阪神大震災(後編)
地震があったその日の夜、近所で火災が発生した。
民家が一つ燃え落ちた。
同級生の隣家で、彼がメチャクチャ焦っていたのを覚えている。
当時はガス漏れか何かで引火して、火事になったものだと思っていた。
やっぱりガスを使わなくて良かったな~、と。
なお、あとから聞いた話となるが、火事の原因は“放火”だった。
元々問題を抱えていた夫婦の住んでる家だったのだが、地震の揺れがその亀裂を増幅させ、決壊させてしまったのだと言う。
口論、夫婦喧嘩の末に油を撒き、そして、火が付いたというわけだ。
余計な事で燃え上がるなよと、真相を知った後は呆れ返ったものだ。
だが、こんなものは地震がもたらした一面に過ぎない。
テレビの向こう側の惨状を見れば、それが小6の自分にも理解できた。
家族を失った、住処を失った、そんな人はたくさんいる。
職を失った人もいるだろうし、夢も希望も失ったのだ。
寒空の下、成すすべなく風に晒されるその姿は忍びない。
自分も被災者であるが、被害の度合いは軽微だ。
燃え上がった夫婦のように、心は荒んでいくことだろう。
あの地震は、人々の心をさらけ出すのに、十分すぎるほどの揺れであったと今では考えている。
危機にあってこそ、人と言うものはその本質があらわになるのだから。
瓦礫の撤去た人命救助に奔走する自衛隊と、それに文句を言う一部の思想家達によるいわれなきバッシング。
ここがターニングポイントだったのだろう。
自衛隊の評価は鰻登り。そもそも、自衛隊の活動が大々的に報道される事などそれまでなかったのであるから、国民は知りようもなかったと言える。
国民と自衛隊の距離が縮まった戦後最大の出来事だ。
一方、「自衛隊は憲法違反」と毎度のごとく叫んでいた社会党(当時は連立政権で、しかも首相は同党の村山総理)はその年の参院議員選挙で、歴史的な敗北となる。
今やその後継政党の社民党は、見る影もない程にしぼんでしまっている。
思想よりも実働、図らずも大震災は揺れによってそれをさらけ出してくれた。
普段偉そうな事を言っていても、危機に際しては役立たず。
それを見ながら、黙々と作業を続ける自衛隊を見れば、おのずと答えは出てしまうと言うものだ。
小学校でがっつり“反戦教育”を受けた自分が、その呪縛から解き放たれる切っ掛けにもなったのが、阪神大震災だった。
自衛隊の活躍ぶりを見ていたら、“日教組”の理論の薄っぺらさが見えてしまった。
自分が阪神大震災で学んだ最大の教訓だ。
危機に際して迅速に動ける者こそ真のヒーローだ、と。
パフォーマンスやくだらぬ弁舌ではなく、実際の行動を伴ってこそだが。
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