第二章

エドワードは朝早くに目が覚めた。

そっとレイモンドの部屋を覗くと兄は静かに寝息をたてていた。

良かった。

レイモンドは、夕べの少女が迎えにきた一族の演奏会には行かなかったんだ!

しかし、レイモンドはエドワードが目覚めるより先に帰宅していた。

朝食を済ませてエドワードはピアノを弾いた。

昼近くに母が帰ってきた。

「母さん、おかえり!」

エドワードが迎えた。

「まぁ、エドワード帰ってきていたのね、そうと知っていたら早く帰ってくるんだったわ、なにしろサツキのコンサートに行ったらパーティーだのなんやかや帰るのが難しくて…レイモンドは?」

母はエドワードを抱き寄せると頬に優しくキスをした。

「なんか、まだ寝ているみたいだよ」

「そう、いつもなら帰ってきても早起きするのに珍しいわね」

二階に通じる階段の上の方で兄の部屋のドアが開く音がした。

母と僕は同時に顔を向けた。

「母さん、おかえり。エドワードおはよう」

レイモンドは言いながら階段を静かに下りてきた。

「おはよう!ずいぶん、ゆっくり寝ていたねレイモンド」

レイモンドは僕と母に交互に顔を向けた。

「うん…実は、夕べ抜け出して森に住む一族の演奏会に行ってきたんだ」

その言葉を聞いた途端に母が、みるみる青ざめた。

「あの女の子がまた来たのか?」

僕は僕で驚いた。

レイモンドは頷いた。

「また来た、というよりは待っていたんだと思う。家はとても遠かったからね」レイモンドは言葉を続けた。

「一族の演奏会は、とても楽しかった。ただ、その後に僕が体験したのは…なんだか悪い夢なのか現実なのか全く解らなくて一晩中の演奏会なんて…」

レイモンドは、ゆっくりとピアノの部屋に向かった。

僕もついて行った。

母は青ざめ震えて、その場から動こうとしなかった。

「母さん?」

僕は立ち止まり母に声をかけた。

母は、首を横に振って背中を向けた。何か呟いていたけど聞き取れなかった。

レイモンドはピアノの部屋に入っていった。

僕も一緒に入った。

「あの演奏会自体が夢だったのかもしれない。本当に、よく解らないんだ」

レイモンドは僕をまっすぐに見つめると言葉を続けた。

「演奏会に参加した後、あの迎えに来た女の子と…その、寝たんだ。そんなつもりはなかったけど兄に叱られるとか散々懇願されて…会ったばかりの僕と…めちゃめちゃ強引だった」

「えっ…それで?」

「寝た後に彼女の態度がガラリと変わって笑いながら僕の音楽の才能を吸いとったって言ったんだ」

レイモンドは一言、一言、思い出すように、自分の手を見つめてゆっくりと話した。

僕はレイモンドの話を聞きながら、あの美しいけど禍々しい感じの女の子を思い出していた。

あの女の子がレイモンドと寝て音楽の才能を吸いとった―?

「もう、何がなんだか…あの女の子の兄や一族の人達が、僕の目の前で、彼女を…アーリットを殺したんだ。銀の剣で…首も斬られて…彼女の頭が床に…」レイモンドは見てきた光景を思い出して震えながら話した。呼吸が荒くなっている。

僕は黙って聞いていた。

不思議な話だけど一族の音楽会に参加したのは本当なんだろう。

「その後、アーリットの兄は僕を建物の外に連れ出して道を教えると建物の中に入って行って…建物から炎が出て…燃え尽きたんだ。信じられるか?全部夢だったのかもしれないけど夢にしては…」

レイモンドはかぶりを振ると大きくため息をつき顔を両手で覆った。

レイモンドはピアノの前に腰掛けるとピアノを弾こうとした手が止まった。

自分の手を見つめるレイモンドは震えた。

「嘘だ…信じられない」

「レイモンド?」僕はレイモンドを見つめた。

「嘘だ…嘘だ…」

呟くレイモンド。

レイモンドの頭の中にはアーリットの声が木霊していた。

音楽の才能を吸い取るの

おんがくのさいのうをすいとるの

オンガクノサイノウヲスイトルノ

「レイモンド、どうし…」

僕は言いながら近寄った。

レイモンドはピアノの鍵盤を激しく叩いたのと同時に叫んだ。

「嘘だーっうわあああああああ…」

叫び声が泣き声に変わり、床に座り込んだ。

「嘘だ、あんな、あんなことだけで吸いとっただって?…そんな嘘だ…」

フラフラと立ち上がると部屋を出ていく。

僕はレイモンドを追いかけた。

弾けない?ピアノを?

一体、何故?

母が部屋のすぐ外で震えて泣いていたのを後目に僕はレイモンドを追いかけた。

「レイモンド!待って!何処に行くんだ?」

レイモンドは答えずフラフラと、ゆっくりと森の中に入って行く。

「嘘だ…たった一度の、あんなことで…嫌だ…返せ、返せ、僕が…僕は小さな頃から努力してきたんだ」

ブツブツと言いながら、歩いていくレイモンドを止めることをしないで僕はついて行った。

レイモンドの後をついて行きながら、しばらく森の中を歩いていくと…焼け焦げた臭いが漂ってきた。

森が途絶えたところに行き着くと、大きく黒く焦げた丸い穴があり、そこからまだ煙がたちのぼっていた。

「ああ…」

レイモンドが呻き声を上げて地面に膝をついた。

「レイモンド…」

僕が声をかけるとレイモンドは怒りの目を向けて立ち上がった。

こんな表情のレイモンドを見るのは初めてだった。

「アーリット、あんまりじゃないか。悪戯が過ぎるだろう」

「え?」

レイモンドは僕に飛びかかり地面に押し倒した。

「悪い子だ。返してもらうぞ僕の物なんだからな。また同じことをすれば、いいんだろう」

そう言いながら僕の服を破いた。

「レイモンド!僕だよ!エドワードだ!」

レイモンドが止めようとしないから、僕は思いっきり彼の頬を平手打ちした。

一瞬、平手打ちの勢いでレイモンドの顔が空に向いた。

レイモンドが僕を抑えつけている手が緩んだ。

しかし、僕が逃げだそうとする一瞬をレイモンドは僕に顔を向け直すと、起き上がりかけた僕に平手打ちを返した。

「気取るなよ今さら。いっときでも才能がない惨めな自分の境遇を忘れたいんだろう?夕べ、そう言って僕と寝ただろうが!」

僕はレイモンドに犯され痛みを感じながら彼との会話を思い出していた。


『エドワード、まだ経験してなかったのか?僕は、まぁ…学校の女の子と、ね』

『え~??』

僕だって全く興味がないワケじゃないからレイモンドの話を夢中で聞いた。

『新入生の女の子と同級生の女の子だ。めちゃめちゃ可愛くてさピアノも、かなり上手な子達なんだ』

『二人も?モテるね、レイモンド』

やや妬みながら茶化すように言うと、レイモンドは空を見上げてから僕を見つめた。

『それとな、同級生の男子にも迫られた』

『え?そ、それはさすがに拒んだよね?』

『いや、やってみたよ』

『うっわ、どんな感じだったのさ?』

『それはそれで良かったよ。手取り足取り教えてやろうか?エドワード、試してみるかい?僕と…』

ユラリとレイモンドが顔を近づけてきたから僕は焦って顔を逸らした。

『冗談キツイよレイモンド』

『はははっエドワードは純情なんだな。気が向いたら、いつでもいいよ💙』

不意に首筋に鋭い痛みが走った。

レイモンドが僕の首筋に噛みつき、血を啜ったのを感じた。

レイモンドの目は虚ろで何も言葉を発することなく僕から離れると何事もなかったかのように、立ち上がりフラフラと歩いて去って行った。

家に戻るのだろう。

僕はレイモンドにビリビリに引き裂かれたシャツを着るのは諦めズボンだけ履くと、フラつきながら、家に向かった。

レイモンドよりもかなり遅れて家に着いて、ピアノの部屋に行くと…

鍵盤は血だらけで所々壊れていて壁にも血の手型が付いてレイモンドの手や服は血まみれになっていて彼はピアノの傍で仰向けに倒れていた。

母は居間のソファに座って目を充血させていた。

レイモンドを止めようとしたのだろう。母の服は血だらけで頬には涙の跡が残っていた。

レイモンドに平手打ちされた時に口の中が切れ、首筋も噛みつかれ血だらけの僕に気付くと母はソファから起き上がって立ち上がり近づくと僕を抱きしめた。

何が起きたのか解っていた。

僕はシャワーを浴び、母に言われるままに首筋や体の傷を消毒してもらった。

その後、倒れていたレイモンドの体を起こしてソファに寝かせると母は泣きながらレイモンドの傷も手当てした。

「とりあえず、レイモンドをベッドに寝かせましょうね…。エドワード、手伝ってくれる?」

手当てが済むと呟くように言う母に頷き、僕と母はレイモンドを部屋に運んだ。

レイモンドの指は指と思えないほど不自然な方向に折れ曲がり血まみれだった。

「…後でサイモン医師に来て頂きましょう」涙声で、タオルで血を拭きながら母が言った。

「サラ、居間にお茶をお願いね」

母は住み込みのメイドに、そう言って僕と居間に行った。

紅茶と、オレンジのジャムが乗ったクッキーが運ばれてきて、母は僕に紅茶とクッキーを勧めて自分も紅茶を飲んだ。

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