十二話

 なぁ、ユキ。

 俺は家族を、知りたかったのかな。

 そんな声が、聞こえた気がした。

「――!」

 ビルの屋上にいた私は、その声がした方向へと慌てて駆け寄る。

 なぁ。もしも何かすれば。

 俺は家族を、知れたんだろうか。

「ア、ア――」

「呼ぶな。引き込まれるぞ」

 縁から見えた気がした、奈落の底に落ちていった懐かしい何か。それに声を掛けようと思って、アイ先輩に制止される。

「……!」

 下を覗き込む私の肩に、アイ先輩はそっと手を置いた。

「ユキに何があったか私は知らないけどね。でも、呼ぶもんじゃないよ。多分、昔の男の名前でしょ?」

 昔の男の名前――。そう言われると、そんな気もするし、そうじゃない気もする。とにかくあの頃は生きることに必死で、安らげる場所を二人で作っていただけだったから。ただ、突然思い出された彼が私を動揺させているのは明らかだった。

「嵐先輩……?」

 任務を終えて嵐先輩を待っていた矢先、唐突に聞こえてきた彼の声。聞き覚えのある声が一瞬、無線から聞こえてきたと思ったけど、まさか、そうだなんて。

落ちていった彼をああさせたのは嵐先輩なのだろうか。それすらも分からず混乱している私の前に、先輩は突然現れた。

「おー、アイ、ユキ。お疲れ様ー」

「お疲れ様ですー……ってええ!? どうしたんですかその傷!」

 アイ先輩と同様に、私も驚く。嵐先輩の体は血に塗れていたし、おまけに打撲も酷そうだったからだ。

「いーやー、やった。まさかあんな玉砕覚悟で特攻してくるとはね。私の勘も鈍ったかなー!」

 玉砕覚悟で特攻。その言葉が嫌に耳に付く。まさか、誰を? なんて、冷静に考えれば私がそんなことを思う必要なんて無いのだけれど、その時は酷く動揺していて、心だけあの頃に戻ったような、そんな気分だった。

「嵐、先輩」

 鋭い声だったと思う。最終確認をするような、そんな声だったと思う。そんな私の意図を汲んでか知らずか、彼女は真っすぐ言い切った。

「私が殺したよ」

 それはまぁ、薄々勘付いていたことではあったし、私がここにいる時点で、起こりうる事態ではあった。

「そう……ですか」

 私がここにいる時点で。対魔課にいる時点で。

 彼を引き連れて上に来るでもなく、彼と一緒に下に残るでもなく、一人でここに来た時点で、分かり切ったことではあったのだ。

「……私はね、ユキの気持ちが分かる訳じゃない」

「…………」

 彼女は、逡巡、言葉に詰まった様子を見せた。

「でも、自分にとって大切な人がいなくなる悲しさは――」

 それらは絞り出されたように彼女から出た言葉で、でも確かに、私には届かない言葉で。彼女に今、何を言われようが、私は素直に聞けない気がした。

「…………」

 そんな私の気持ちを察したのか、嵐先輩はそこで言葉を切って、特にその後何も言おうとしなかった。ただ、淡々と事後処理をして、私達は署へ戻る。

 何か判然としないまま、嵐先輩への気持ちの整理が付かないまま、私達は分かれた。嵐先輩は療養のためしばらく休むらしく、数日、私は彼女と顔を合わせなかった。

 そしてしばらく経ったある日、私にとって同時に二つの事件が起きた。

 1つは、トリスタンが急に姿を現したこと。

 もう1つは、それに伴いトリスタンとの接触を禁止するため、嵐先輩が投獄されたことだった。

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