002話 蒼い髪のAI


 カズヤは背中を向けると、ブラッドベアと反対の森の奥へと一気に走り出す。


 突然走り出した獲物に、魔物も本能で引き寄せられて追いかけてくる。



 カズヤが後ろを振り返ると、こちらに向かって走り出したブラッドベアの姿が目に入った。


(よし、注意を引けたぞ。とにかく全力で逃げきるんだ……!)


 カズヤは樹木の間を、巧みにすり抜けながら必死に逃げ出した。



 地面は不規則な起伏で邪魔をしてくる。今度はオークの時のように無様に転ぶ訳にはいかない。


 ブラッドベアの凶暴な咆哮が何度もカズヤの耳に届いてきた。


 その声が聞こえるたび背筋に寒気が走った。視線を後ろに向けず、ただ一心に前を見据えて走り続ける。



 後ろから樹々をなぎ倒す音が聞こえてくるが、カズヤはわざと樹々の狭いところや、岩陰になるような場所を選びながら走った。


 息が急速に荒くなって心臓の鼓動が激しく聞こえてくる。胸は燃えるような息苦しさでいっぱいになり激しく疲弊してくる。



(最近、運動してないからな……。くそ、このままでは追いつかれるぞ!!)


 先ほどよりも近い真後ろに魔物の足音を感じる。


 カズヤは覚悟を決めて、更に道が険しい方を選んで走った。足元が見えない深い森の中を駆け抜けていく。



「あっ……!?」


 突然、地面からの支えが無くなった。


 足元を見ると小さな崖が目に入る。前方の確認不足のせいだ。


 そのままカズヤの身体が崖の下に落ちていく。崖に生えている樹々や凹凸に、身体をひっかけながら転がっていく。


 枝や草にもみくちゃにされながら崖の下まで落っこちる。大きな草むらにぶつかって、やっとのことで身体が止まった。



 幸いなことに樹々や枝にぶつかったおかげで、地面に激しく叩きつけられることはなかった。擦り傷は増えたが、大怪我にはならずに済んだようだ。


「……いてて、さらに怪我が増えてしまったな」



 カズヤは痛む箇所をさすり、隣の木につかまりながら立ち上がった。


 崖の縁を見上げると、ブラッドベアがカズヤの方を覗き込んでいる。


 崖の高さは20m以上ありそうだが、ブラッドベアが降りてきたら逃げ場はない。カズヤは身構えたまま睨みつけた。



 睨み合ったまま、とてつもなく長い時間が過ぎたように感じた――



 やがて魔物は大きな唸り声をあげると、背を向けて森のなかへと引き返していった。


「……助かった」


 カズヤはホッと脱力して地面にしゃがみ込んだ。



 (魔物の気を引いて逃げ出すなんて無茶すぎたな。でも、目の前で女性が襲われるのを黙って見ている訳にはいかない。怪我は増えたけど、お互い命は助かったんだ)


 カズヤは自分が成し遂げたことに、ひとり満足していた。



 ひとまず安心すると、カズヤは自分がいる場所を見回してみる。崖の底が大きな窪地になっていて、雑草と小さな灌木が生い茂っている。


 すると窪地の反対側の壁が、まるで人工物のように加工されていることに気が付いた。遠目には金属的な硬質の物質に見える。



 気になったカズヤが近付いて触れてみると、意外に柔らかくて粘土質に近い。ところどころに人工的な繫ぎ目もあった。


「こんな森の奥に、建物でも作ったのかな?」


 カズヤはあちこちの壁を触って確認してみた。


 最近、利用したような跡は見られない。何百年も前に放置された遺跡のようにも感じられた。



「くそ、余計な邪魔をしおって……!!」


 しばらく壁をさすりながら歩いていた時。不意に、背後から突き刺すような声をぶつけられた。


 驚いたカズヤが慌てて振り返ると、いつの間にか褐色の髪の男性がこちらを向いて立っている。気配を完全に消していたのか、カズヤは近づかれるまで全く気が付かなかった。



 騎士のような鎧姿で、目が黄色っぽいヘーゼルカラー。30代くらいの精悍な顔立ちの男だ。


 相変わらず相手の話している言葉は通じる。しかし、今度はアリシアのときと違って友好的な雰囲気は一切感じられない。明らかな敵意を持ってカズヤを睨みつけていた。


 カズヤは思わず身構えた。



「小娘をおびき寄せるのに、どれだけ苦労したと思っている! お前はいったい何者だ!?」


 男は怒気を含んだ声を放つ。


 小娘というのはアリシアのことか。この男はアリシアをおびき寄せて殺そうとしていたのか。



 とにかくカズヤに悪意を持っていることは間違いなかった。カズヤは咄嗟に反論しようと口をひらくが、何から話したら良いのか分からなかった。


 なぜ自分がここにいるのか、先ほど出会った女性は誰なのか、何一つうまく説明できないからだ。



「邪魔をした罪をつぐなえ!!」


 しかし、男はもともとカズヤの言い分を聞く耳は持ってはいなかった。腰に下げた剣を抜くと、殺気をまとってカズヤに襲い掛かってくる。



「ちょっと待て! 何でこんな目に……」


 せっかく魔物から逃げ切ったかと思えば、今度は人間に襲われる。しかも今度は不意をつかれたため、相手との距離が近すぎた。


 男の剣がカズヤの左腕をかすめる。薄く切られたところから血が流れた。



「痛てっ……、本気で殺すつもりか!?」


 怪我をした腕を抱えながら、カズヤは背を向けて逃げ出そうとする。しかし崖の下はせまく、目の前にはそそり立つ人工物のような高い壁しかなかった。


「駄目だ、逃げられない……」


 男はカズヤを追い詰めたことを確信して、剣を握り直して距離を詰めてくる。



 そしてついに、壁をよじ登って逃げようとするカズヤの背中を、男の剣が下から思いきり斬り上げた……!


 傷は肉を切り裂くほど深く、周囲に大量の血が飛び散った。


 カズヤの身体はそのまま壁に打ち付けられる。



(何もわからないまま、俺はこのまま死ぬのか……)


 自分の死を覚悟すると、カズヤの意識は暗闇へと沈んでいくのだった。





 カズヤは長い夢を見ていた。


 自分の半生が走馬灯のように流れていく。生まれてから大人になるまでの記憶の断片が、次から次へと浮かんでは消えていく。



 しかしそのほとんどが、特筆すべきことが無い平凡な人生だった。


 高校生の頃に父と母が離婚した。母親は家を離れて連絡が取れなくなり、父親はカズヤが就職すると同時に再婚して、新たな家庭を作った。


 だから、就職を機にひとり暮らしを始めたカズヤには、帰りたいと思える実家は存在しなかった。



 子どものころは勉強やスポーツで特に目立つ才能はなく、ゲームやアニメは好きだったが、友だちに語るような熱意もない。


 学校を卒業してしまうと、クラスにそんな生徒がいたことを忘れられてしまう影が薄い存在だった。



 学校での思い出といえば、一つだけ忘れられない苦い経験があった。


 それは高校時代の友人に関する事件だった。



 カズヤのクラスを担当していた国語教師は、特定の生徒を無視したり過剰に怒ったりして、嫌味な発言をすることで有名だった。


 その標的にされていたのが、カズヤの友人だった。



 クラスでのその様子に我慢できなかったカズヤは、友人と他の仲間を引きつれて教師に抗議に行ったのだ。


 カズヤは卑怯な曲がったことだけは許せない、小さな正義感だけは強かった。



 カズヤたちは教師がいる職員室に押しかけた。


「先生、授業中にあいつが手を挙げても無視するのはなぜですか? 些細なミスを過剰に叱ったり、皮肉めいた発言をするのも、どうしてあいつばかりなんですか!」


 代表して発言したカズヤは努めて冷静さを保ちながら、教師の目を見据え毅然として抗議した。



「どうなんだ? お前は本当に、私の態度に問題があると思っているのか!?」


 教師は威圧するように友人に迫った。


「……いや、僕は別に……大丈夫です」


 カズヤは自分の耳を疑った。


(な、何を言ってるんだ? 抗議するために来たんじゃないのか)



「それは他のみんなも同じ気持ちなのか?」


 教師は後ろにいる仲間たちを、にらみつける。


 すると、一緒に抗議するはずだった後ろの仲間たちからも、予想外の言葉がもれた。


「いや……僕たちも、特に問題ないと思います」


 他のメンバーも口々に「大丈夫だと思います」と言い始めたのだ。



「おい、何言ってるんだよ。みんなもおかしいって言ってたじゃないか!」


 振り返ったカズヤの声は誰にも届かない。目を合わせずに下を向いて、もごもごと不明瞭な言葉を口にするだけだった。



 教師は冷たい視線をカズヤに向け、ため息をついた。


「キリヤマ、お前一人の意見じゃないか。他の皆はそう思ってないようだぞ」


 その瞬間カズヤは孤立し、仲間に裏切られたことを悟った。


「結局、お前の自己満足のために、友人を巻き込んだだけじゃないか。仲間に迷惑をかけるな!」



 この事件がきっかけで、カズヤはクラスの友達を信用できなくなり、会話することが減っていった。


 それ以来、教室で一人で過ごす時間も増えていったのだ。



 この事件をきっかけに、高校を卒業して就職してからも、カズヤはますます人付き合いが少なくなった。


 就職先の会社では極めて平均的な成績を残し、大きな成果や爪痕を残すことは無い。そつなく仕事をこなすことを優先し、会社や上司に立てつくこともなかった。



 ブラックな職場だったので、家に帰れるのはいつも日付が変わってからだ。無感動なルーティンのような日々が数年間続いた。


 こうした平凡な生活は、カズヤにとってある種少しだけの安心感を与えていた。


 淡々と過ごす日常に時おり違和感が芽生えるが、それをかき消すように目の前の一日を積み重ねていく。



 しかし、心の奥底では、新たな出会いや刺激的な冒険が訪れることを密かに願っていたような気もするのだ。


 知らない世界で目覚めたときに、何か冒険の始まりのようなかすかな興奮を感じていたのをカズヤは否定できなかった。


 剣と魔法、冒険、魔物、ファンタジー……


 子どもの頃の、漫画やアニメを見た時の高揚感がよみがえってくる。



 でも、だからといって、気付いたら傷だらけで何の能力も持たず、森の中で恐ろしい魔物に追い掛けられ、見知らぬ騎士に殺されそうになるのは、少しやり過ぎだ。


 これは日本では決して起こるはずがない事件で、なにか悪い夢を見ているだけかもしれないのだから……




 そんなことをぼんやり考えながら、カズヤはうっすらと目を覚ました。


 どれくらい意識を失っていたのか分からない。目を開けると知らない部屋の固いベッドの上に寝転んでいた。


 身体には白い包帯のようなものが巻かれていて、治療された跡がある。驚いたことにあれほどの大怪我をしたはずなのに、ほとんど痛みを感じなかった。



 たしか剣で背中を斬りつけられ、吹き飛ばされて壁に叩きつけられたのだ。出血や骨折があってもおかしくはない。しかし、そんなことは無かったかのように腕や身体を動かすことができた。


 そして、泥で汚れたボロボロの服は無くなっていて、スキューバダイビングの時に着るような身体に密着したボディスーツのような服を着させられていた。


 ここは病院のような雰囲気があり、あたりは金属的で機械的な無機質な冷たそうな壁に囲まれている。



 何かの計器らしきものが光っているが、そこに表示されている文字や数値が、何を表しているのか分からなかった。


 これが夢かもしれないと思っていたが、意識を失っても夢から醒める気配はない。


 これは現実なのだろうか……。



 そんなことをぼんやり考えていると、奥の壁がフッと消えた。


 そこから艶のある短い青髪の女性が、こちらに向かってゆっくりと歩いてくるのが見える。その女性は人間味を感じない、例えるならば青い目をした西洋人形のような姿だった。



 胸の膨らみはそれほど大きくはなく、身体の線が折れそうなほどに細い。顔の無表情さと相まって、機械的で独特な美しさをかもし出していた。


 服装はカズヤと同じウエットスーツに近い、身体にぴったりと密着した半袖の衣服を着込んでいる。アニメや映画で見るような、空想上の宇宙船の乗組員が着るような服だ。


 だが、むき出しになった肘の部分には、何やら機械のような部品が見えていた。



「※※※※※※※※※、※※※?」


 女性がカズヤに向かって言葉のようなものを発した。

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