day6.アバター
「よし、これでもう文句はあるまい」
とっ、とっ、と足下に寄ってきたのはサバトラ柄の猫である。ちなみに、しっかり首輪と迷子札が付いている。
「……もといたところに返してきなさい」
「何故だ!? これなら蛍と違って十年くらい持つぞ?」
ふしゃー、と毛が逆立つ。虫と違って表情がわかりやすいところはいいが、なにぶん人様の飼い猫である。
「首輪が付いてるじゃないですか。どこかで大事に飼われてるんだ。急にいなくなったら心配するでしょう」
「確かに、猫はところによって牛や馬と同じ価値を持つというしな。お前が盗人としてしょっ引かれたらつまらない」
いつの時代だよ、というツッコミを待たずして、猫はひらりと開いた扉の向こうに姿を消した。
この土地の精霊と名乗る人外が我が家に棲み着いて数日。人でないものの価値観に驚いたり戸惑ったりしても、本気で困るような事態には直面していない。だが、そうなる前に彼──そもそも声が低いだけで、男かどうかも分からない──ともっと話をしたほうがいい気がしてきた。
「返してきたぞ」
何もないところから声が響く。なんとなく受け入れてしまっているが、これも音の発生源が掴めなくて不思議である。
「ありがとうございます。ところで、こう、取り憑くのって虫でも動物でも何でもいいんですか?」
「相性はあるが、基本的に生きているものであれば問題なく動かせるな。人間は自我が固まっているから難しいが」
なんとなく、ゲームにおけるアバターが頭に浮かんだ。動物などがプレイアブルキャラで、人間はNPCみたいな感じか。
「その時、食べ物とかってどうなるんです?」
「言ってしまえば意識を乗っ取っているだけであるから、生命活動は取り憑いた先に準ずるな。それが依り代を使うところの面倒なところだ。昔は依り代なぞなくても人に見える姿を保っていた気がするが、あまりにも昔のことだから忘れた」
「え、さっき江戸時代みたいなこと言ってたのに、昔のこと覚えてないんですか?」
「うむ。数十年前、この家で目を覚ます前の町の様子や出来事などは、自分が実際見てきたという実感はないが記憶としては残っている。故に、その頃の風習なり昔の町名は思い出せるが、自分がそれにどのように関わっていたかはあまり覚えておらぬ」
それって記憶喪失なのでは……。人外でも、精神的や身体的なショックなどで記憶喪失になるのだろうか。
「このままでも食物を摂ることはできなくもないぞ。存在する上で必要はないが。ああ、久しぶりに酒と米でも欲しいな」
「えー」
とは言いつつ、記憶喪失なんてかわいそう、というのと不便になるだけであろうに依り代探しをしてくれてるいじらしさに絆されて、冷蔵庫から昨日の残りの白ご飯を取り出しレンジで温め、戸棚からは姉が置いていった日本酒を引っ張り出してきた。
「どうぞ」
日本酒のグラスとご飯茶碗、それと一応箸を載せたお盆をリビングのテーブルの上に置く。
「うむ」
体がないのに、どうやって飲み食いするのだろう。ご飯とお酒をじっと見ていると、ぽん、と音がして、目の前に真っ白な直衣を纏った成人男性が現れた。
「はあ?」
「おお」
ここ数日おかしなことが起こり続けた中で一番驚いた気がする。単体では人に見える形を取れないのではなかったのか?
「ふむ、いくらか昔の力が戻ったようだ。米か酒のどちらかが力を持っているみたいだな」
米は普通のスーパーで買ってきたものだから、酒の方に違いない。そういえば、気にせずちびちび飲んでいたが、姉が知り合いの酒蔵から直接貰ってきたという、ラベルも何も付いていない、よく考えれば謎の酒だった。
それを伝えると、形のいい眉がきゅっと寄った。うわ、よく見るとものすごく美形だ。
「お前、身内とはいえ飲み食いするものにはもう少し気をつけた方がいいぞ」
ごもっともだった。常識に当てはまらない人外に常識を説かれると、温度差で頭がくらくらしてくる。
と、その瞬間、直衣の袖がグラスに引っかかりそうになる。私は慌ててグラスを押さえた。
「む、現代の家では少々動きづらいな」
そう言い終わらない内に、直衣がシャツとスラックスに、長い黒髪が整えられた短髪に変わったのにはもう驚かなかった。本当に、ゲームのキャラメイク画面でアバターを着せ替えるところを見ているみたいだ。
「まあよい。俺はこの酒だけでいいから、飯はお前が食え」
彼は当たり前のように椅子に掛けて、上機嫌にグラスを傾けた。こうして、彼は聞こえるし触れるし見える、ごくふつうの同居人となった。
次の日、思うところがあって町の図書館へ出掛けた。この町の古い地図を調べるためだ。
想像していたよりも早く、目的のものが見つかった。五十年ほど前の地図では、今住んでいる家の場所に、神社が建っていた。
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