逃がし屋の少女と、俺

 ホテルの扉を破壊し突入した屈強な男は、部屋に入るや忙しなく辺りを見回した。足元にドアノブと繋がる事切れた男を見つけると、後ろにいた白スーツの男に振り向く。

「野郎、死んでます。カシラ」

「カシラと呼ぶにはまだ早いと言っただろう。慎みたまえ」

「すんません……若」

 金髪をオールバックに撫で付けたサングラスの男は部下を諌め、死体を爪先で転がした。硬直が始まる前のその顔は、確かに事前情報にあった窃盗犯と同じものだった。

 死体を見下ろす禿鷹のような感情のない瞳は一切の揺らぎがなく、屈強な男は大きな肩を竦めた。

「荷は」

「こちらです」

 図体に似合わない精一杯の恭しさを以てそう指した先には、何の変哲もない黒のビジネスバッグが転がっている。

「怖いもの知らずもいたもんすね。俺らからスるなんざ……最期は自殺するたあ、いい気味だぜ」

「……」

 中身を検め、若と呼ばれた男は表情を険しくした。

 何かを探し歩く彼に、何が気に入らないのか、と部下の男も手伝う素振りを見せて扉だった板切れを拾い上げる。

 白スーツの男は木屑に塗れた死体のそばに吸殻を見つけ、拾い上げた。彼はそれを注意深く見つめ――眉を顰めて握り潰す。

 そして険しい表情のまま目を向けたのは、部屋の隅の脱衣所だった。



 ◆



 換気口の出口は吹き曝しの外壁に繋がっていた。すぐ真下に非常階段がなかったら、俺達は薄汚れたラブホの13階から揃って転落死するところだ。

 錆びた踊り場に降り立つや否や、少女は月明かりに照らされた俺の顔をまじまじと覗き込んだ。

「いやに顔の固まりが早いな……まあ良いか」

 何かに納得した彼女は途端に興味を失くしたように階段を駆け下りていく。真冬の夜風が銀髪をさらって、俺もその後を追った。

「何が何だか分かんねえんだけど。お前は何者だ。何でお前は俺のとこに来たんだ。何で逃がしてくれるんだ。教えてくれよ全部」

「知る必要はない」

 にベもなく言い放ち、黒スーツの少女は地上への扉を押し開けた。久しぶりに降り立った地上に、俺は一息吐く。

 が、すぐ隣の古着屋の窓に映った己の顔を見て思わず呆けた声を上げた。

「え、誰これ」

 ガラスの中にいた目出し帽の目元は誰でもない顔で、俺の動きに合わせて慄いていた。慌てて帽子を脱ぎ捨てても、やはり知らない男が俺を見つめていた。

「誰でもないお前だ。これから慣れろ」

「どうしたらこうなんだよ!? え、夢? この泣きぼくろも含めて夢?」

「新しい顔だ。骨格から顔を変える薬、さっき打っただろ」

 少女は裏路地に入りながらバタコさんみたいなことを言う。俺の顔はアンパンマンじゃねえぞ。

「まあ元よりイケメンだから良いか」

「順応早いな」

「女の子口説けそう」

「ゲス野郎が……」

できうる限りの侮蔑を込めてそう吐き出した。良いね、カチッとした女の子が不意に口に出す本音って。

「そういえば依頼主がどうとか言ってただろ。そいつは俺を逃がそうとしてるわけだ。じゃあそいつのことだけでも教えてくれよ」

 こめかみを押さえたと思うと、少女は「はぁぁぁ」と大仰に溜息を吐いた。先程までと打って変わって、尊大そうなその振る舞いはそこらの中学生みたいな、年相応の少女のようだった。

「……念の為通信切った。これ以上ペラペラ喋ったとバレたら後で怒られるから」

 こめかみに通信機器でも埋まってんのか。

 俺の疑問の眼差しを上回る湿度で、少女は銀灰色の瞳でじっとりと睨む。

「私はさっきも言った通り『逃がし屋』だ。依頼を受け、顧客を。借金したりしてお前のようにヤクザに追われてる奴、周囲の耳目に耐えられずに消えたいと思ってる奴……そういう奴らが「死んでやり直したい」と依頼してくるんだ」

 周囲の警戒を怠ることなく歩みも緩めず、彼女は前だけを見てそう説明する。特殊な夜逃げを請け負う引越し屋みたいなもんか。

「今回の依頼主はお前が働いていたバーのマスターだ。常連客づてに我々の存在を知り依頼してきたそうだ」

「マスター、どんな人脈してんだ……」

 何となく経緯が掴めてきた。

 遡ること3日前の夕方……仕事前のスロット屋にて、いつもの手癖の悪さで隣の男の鞄をスリ取った。

 その鞄を抱えて職場であるバーへ向かったんだが、エプロンを付けてカウンターに立って20分後、スリ取った奴とは違う屈強な男達がどやどやとご来店。

 背中から現れたスリ取られた男が「こいつだ!」と叫ぶや否や、俺は弾かれたように裏口から飛び出した。

 そして三日三晩追われて逃げ続け、ラブホに逃げ込んで八方塞がりになったところで……今に至る。

 俺が飛び出した後のバーがどうなったかまで気にする余裕はなかったが、マスターがそこまで手を回してくれていたとは……。

 掻い摘んで話すと、少女は汚いものでも見る目で俺を見た。

「他人のものを盗るなと小学校で習わなかったのか?」

 美少女に蔑まれるのもなかなか悪くない。だがまあ、今回は周りに迷惑をかけすぎたな。

「全く……馬鹿なことをしたな、お前」

 やれやれと被りを振り、少女は室外機の脇を抜けた。


 そういえば出会った時から気になっていたことがある。

「さっきからお前、お前って……互いに”お前”もないだろ、名前何て呼んだら良いんだ。俺には漆間洋平って名前が」

「その名の人間は死んだ。同じ名で生きていけると思うな。お前には”お前”で十分だ。自分の名前くらい自分でつけ――」

 うるさそうに銀髪をかき上げて振り向いた彼女は、俺の背後に何かを見つけて胸元の拳銃を抜いた。

 そのまま音の速さで数発お見舞いする。

「追手だ。恐らくさっきの仲間だろう。偽の死体を看破されたか……」

「それ銃!? 何で持ってんの?? 日本って法治国家だよね!?」

「ゴム弾だからギャーギャー騒ぐな!」

 じゃあ良いや、とはならねえよ!

 走れ、と急かされ俺は狭い路地を駆け出した。威嚇射撃にまた数発撃つと、相手も仕返しとばかりに撃ち返し、コンクリート壁にビスビスと銃痕を残した。あっちは絶対実弾だ、と背に冷や汗が伝う。

「普通追ってる相手が死んでたら諦めない!? 何なんだよあいつら!」

「犬並みの嗅覚の奴がいるのか……お前、本当に何を盗ったんだ! ぜっっったい組の屋台骨に関わる機密事項とかだぞそれ!」

「大したものは入ってなかったって! 紙巻煙草が1箱だけで……もう全部吸っちゃったけど」

「なんで何の躊躇いもなく他人のものを秒で消費するんだ!」

 真夜中の狩り、それも狩られる側の逃避行。勘弁してくれ、俺は逃げ足に自信がないんだ。

 汗だくで逃げる俺に、しかし少女は檄を飛ばす。

「おいもっと走れ! ダッシュ!」

「大して運動してもない大人がそんなに走れると思うなよ!?」

「うるさい! 死にたくなければダッシュだ!」

 すぐ近くの雨樋に着弾して散る火花に怯えながら、一斗缶を飛び越えただ走る。


 ラーメン屋の角を曲がりしばらく全力疾走を続け、シャッターだらけの商店街に出ると、ようやく追手の足音は途絶えた。

 銃撃戦を制し、涼しい顔に傷一つ付けず帰ってきた少女はまた俺を見て大仰に溜息を吐く。

「ああもうお前のせいで弾切れだ……今日からお前の名はダッシュだ……」

「落ち込むなよ……そして俺の新たな門出をそんな犬みたいな名前で送り出すな」

 汗だくの額を拭い再び前を向いた俺を、「待て」と少女が引き止めた。

「くそ……私としたことが」

 何のことか分からず振り向くと、彼女は俺の後ろに点々と続く血痕を見つめていた。

 そういえば何だか太腿がピリピリする気がする。

 嫌な予感がして右脚を見ると、裏腿のど真ん中に黒々とした小さな穴が空いて、じわじわと黒服に血潮を広げていた。

「え、あ、何これ……俺撃たれたの!? あんま痛くないけど」

「神経をやられたのか……おい、見せろ」

 銀灰色の瞳に仄かに焦りを浮かべ、少女は俺に駆け寄った。心配されるのは悪い気はしないが、これでは更なる追手を呼んでしまう。

 いま包帯を出す、と冷静に胸ポケットを漁る彼女だったが――どうも傷口の様子がおかしい。

「あれ……?」

 俺達の目の前で弾けた銃創はみるみる埋まり、勝手に蠢いて中に留まっていた鉛玉を吐き出した。

 そこにはただ服の穴だけがぽっかり空いていて、派手に散った血痕だけがそこに傷口があったことを証明していた。

「な」

「え……キモ」

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