第29話 戦う理由

 湖にアスレティカという巨大ドラゴンが住み着くようになってからも、カーティス村の生活は何ひとつとして変わらなかった。


「バルク、レオン、体を洗いますよ~」


 エリナは譲り受けた馬二頭にそれぞれ名前を付けて可愛がっていた。さらに、最近では鶏と山羊を村人からいただき、その飼育と畑いじりに精を出している。


「――って、まるで騎士らしくないな……」


 ドラゴン討伐で久しぶりに剣を振るえるかと思いきや、アスレティカはめちゃくちゃ大人しくて賢く、今ではすっかり村人たちと仲良くなっている。

 何も起きないのが当たり前。

 ……いや、それが一番望ましい世界なのだろう。

 王都で暮らしていると、一日に数件は暴力絡みの事件があって、聖騎士に昇格するまでは休日もろくになく、ほぼ毎日どこかへ駆りだされていたからな。おまけに他国と小競り合いでもしようものなら大量の武器を抱えて戦地へと赴かなければならない。あの頃を懐かしむ日が来るなんて、思いもしなかったな。


「……先輩?」


 畑に生えている雑草を引っこ抜く手が止まっていることが気になったのか、エリナが心配そうにこちらを見つめている。


「どうかしたか?」

「いえ、その……それはむしろ先輩の方がというか」

「? どういう意味だ?」

「先輩は――戦場が恋しいですか?」


 いつも元気なエリナらしくない、消え入りそうな声だった。

 

「戦いなんて、ない方がいいさ。ただ、これまで何度も戦場へ行っているから、この平和な村とのギャップに驚かされることがあるってだけだよ」

「ギャップ……ですか?」


 半分は本心だ。

 俺の両親はふたりとも病で亡くなっているが、どちらも完治が不可能ないわゆる不治の病というわけではなかった。キチンとした医療施設に入って適切な治療と栄養ある食事があれば十分直せる病気だったのだ。


 それが叶わなかった一番の要因は――戦争だ。

 当時、ランドバル王国は某国からの侵略を受けていた。国家消滅の危機を前に、予算のほぼすべてを軍事費へと当て、なんとか耐え忍んでいる状態であった。やがて同盟国と連合軍を結成し、返り討ちにしたが……代償は決して安くはなかった。


 あれから十数年が経ち、国は回復の兆しを見せつつある。

 政治について詳しいことは分からないが、同盟国とも仲良くやっているようだし、以前のような心配は排除されただろう。

 ……まあ、それでも、過去の凄惨な戦いの歴史をまったく振り返らないような国がちょっかいを出してくるというのもひとつの現実だ。


「師匠!」


 しんみりした空気を切り裂くような元気のいい声が、俺とエリナの耳に届く。近くで寝転がっていたリンデルもビックリして起き上がった。


「やあ、君たちか」


 駐在所を訪れたのはパーカーをはじめとする村の子どもたち。

 それぞれの手には村の大人たちが作ってくれた鍛錬用の模造剣が握られている。


「今日も稽古をつけてください」

「おう。それじゃあ夕方までやるか」

「「「「「はい!」」」」」


 彼らの真っ直ぐで綺麗な瞳を眺めていると、この笑顔を守るために戦うというのも悪い気はしなくなってくる。

 王都勤務の頃には深く考えなかった戦う理由……この村での生活は、俺にそれを教えてくれた。

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