しませんからね。由緒正しい琴美家だと?お返しは、・・・・しっかりとね。』

鷲巣は、そう呟きながら作業を続けた。




 その頃東京では、絵里がバタバタと引越しに合流した所だった。絹子の受け入れが中止になった為に、財前の妻に連絡を入れて色々な手続きを止めいたのだ。それでも不動産の契約は関係ないので、ちょっと広いが新居に住む事になる。そんな引っ越しの最中さなか、絵里は智久からの電話を受ける。

『はいもしもし、どうしたの。そっちに行こうか?』

こんなに早く電話があるなんて。絶対に何かがあったに違いないと思った絵里は、焦って矢継ぎ早に畳み掛けた。

『うん、有難う。でも、まだ大丈夫。』

『本当?じゃあ、どうしたの?』

智久は、確かめる様にゆっくりと話し出した。

『パソコンって引っ越し中か、・・・そしたらタブレット置いていったの解る?』

『えっ、そうなの?ちょっと待って。』

絵里は、智久の私物を纏めている段ボールを見てみた。

『う〜ん、あっ・・・・あったあった。ヤス君あったよ。』

『開いてみて、パスワードは⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎だから。』

『うん、わかった。』

パスワードまで言って開けてくれって、一体何事なんだと思いながら絵里は智久の言う通りにした。

『オッケー、開いたよ。それでどうすんの?』

『じゃぁ、メール開いてみて。今さっき、・・・・こっちで書類の写真撮って送ったんだけど。』

絵里はメールを開いたが、アドレスが二つある。

『ヤス君、アドレス二つあるよ。どっち?』

智久は、音楽配信用のメルアドとプライベート用のメルアドのどっちで送ったのか解らなくなっていた。

『あれ、どっちで送ったっけなぁ〜?面倒臭いからどっちも見てみて。』

絵里は、プライベート用のメルアドから開いてみた。

『ん〜、あっこれかなぁ?何だろう、ん〜「(有)コトミ継続の為の名義変更手続きについて」って書いてあるやつ?』

『そっ、それそれ。オッケー、それ保存しといて。そんで、これからもこんな感じで画像添付してメール送ると思うからさ。小まめにチェックしといて欲しいんだ。』

絵里は、少し戸惑いながら返事した。

『私は良いけど、トモ君はいいの?プライバシーとか・・・』

智久は、珍しく被せて話し出した。

『うんうん、全然構わないから。そんな事より、想像以上に可笑しな事になっていそうなんだよね。だから、協力してくんない?』

『えっ、・・・・どう言う事?』

絵里は電話でだったが、普段では感じた事のない智久の雰囲気を感じ取った。

『もう直ぐ、式場に行かなきゃいけないからまた掛けるけど。何だか姉さんが、可笑しな事やっていそうなんだ。もしかしたらなんだけど、音声データとか動画も撮って保存しとかなきゃって思ってさ。』

『うん解った、・・・・定期的に見る様にするね。』

智久は電話を切り、チャロと散歩を続けた。懐かしい風景が残っていたり、全く変わってしまった実家の近所の風景。智久は時の流れの速さと、儚さを感じていた。

その時だった、後ろから女性の声がした。

『あら、チャロちゃん?って・・・・・もしかして、トモ君ねぇ?』

智久が振り返ると、六十代前半の女性が智久の顔をマジマジと見ていた。

『あっ、はい・・・・・智久です。』

少しキョトンとした智久に、女性はにこやかに話しかけた。

『あら・・・おばちゃんがシワクチャになってしもうたけん、解らんごとなってしもたかねぇ?』

『・・・・?』

『向かいの森です。この度は、ご愁傷様です。お母さんは、よう頑張っとったとに残念やったねぇ。』

智久は解らなかった事が恥ずかしくもあり、申し訳なくもあり少しバツが悪い感じで返した。

『はい、有難う御座います。本当にいきなりやったもんで、自分も嘘のごたっとですよ(信じられないんです)。』

『うん、本当ねぇ。通夜は?何処ですっとねぇ(するの)?』

『はい、○○町の○○ホールで、十八時から通夜になりますんで。よろしかったらいらっしゃって下さい。』

『うん、うん、行かしてもらうけんねぇ。また、後でねぇ。』

森のおばさんが小さく会釈をして立ち去ろうとした時、思い出した様に話しだした。

『あぁ昨日の夕方頃、警察の人の来てさねぇ。』

智久は、少し慌てて返した。

『えっ、はい。』

『お母さんが亡くなったけんやろうけど、蒼子ちゃんとの関係がどんなやったか(どうだったか)とか。昨日の午前中の様子とか、まあ根掘り葉掘り色々聞かれたんやけど。「仲良う暮しとりましたよ。」って応えといたけんねぇ。』

『あぁ、・・・・はい。』

『なんかご近所さんのみ〜んなに聞いてさらきよった(回ってた)ごたっけん、いやらしか事すっねぇ(嫌な事する)って思うとったとよ。でも、おばちゃん達がちゃぁんと言っとったけん安心せんね。』

『・・・・そうやったんですね。』

『そしたらねぇ、・・・・娘達と行かしてもらうけんねぇ。』

『はい、有難う御座います。』

智久は、深くお辞儀をした。

「自宅で亡くなった時の、ルーティーンかな?」

そう思いながら、チャロと家へと戻った。




 粗方あらかた引っ越しも終わり、弟とその友人も食事を済ませて帰った後。絵里は思い出した様に、智久のタブレットを立ち上げてメールをチェックした。

『ん〜っと、えっ何これ?可愛い、ワンコなんか撮ってんじゃん。それと、これがさっきのかぁ。』

会社の名義変更の書類と、葬儀関係の見積書。それから、母・絹子直筆の手紙。それを、一枚々撮って送ってきている。

几帳面な智久らしいと思いながら、絵里はふと智久の言っていた事を思い出した。

『あれ?会社閉じる手続きは終わったって、一安心したって言ってなかったっけ?』

思い違いかなと思っているところに、他のメールが目に入ってきた。

「健康診断の予約日変更が完了しました。」

『んっ・・・!何〜ヤス君、お義母さんが来る前に受けとくって言ってたのに。本当に病院嫌いなんだから。』

色んな運命が渦巻いている事など、この時の絵里には知る由もなかった。




 式場に着いた智久は通夜の段取りや花などの配置の確認など、次々とされる質問に決断をせねばならずに慌ただしくしていた。そして一息も吐けぬまま、別室で住職との話し合いになる。

『戒名の方は、こちらと・・・・それからこちらと・・・・。』

なるほどねぇ「地獄の沙汰も金次第」とは、昔の人はよく言ったもんだなぁと思いながらもお袋に恥ずかしい戒名は付けたくはない。そんな思いもあり、

「浄蓮院釈光絹信女」

という戒名に決定した。

『承知致しました。それと、時期的に初盆をどうするかというのが御座います。基本的には、四十九日法要が盆の入迄に終えられているかなんですが・・・・・。』

住職は、カレンダーを見ながら言う。

『琴美さんの場合ですと、四十九日は盆の入に間に合いませんですなぁ。』

『ですと、・・・・・来年ですか?』

そう智久が聞くと、住職がにこやかに応えた。

『いやいや、そういう訳ではなかと(ないん)ですよ。まぁ忌明け、一般的に言う納骨の事ですね。こいを、三十五日法要でされる御家庭も御座いますけんねぇ。年内に初盆ばと、お考えでしたら三十五日法要で忌明けという事でよかと(良いと)思いますよ。』

『・・・・?宗教的な解釈でも三十五日で忌明けしても構わんのであれば、こちらとしてもそうしてもろうたが助かります。自分、今の拠点が東京ですんで。そう何度も行き来する事が出来ないんですよ。』

『はいはい、喪主様がそう仰るんでしたらそうしましょう。』

『そいで恥ずかしい話しなんですが、何分なにぶん初めての経験なもんなんで、少し教えていただいてよろしいですか?』

智久は、無知な事が恥ずかしくもあったが聞く事にした。

『ええ、どうぞどうぞ。どちらさんも、そんな感じですよ。お葬式など、そうそう経験するもんじゃなかけんですねぇ。』

『じゃあ失礼して、聞かしてもらいます。三十五日法要で忌明けをする時、食事会って言うんですかねぇ。親父の時には、お袋が喪主やったんで何も知らんままやったんですが・・・・・。「松亭」って有りますでしょ、あそこで食事した記憶があるんですよね。そう言った感じで、法要後に食事しますよねぇ?』

『あぁ、そうなんですけどねぇ。最近は、コロナも有りますでしょう。ですんで、お墓で納骨してお経あげますよねぇ。そこまでで、皆さんお帰りになってますよ。』

『あぁ、そうなんですかぁ。』

『そいに長男さん、もう「松亭」は無かとよ。もう、大分だいぶん前に無くなっとっとよ。時代やろうねぇ。』

『あぁ、そうやったんですかぁ。』

『う〜ん、そいけん小じんまりと御家族だけで皆さんされよるごたるよ(してますよ)。』

『はい、解りました。有難う御座います。そしたら、後程よろしくお願いします。』

住職との話し合いが終わり、食事の発注量や受付を誰にするかなどを決めていく。すると、時計の針は十六時半になるところだった。普段だったらこんなにバタバタしないのにと思ったところで、財前に母親が亡くなった連絡をしていない事に気付いてスマホを取る。

プルルル・・・プルルル・・・・

『もしもし、・・・・どうした?』

智久は、どう言い出せば良いのか戸惑って声が出なかった。

『実は・・・・』

智久は、大きく息を吐いてゆっくりと話し出した。

『実は、昨日母が亡くなって。連れて帰る事が出来なくなってしまったんだよね。それで今朝来てこれから通夜、明日の午後出棺という事になってしまいました。バタバタして、連絡するのが遅れてしまって申し訳ありません。』

『えっ、あぁそうか。・・・・残念だったな。そうか、・・・・・解った。それじゃあしっかりと見送ってあげな。』

『はい、有難う御座います。失礼します。』

智久は、涙を堪えながら電話を切った。




 蒼子は、受付裏の休憩室で親戚と話しをていた。智久が色んな打ち合わせをしている為に、蒼子が一人で対応しなくてはいけない状況なのだ。

『蒼子ちゃん、本当にいきなりやったねぇ。』

『はい、そうなんですよ。余命宣告も、数日前に・・・・聞いたばかりだったのでこんなにいきなり・・・・』

言葉を詰まらせる様な感じで、蒼子は弔問してくれた親戚と話しをしていた。

『えっ、蒼子ちゃんそんなギリギリ迄知らんかったとね。』

『はい。こんなにいきなり亡くなるんやったら、もっと色んな事をしてあげたかったって思って・・・・。』

そこまで言ったところで、蒼子は受付に向かっている鷲巣が視界に入った。

『あっ、ちょっとすみません。』

そう言って、蒼子は席を外し鷲巣の下へ向かった。

『あっ、蒼子さん大変だったですね。この度は、お悔やみ申し上げます。』

軽く頭を下げて、鷲巣は周りを見回した。

『弟さんは、何方どちらですか?』

『弟は今、お寺さんとか色んな打ち合わせしていますんで席外しているんですよ。すみません。』

蒼子が話している後ろ姿を、父方の従姉妹いとこである長門暢子ながとのぶこが何気なく見ていた。

『・・・・・!?』

その視線に気付いたのか、鷲巣は香典を渡して直ぐに帰っていった。そして、丁度すれ違う様にして戻って来た智久に、従姉妹の暢子が話しかけた。

『トモ君、こっちこっち。アンタ、ちょっとこっちに来て座らんねぇ。今のうちに少し休んどかんと、そんなんじゃぁアンタ明日迄もたんよ。』

『あぁ、すんません。じゃぁ、お茶でも貰おうかな。』

そう言うと、暢子がお茶を入れながら聞いてきた。

『トモ君も、何日か前に聞いたとね?』

『・・・・何の事っすか?』

キョトンとして聞く智久に、暢子はお茶を渡しながら言った。

『おばちゃんの、余命宣告の事さ。蒼子ちゃんは、二・三日前迄知らんかったって言いよったけんさぁ。』

智久は、苛立ちを隠しながら応えた。

『いやぁ、月初めには知っとった(知ってた)よ。』

『アンタだけねぇ。』

『そがん事ぁなかさぁ(そんな訳ないよ)。』

『あらぁ、・・・・・そうねぇ。』

暢子は、不思議そうに返事をしてまた聞いてきた。

『トモ君は、おばちゃんの会社の事は詳しかとね。』

『・・・・何で?』

『うん、さっき弔問に来た人ば昔見たごたったけんでさ。』

『え〜、・・・・・どの人?』

『いやぁ、アンタがこっちに来る時にすれ違わんやったね。直ぐ帰んなったとの、前に見た人のごたった(見覚えのある人みたいだ)けんさぁ。』

『ん〜・・・・・誰やろ。』

『蒼子ちゃんと話しよったけん、後で聞いてみんね。前おばちゃんがさぁ、「口の利き方の知らんとの」とか「こまぁんか男のなまちゃっか(生意気な)との」って、ボロクソ言いよった人にようとった(似てた)ごたっけんさ。』

『へぇ〜、まぁそんうち会う事になるやろ。さて、そろそろジャケットも着とかんといかんかな。』

そう言って、智久達は通夜に向けての身支度を整えたのだった。

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