day16.レプリカ

 はるか上空から落ちたはずだが、衝撃は滑って転んだくらいのものだった。

 それはつまり、ここが現実世界でない可能性を示し、普通に移動しても帰れない公算が高い。

 どうしたものか、と辺りを見渡せばすぐ側に古びた神社があった。簡素な造りだったが小まめに手入れがしてあるようで、とても大事にされているような感じがする。

 鳥居と社殿はあるが、社務所などはなく人は居そうにない。そもそも、森の中だというのに虫や動物など生き物の気配がない。

 もしこれが脱出ゲームなら社殿を調べるのがセオリーなのだろうが、実際神社の建物に入って自分の手で調べるのはかなり抵抗がある。

 逡巡していると、どこからか誰かを呼ぶような声が聞こえてきた。よりによってこのタイミングでそんな山の怪があったことを思い出してしまい、とりあえず返事をせずに社殿の陰に隠れた。

 しばらく息を殺していたがそれでも呼び声が続く。なんとなく、聞いたことのある声のような気がするが、得てしてこの手の怪異は親しい人の声音を真似するものだ。

「……──さん! ──さん!」

 はっきりと、自分の名前が呼ばれている。必死に探すような響きに、本当に誰か捜しに来てくれたのでは、という淡い期待を抱く。

 そして、その期待は正しかった。

「あぁ、見つけた。そこに居たんですね、よかった」

「門番さん!?」

 森の中から現れたのは意外な人物だった。いつものきっちりしたスーツ姿で森の神社にいる姿は違和感しかないが、今この状況で限りなく頼もしく見えた。

「あなたの同居人が、家の中で掃除していたはずのあなたがいなくなったと大騒ぎしてましてね。家の中を改めさせて頂いたところ物置の床下収納が異界に繋がった痕跡が残っていたので、職業柄、あちらとこちらの移動が得意な私がお迎えに上がったという次第です」

「そんな大げさな。ここに来てからまだ三十分も経ってないのに」

「いえ。現実の時間では丸一日過ぎて、今は七月十六日です」

「うそ……」

「次元の移動に時差は付き物です。浦島太郎といえば分かりやすいでしょう。それにしても、今日で良かった。盆の終わりなので、現世と色んな世界の境界が繋がりやすくなっている。あなたを連れて帰るのも容易です」

「もし、今日じゃなかったら?」

「それこそ浦島太郎で戻れても十年二十年後とか、記憶とか体の一部がなくなるとか」

 ここにきてようやく、自分のしでかしたことがかなりの大事だという自覚が湧いてきた。もし門番さんが迎えに来てくれなかったらここで野垂れ死んでいたかもしれないし、戻れても時間やら体やら大切なものを失っていたかもしれないのだ。

「……ここは、一体何なんでしょう。どうしてうちの床下からこんなところに……」

「見たところ、誰かの強い願いで作られた空間のようですね。こうあって欲しい、という願望が強く反映された、歪んだ現実のレプリカのようなものです。あの場所に入り口があったということは、前の住人が作ったものでしょう。とりあえず、早く現世へ戻りましょう。今日が終わる前に」

 門番さんが腕時計を操作すると、ブン、と昔のブラウン管テレビが点くような音を立てて目の前に扉が現れた。見慣れた、我が家の玄関扉だった。

 鍵は掛かっていないようで、ドアノブを握ると難なく開く。その先は間違いなく我が家の玄関で、靴を脱ごうとしてそこでようやく、自分がスリッパのままウロウロしていたことに気づく。

 リビングに入ると、同居人がソファのいつもの場所に足を組んで座っていた。その姿を見た途端、急に膝に力が入らなくなりその場に頽れてしまった。

「なっ! お前、怪我でもしたんじゃないだろうな!」

 床に頭をぶつける前に、同居人に体を支えられる。ソファから二メートル以上は離れていたのに、足が長いと得だなぁ、なんてこんな時なのに考えてしまう。

「いや、大丈夫。なんか、帰ってきたんだと思ったら気が抜けちゃって」

 同居人の長い嘆息が耳朶をくすぐる。いつのまにか、しっかりと抱き竦められていた。

「そんな間抜けな有様だと、怒るに怒れん」

 背中に回された腕に力が籠もる。と、背後から多分に困惑を含んだ声が聞こえてきた。

「お邪魔なようなので、この辺で私はお暇いたします。この後黄泉の蓋を閉める作業が控えてますので」

 ちゃんとお礼を言わなくては、と思った時には、玄関が閉まる音が響いた。来月会ったら、菓子折でも渡さなければ。

 耳元で、また消えてしまうかと思った、という囁きが漏れた。それを聞いて、何故かあの床下の異空間を作った人物のことが脳裏をよぎった。歪んだレプリカを作り、この家に残した後、その人はどこへ消えてしまったのだろう。

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