第三章

沈黙。

居間で僕は母と向き合い無言で紅茶を飲んだ。

何から話したらいいのか。

僕の身体に残る痛みと脳裏に浮かぶ兄に襲われた残像が現実だったことを物語っている…

でも、母はレイモンドが森の奥に住むという一族の演奏会に参加したことを話した時に青ざめていた。

僕は話す言葉が頭の中で纏まらないまま思い切って口を開いた。

「母さん、レイモンドは…」

母は顔を上げて僕を見つめた。

「どうして…どうして…」かろうじて聞こえた呟きだった。

母は震えながらやっと出た言葉が続かなかった。

カップを置くと母はテーブルに視線を落とした。

「どうして…私の息子なのよ…それも全部だなんて…!」

絞り出すように、母が呟いた。

「母さん?レイモンドは…」

再び言いかけた僕の言葉は、どう続けていいのか解らなかった。

「…あの森の奥に住む吸血鬼の話はね、本当なのよ」

母はテーブルから顔を上げるとカップに残った紅茶を一口飲んだ。

ふうっと一息つくとカップを見つめたまま話し始めた。

「吸血鬼と言ってもね、あの人達は小説や映画に出てくるような吸血鬼とは少し違うの」

「母さん、どういう意味?」僕はレイモンドの状態と母の話に混乱していた。

母は静かに深く息を吸い込み、顔を上げて僕を見つめた。

しばしの沈黙。

母は視線を再びカップに向けた。

「あの人達はね、人間の音楽の才能を少しだけ吸い取るのよ。例えれば花の種とか球根みたいに。それを元に自分達で努力するのよ」

「それじゃあ、その、レイモンドは…?」

母はかぶりを振った。

「レイモンドは…全部盗られたのよ。それは…それは一族の御法度なのに…」

母の肩が震えている。

「全部…?母さん、どういうこと?一族の御法度って、どうして、そんなことを知っているの?」

母は、そっと立ち上がると窓辺に行き、カーテンを掴むと目を閉じた。

「私もね、その一族の者だったの」

僕は驚いて声を発することも出来ずに母を見つめた。

母は、ゆっくりとカーテンを放すと僕に向き直り話を続けた。

「でもね、人から音楽の才能を少しとはいえ吸い取るには好きでもない人とベッドを共にするということに、とても抵抗があって…そんなことをするくらいなら一生、聞く専門でいいって思ったわ。そして私は一族から追放されたの」

母は僕に近づくと髪を優しく撫でて言葉を続けた。

「知っての通り、あなた達のお父様も聞く専門よ。ああ、もちろん、お父様は吸血鬼の一族ではないわ」

僕の髪を撫でながら母は話を続けた。

「聞く専門同士で、あなた達のお父様と結婚して…授かったあなた達が素晴らしい才能を持っていたのは嬉しい驚きだったわ。私は、あの吸血鬼の一族として人から才能の欠片をもらわなかったから、あなた達を神様が授けてくれた、私は、そう思っているのよ」

僕は顔を上げて母を真っ直ぐ見た。

「じゃあ、母さんは…吸血鬼なの?」

母は寂しそうに微笑むと僕の髪を少しクシャッと掴んでから放して撫でた。

「あの一族の者として生は受けたけど人の血を吸ったことはないのよ。吸いたいとも思わないわ」

「じゃあ、小説や映画の話みたいに不死身なの?」

「いいえ。少しだけ長生きするみたいだけど…年もとるし、普通の人間とあまり変わらないわ」

「母さん、レイモンドは全部盗られたっていうのは…?」

僕の髪を撫でていた母の手は止まり、震えた。

「ひどいわ…おそらく、アーリットという子だわ…」

母の手と声が震えている。

「一族を追放されたけど…それでも、テレパシーみたいなものがあって、時々私にも聞こえるのよ。今年生まれた子が、どうとか。あなた達が生まれた時には、一族に女の子が生まれたと聞こえたわ」

母はテーブルにつくと紅茶を飲んで息をついた。

「夕べ、パーティーが終宴になる頃に裏切りがあって一族は、これから滅びると聞こえてきたの…まさか、レイモンドが…ああ、こんな森の前に住んでいて、まさかはないのかも知れないわね…でも…でも…」

母は手で顔を覆い泣き出した。

僕は、さっき、森の奥の吸血鬼一族が住んでいた屋敷の燃えた跡の前で兄自身が関係を持った女の子と弟の僕と見分けがつかないほど錯乱したレイモンドに襲われた…。

犯され、血を吸われた。

僕の血を吸ったレイモンドに僕の才能の欠片が少しでも行き渡ればいいのに…そうすれば、もしかしたら。

母の話を聞いた時に僕は、そう思ったけど…すぐに、あの血まみれの鍵盤と壁と無惨に折れ曲がったレイモンドの指を思い出した…。

サイモン医師は僕たちが小さな頃から、よく往診で来てくれる医師で母も信頼していた。

レイモンドの手を診たサイモン医師は、普段の冷静な医師という職業から逸脱した驚きと悲しみを露にした。

「何をどうすれば、こんなことになるんだね?…これでは…」

言葉を継げないでいた。

僕にすら判る状態だった。

レイモンドは音楽学校を退学した。

母が手続きに行ったが帰宅した母は、疲労困憊していた。

学校側がレイモンドの退学を惜しがり、母が「病だから」と言っても、それなら病が癒えるまでの休学に、となかなか引かなかったという。

母は、初めて大声を上げて泣きじゃくった。

僕だってレイモンドの将来が楽しみだったのに。

レイモンドの無惨な手を目の当たりにしても現実は受け入れ難く涙さえ出なかった。どうすることも出来なかった。

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