十六話
私の目の前で、嵐先輩は渡された朝食を摂っている。壊そうと思えばいつでも壊せる檻の中に、何故か従順に入りながら。
「……嵐先輩?」
「ん?」
殺そうと思えばいつでも殺せる後輩を前に、この人は先輩を続ける。
どうしてこの人は、人間をしているのだろう。
唐突にそんなことを、聞きたくなった。
「なんで先輩は、対魔課で働いているんですか?」
そんな単純な疑問に、私は1つの明確な答えが何か欲しかったのかもしれない。それか、目の前の先輩に、人間の振りをしていると、打算的な答えが欲しかったのかもしれない。
「んー、なんでだろうね。なんか、生きてる実感が欲しいのかもね」
しかし、返って来たのはそんな、捉えどころのない回答だった。
「……生きてる実感?」
「うん。生きてる実感」
「はぐらかしてます?」
「はぐらかしてないよ。……前。ほら、トリスタンと一回戦った時……」
「はぐらかしてますよね!」
気づけば私は、先輩の言葉を遮っていた。
「………………」
「はぐらかしてますよ! そうやって! それっぽいこと言って! 油断させてるんじゃないですか!? そうやって私達を殺して! お前達は! 私達を支配するんだろ!? 普通の人間装って! この街を守るとか抜かして! 本当は化け物のくせに!」
それは堰を切ったように自分の中から出てきた言葉で、そして、自分の中にあるとも思っていなかった衝動で、ずっと積もらせて抱えて来ていたものかもしれなかった。
「…………」
「私達の普通を奪って! 私達の生活を脅かして! 不安だけ煽って! 自分は普通の人間のような顔をして!! ――私達の何も返せない癖に!!」
気づけば私は鉄格子によりかかるようにして、彼女に怒号を浴びせていた。今まで思っていたことを全てぶちまけるように。深層の恐怖を全てぶちまけるように。一度開いたその扉は中々閉まることを知らず、恐らく四、五分ほど私はそうやって彼女をののしっていたと思う。
「はぁっ……、はぁっ……!」
叫び疲れて、私が息を切らす様を、彼女はじっと見ていた。その表情は、少し怒りを孕んでいるようにも見えたが、彼女の声はとても静かだった。
「言いたいこと、全部言った?」
それだけ。
たったそれだけの言葉が、彼女から出てきた。私はあれだけ言葉を浴びせたのに。私はあれだけ自分をぶつけたのに。それもまた悔しくて、私は鉄格子をギリと握り締めた。
「それだけって、何ですか……?」
「過去への後悔は、清算出来たかって」
彼女はそう言うと立ち上がり、私の方へと歩みを進める。体の底から恐怖が湧き出たが、奥歯を噛みしめて、私はその場から動かなかった。
目の前の彼女をギリと睨む。
「…………」
「何? ここであんたを殺せば満足でもする? 実は本当に化け物でした。人の皮を被って人間を誑かしてましたとでも言えば満足するわけ?」
彼女はそう言って鉄格子を握ると、バン! と一度大きく格子を震わした。
「っ……!」
ビクッと体が震える。それでも、私の手は格子から離れない。
「…………………。別に、いつでもそんなこと言いたきゃ、言えば良かったのに。溜め込むからそんなことなるんだ」
そして彼女は、鉄格子を挟んで私の手の上に自分の手を合わせた。
そこで私は初めて、自分の手が白くなっていることに気付いた。鉄格子を離さないのではなく、自分の姿勢を維持するために離せないことに気付いた。
「言いたいこと、全部言った? 今度は、私の話していい?」
怒りや、悲しみや苦しみは、未だに彼女に持っている。そのはずなのに、彼女の手が暖かいことに、自分の手がとても冷たくて、彼女の熱を貰っていることに、とても安心した。
「…………はい」
それは短いけど初めて聞く、彼女の身の上話だった。
「もう十年前。私がトリスタンと戦った後、感じたのは寂しさだった。戦ってる時は凄い楽しかったんだけど、なんだろうね、なんか、こんなこといつまで続くのかなって考えたんだよ」
「……どういうことですか」
「それまではね、二人だけで凄い楽しくて、これがずっと続けばいいなぁなんて思ってた。で、戦ってる時はお互いにすごい全力を出してさ、こんなこと私達にしか出来ない。彼しか私を受け止めてくれないって、そんな感じ? でも、いざそれが終わってみたら、こんなこと何回も出来る訳じゃないし、果たしてそれが自分にとっても必要なのかも分からないし……。なんか、どうやって生きようかなって思ったんだよね」
彼女の悩みは、長い割には抽象度が高くて、何を言いたいのかハッキリとは分からなかった。
「それで、人のためになろうってことですか?」
「んー。いや、そういう直接的なことじゃないんだよね。結局、働いてる感が欲しいんだと思うよ。自分の能力を使って、働いてて、自分の地位が確かで、そんな、社会的に生きてる実感が湧くような、そんな何かが欲しいんじゃないかなぁと思う」
今度は具体的で、でも言い切りはしていなくて、彼女はまるで今でも結論を出せていないように喋る。今でもトライアンドエラーを繰り返している様に喋る。
「……大切な人っていうのは」
「んー?」
以前、嵐先輩は、大切な人という言葉を使っていた。大切な人がいなくなる悲しさなら、分かち合えるかもと、そう言っていた。
「その、トリスタン、ですか?」
「まー、そうなるんだろうね。アイツが死んだら、他の人探してもいいけどね」
その言葉はどこか、寂しさを含んでいた。そんなことすらも決めて話さない彼女に、私は人間として不甲斐なさすら感じたかもしれない。
「今のアイツは、今の私を見てくれるのかなぁ」
それはまるで、昔の恋愛を引きずっている社会人のような言葉で。
そんなこと考えるんだったら新しい人探せば? なんて言葉が口をついて出そうになった。
「…………会わないんですか?」
トリスタンは今、現れている。恐らく、先輩を待って。
なのにどうして彼女はこうやって牢に囚われているのか、不思議で仕方が無かった。
「まー、そういう命令が出てるから仕方が無いよ」
それも社会的に生きている実感のためなのだろうか。まるで忙しくて恋人に会えない社会人の様に、彼女は牢の中で過ごしている。
「…………それなら」
その時やっと、私は先輩のことを上司として見れた気がした。
「後輩のために、行ってあげてくれませんか」
アイ先輩から預かっていた鍵を、鉄格子にゆっくり差し込む。
「重い女だなぁ。…………ん、良いよ」
本当の自分の気持ちは分からないけれど、彼女に対して自分がどう思いたいのか、分からないけれど。でも。
今はこれでいい気がした。
「どうせ会うなら、愛情が欲しいね」
恋バナなんて、柄じゃないけど。
彼女とそういうことをしてみたいと、なんとなく思った。
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