002話 アリシア
カズヤを魔法で助けてくれたのは、20歳くらいの美しい女性だった。
肩にかかるくらいの長さの赤い髪は絹のような美しさで、太陽の光を受けて輝いている。瞳も髪と同じような深い赤茶色で、肌は色白で透明感があった。
漫画やゲームでよく見る、魔法使いのローブのような物を羽織っていて、その内側には複雑な刺繍が施された服を着ている。
先端に宝玉がついた金属製の杖を持っていて、腰には短剣を下げていた。
「大丈夫!? こんな所に一人で何をしているの?」
カズヤは、彼女が話す言葉を自然と理解できたことに驚いた。今更ながら、さっきの「頭をおさえて」という言葉も、咄嗟に聞き取れていたことに気が付いた。
この能力には何か特別な理由があるのかもしれない。だが、異世界ではこのようなチート能力が存在すると本で読んだことがある。
理由は分からなくても、言葉が通じるというのはとても有難い。
「あの、気が付いたら、この森のなかにいたんだ。さっきの化け物たちに急に襲われかけて……」
「あなた、武器を何も持っていないの? この辺りで丸腰は危険よ」
カズヤが武器を持っていないことに気が付くと、女性は心配そうな表情を見せる。自分があまりにみすぼらしい格好をしていたので、見た目だけで邪険に扱われなくて少しホッとした。
「武器どころか、ここがどこかも分からないんだ。ここは何という場所なんだ?」
「記憶も無いの? ここはエストラの北東の森よ。この辺りで普段見かけない魔物が現れたと聞いて、調査に来たのよ」
「さっきの豚みたいな魔物のことか!?」
「いえ、あれはただのオークよ。この辺りで出没するのは珍しいことじゃないわ。もっと大きな魔物だと聞いていたけど……」
やはり、あいつの名前はオークというのか。
それだけじゃなく、この森にはもっと恐ろしい魔物がいる可能性があるのだ。
運よく女性に助けてもらえたことに、カズヤは感謝した。
「それより、小さな女の子を見なかったかしら? 森の中へ一人で入って行くのが見えたから、慌てて追いかけて来たの。そのせいで仲間とはぐれてしまったわ」
それで、この女性は森の中に一人でいるのか。
いくら強いとはいえ、女性が森の中を単身で歩き回っていたことに、カズヤは疑問を感じていたところだった。
だが、彼女が言うような女の子をカズヤは見かけていない。
「いや、俺はこの近くにいたんだけど、出会ったのは君が最初なんだ」
「そうなのね。そもそも、こんなところに小さな子供が一人でいる方が変なのよ。私が幻術の魔法でもかけられたのかしら?」
カズヤの言葉を聞いて女性は考え込み始めた。ブツブツと下を向きながら独り言をつぶやく。
「……私はもう少し女の子を探してみることにするわ。あなたも一緒に来る? 武器も持たずにここにいたら、命の保証はできないわよ」
「そ、そうなのか!? それじゃあ人が集まっている場所まで連れて行ってくれないか。こんなところに置き去りにされたくない!」
カズヤの必死な訴えを聞いて女性は微笑んだ。
「分かったわ。私はアリシア、あなたの名前は?」
「俺はカズヤだ。気が付いたら森の中にいたんだよ。もともとは違う場所にいたはずなんだけど……」
違う場所どころか、違う世界にいたはずなんだが。
すると、再び魔物の凶暴な唸り声が聞こえた。
先ほどのオークとは違う。もっと大きくて重く響いている。辺りを見渡すが姿は見えない。
カズヤの身体がこわばった。アリシアは持っていた杖を両手で強く握りしめる。
突然、激しく物がぶつかる衝撃音がした……!
近くの樹木がなぎ倒される。
樹々の隙間から、茶色の毛をした巨大な熊のような生物の姿が見えてきた。
「ブラッドベア……!」
魔物の姿を認めたアリシアが、声を抑えながら小さく叫んだ。その声色はかすかに怯えを含んでいる。
「Aランクの魔物がこんな所にいるなんて……。まともに戦うと危険よ。急いで森の外に出て、仲間と合流しましょう」
Aランクというのがよく分からないが、口ぶりからするとかなり危険な魔物のようだ。
カズヤたちは無理な戦闘は避けて、その場を離れようとする。
「……伏せて!!」
逃げられそうな方向を探してカズヤが辺りを見回した瞬間。
アリシアから声が飛んできた!
カズヤはとっさに反応して身をかがめる。
その頭上を大木が丸々一本飛んでいく。
枝葉の先がカズヤの頭をかすめる。激しい音を立てて大木が周辺の樹々をなぎ倒していった。
アリシアが声を掛けてくれなかったら直撃していたところだ。
恐る恐る頭を上げると、カズヤはブラッドベアと目が合ってしまった。
でかい……!
背丈が5mはありそうな魔物だ。獰猛な牙と凶暴な爪が目に入る。
「見つかってしまったら仕方ないわ。私が気を引くからあなたは逃げて!」
カズヤを背にして仁王立ちしたアリシアは、ふたたび杖を握りしめて早口で詠唱を始めた。
アリシアの手元に発光した紋様が浮かび上がり、光輝く球体が形成されていく。あの紋様が魔法を使うきっかけになっているのか。
炎の塊が周囲に光の陰影を描きながら輝きだした。
少しのあいだ力を貯めたかと思うと、杖からバレーボール大の炎の塊が魔物に向かって放たれる。
まっすぐに飛んでいく炎は、ブラッドベアの顔面に向かっていた。
「バシイイッッッッッ!!」
しかし直撃する寸前に、まるで弾かれたように炎の塊が逸れてしまる。
それた炎がブラッドベアの横の樹に当たると、激しい光と音をあげて爆発した。樹の表面が一瞬にして燃え上がり、焦げ付いたような臭いが辺りに充満する。
「やはり、ブラッドベアに魔法は効かないのね……。カズヤ、森の出口に向かって走って!」
アリシアが、カズヤの方を向いて声を発した。
その瞬間。
ブラッドベアが横殴りに激しく手を振った。
ブラッドベアの腕がアリシアの杖を直撃する!
杖は手から離れて森の奥へ飛ばされた。杖を握っていたアリシアも、その勢いに巻き込まれて弾き飛ばされてしまう。
受け身を取れずに地面に叩きつけられたアリシアは、苦しそうに息を吐きだす。
すぐに立ち上がろうとするが、足がふらついてすぐに起き上がれない。
強靭な腕力で獲物を痛めつけたことに満足したブラッドベアは、ゆっくりとアリシアの方へ歩き始めた。
(……まずいぞ、このまま俺だけ逃げ出すのか!?)
何もしなければ、アリシアが襲われるのは確実だ。しかし、カズヤには魔物を倒すだけの力はない。それどころか傷一つつけられないだろう。
アリシアの目の前に魔物が迫り、触れそうになるほど近くなる。
その瞬間、カズヤの身体が勝手に動いていた。
「おい、クマ野郎! こっちを見やがれ!!」
カズヤは大きな声で叫んだ。
地面に落ちていた石を手に取ると、ブラッドベアに向かって投げつける。傷付けることなどできないが、注意を引き付けるには十分だった。
ブラッドベアは、何の武器も身につけていない弱々しい男が立っているのに気付くと、視線をカズヤの方に寄越した。
ブラッドベアはカズヤの方に向きを変える。
そのすきにアリシアは素早く立ち上がった。
アリシアとカズヤの視線が交差する。
「危険よ、早く逃げて!」
魔物の注意は完全にカズヤに向いていた。
もちろん、カズヤは戦うつもりなど全くない。
「……じゃあ幸運を!」
カズヤは背中を向けると、ブラッドベアと反対の森の奥へと一気に走り出した。
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