第2話 領主への挨拶

 数日をかけて、ようやくアボット地方へと入った。

 遠いというのは重々承知していたつもりだったのだが……まさかここまでだったとは。


「それにしても……本当に何もないな」


 生まれも育ちもランドバル王都なので、このアボット地方へ来るのは今回が初。遠征でも訪れたことがなく、同じ騎士団に所属する仲間からここの話題が出たことは一度もなかった。

 存在感皆無。

 現地の領民には悪いが、俺の抱くアボット地方の印象はそんなものだ。

 だが、こうして実際に足を踏み入れてみると、それは間違っていなかったのだなと思ってしまう。


「と、とりあえず、領主へ挨拶にいくか」


 すでにこの地を治めるトライオン家には、俺がカーティス村に着任するという連絡がいっているはず。

 王都――つまり、中央で聖剣を授かるほどの実績ある騎士は地方領主だと手に余るって聞いたことがある。おまけに俺は濡れ衣とはいえ罪を犯した身。そのため、向こうからの対応は相当キツイものであると予測ができた。


 しかし、だからといって領主への挨拶をなしにはできない。

 俺は地図を頼りに屋敷を訪ね、門番に来訪を告げようとしたのだが、


「あれ? 誰もいない?」


 屋敷らしい場所にはたどり着いたのだが、外には誰もいなかった。

 不用心だなぁと思いつつ、敷地内へと入っていく。


 すると、庭仕事をしていたメイドとバッタリ鉢合わせた。


「あっ、王都からいらっしゃった騎士の方ですね?」

「え、えぇ」

「ドイル様がお待ちです。ご案内しますね」

「よ、よろしく」


 にこやかに応対してくれたメイドさんに驚きながらも、俺は彼女のあとを追って屋敷内へと入っていく。

 まず目についたのは人の少なさだった。

 普通、貴族の屋敷ともなればあちらこちらで使用人が仕事をしているもの。だが、トライオン家ではあまりそういった光景を見かけなかった。


 もしかして、雇うお金がないとか?

 さすがにそれはないだろうと思っているうちに、執務室へと到着。

 メイドがノックをし、主の返事を待ってからゆっくりとドアを開けて俺に入るよう促す。


「やあ、いらっしゃい。話は聞いているよ」


 フランクな口調でそう告げるトライオン家の当主――その姿を目の当たりにした俺は思わず硬直してしまった。


 若い。

 まだ十八か九くらいか?

 細いながらも背は高い――が、顔つきにはまだひと握りほどの幼さがうかがえる。

 

「驚くよね、やっぱり。領主をするには若すぎるから」


 俺がじっくりと眺めていたものだから、当主のドイル様は思わず苦笑いを浮かべた。


「も、申し訳ありません」


 気分を害されたと感じた俺は深々と頭を下げる。

 だが、ドイル様は穏やかな口調を崩さず、話を続けた。


「平気だから、顔をあげてよ。それより、ここでのお仕事について説明をするね」

「お、お願いします」

 

 あまりにも軽々しい空気に拍子抜けしてしまったが……ゴリゴリの拝金主義者と当たるよりはずっとマシかな。貴族というのはそういうタイプが多いと聞くし。


 ドイル様から受けた説明によれば、ここでの俺の仕事は――ほとんど「ない」に等しいものであった。

 何せ、俺が新しく着任するカーティス村は獰猛なモンスターの襲撃もなければ野盗なども現れた記録がない。それどころか、ここ三十年の間に凶悪事件がひとつも発生しておらず、お手本のような「平和な田舎町」であった。

のどかで穏やかな田舎町の治安維持……いや、何もしなくても維持できていけるんじゃないか、これ。

 正直、存在意義すら怪しいな。


 ……騎士団からすれば、聖剣と聖騎士という武器と称号を渡しているため、大っぴらにクビを宣告することができないのだろう。自分たちの見る目がないと世間に公表しているようなものだからな。

 なので、俺が耐えられなくなって自主的に退団するよう仕向けてきたというわけか。


「僕からの説明は以上になるけど、他に質問は?」

「……いえ、何も」

「なら、今日はここに泊っていくといいよ」

「えっ? この屋敷に?」


 思わぬ提案に俺は思わず聞き返してしまった。


「そろそろ暗くなってきたからね。平和な場所とはいえ夜に出歩くのは心配だし、今から村を目指すと到着は深夜になるから」

「わ、分かりました。ご厚意感謝いたします」

「あはは、そう固くならないで。のんびりくつろいでいってよ」

「は、はあ……」

 

 なんというか……気の抜ける方だな。

 貴族っていうのはもっとこう……威張り散らしているのが当たり前って印象を持っていたけど、この人はまるで違う。辺境領主だからか?


 執務室を出ると、ここまで案内してくれたメイドが廊下で待っており、こちらへと近づいてくる。


「この屋敷に泊まっていかれるんですよね?」

「っ! ど、どうして――」

「そういう御方ですから、ドイル様は。すでに部屋の準備は整っておりますので、こちらへどうぞ」


 メイドは俺が泊ると予想してすでに部屋の準備を終えているという。

 本当に何なんだ、ここは……調子が狂う。


 ――しかし、悪い気はしないな。


 案内された部屋へ入り、荷物を床に置くとそのままベッドへと腰かける。

 

「カーティス村、か……」


 持ってきていた地図を広げ、場所を確認する。

 屋敷から南西に位置し、距離から計算すると……馬車で二時間くらいかな。俺は生まれも出身もこのランドバル王国だが、これまでに一度も足を運ぶはおろか名前すら聞いたことのない場所だ。


「どんなところなんだ……」


 あのお人好し領主が治める村……村民も彼のように穏やかなタイプだといいんだがな。


「――って、俺はここに長居する気はないぞ!」


出会ったことのないタイプの領主だったから村に対してちょっと関心を持ったけど、俺が目指すのはかつてのようなエリートコースなのだから!


 変な葛藤をしつつ、とりあえず今日はもう寝ようという結論に至った俺はすぐに着替えてベッドに飛び込んだのだった。

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