午後七時

 すすきのに戻ってきた時点で、すでに午後七時過ぎ。こうなってくると、間に合うと思っていても焦りが生まれてくる。

 そして忘れていたが、私はヤクザに喧嘩を売って逃走中の身である。当然、のこのこ街に戻れば私を狙うヤクザたちが大挙してくる。

 ヤクザはメンツがすべての商売だ。それが、どこの誰とも知らないバンドマンに虚仮にされたとあれば、当然組総出で報復しに来るに決まっている。

 ヤクザに追い回されて、またしてもすすきのを駆け回ることになる。目的に質屋はもう目前だというのに、なかなかたどり着くことができない。

 そもそもヤクザの数が多すぎるのだ。二丁くらい歩けばすぐに別の奴らが現れて追いかけてくる。見つかっては逃げ、見つかっては逃げの繰り返しだ。

 汗が額から伝ってきて、前髪はとっくのとうに崩れきっている。自分の呼吸がやけに大きく聞こえる。季節はすでに冬に差し掛かっているというのに、暑くて仕方がない。

 なんとかヤクザたちを巻いて、息を整える。周囲の風景を見ると、すすきのから狸小路方面に来てしまったようだ。路面電車の軌道が目に入る。

 ふと、懐かしい記憶が蘇る。中学三年生の頃、受験勉強のために中央図書館に向かうため、路面電車に乗って向かっていた。

 雪が積もった札幌の景色を路面電車の暖房が効きすぎた車内から見るのは楽しかった。普段は色にあふれている街が、雪で真っ白一色になる景色は、子供の頃からずっと好きだ。

 そんなことを回想していると、にわかに周囲が騒がしい。声のするほうへと視線を向けると、壮年の男性らしき人物が路面電車に轢かれていた。

「は?」

 路面電車は時速三十キロメートル程度。かなり遅いが、それが幸いしてか、それとも仇となってか、おっさんは電車の正面に身体を叩きつけて引きずられていた。

 飛行機の先端に人間をくくりつけて拷問する映画のワンシーンが思い浮かんだが、それどころではない。

 私は身体が咄嗟に動いていた。

 電車に追いつくのは普通では無理だ。しかし、この先カーブがあるから減速する。そのタイミングを狙うしかない。

 電車が向かってくるほうに私がいたのも幸運だった。カーブに差し掛かるタイミングで軌道に飛び込み、おっさんを押し飛ばした。

 そのまま私は軌道を横断し、歩道へと転がり込む。アスファルトの上を転がり終える頃には全身が痛みを訴えていたが、我慢できる範疇だ。

 おっさんは無事だろうか。私は呼びかけた。

「あんた、大丈夫か?」

 おっさんはしばらくうめいていたが、やがて返事をした。

「ああ、なんとかな……」

 立ち上がったおっさんの顔はどこかで見覚えがある顔だった。どこか、テレビやネットニュースで見た覚えがある顔だ。

 そうだ、すすきのを牛耳るヤクザの「結束組」、その組長だ。

「あんた、どこかで見た顔だな」

「私は反社と関わりあいになる人生を送ってきたつもりはないんだけど」

 ついさっき、ヤクザとは因縁が生まれてしまったが。

「城連リノだろ、あんた。うちの若い衆を殴り倒した。面体が出回ってたぜ。便利な世の中になったもんだ、スマホひとつで簡単に情報が共有できるんだからな」

 やばい。気づかれてしまった。

 組長は懐に手を突っ込んで、何かを引き抜こうとしている。それが拳銃であることは、用意に想像がついた。

 真正面で向かい合ってよーいどん、でこの組長から逃げられるだろうか。いかにも百戦錬磨の雰囲気を漂わせている。それに、逃げ出しても背中から撃たれたらおしまいだ。

 私が必死で生き延びる算段を考えていたら、組長が突然笑い出した。

「別け隔てなく人を助けるその精神、筋が通っているなあ。わしらの商売も仁義通してなんぼのもんだからな。恩を受けて仇で返すような真似はしない」

「それって……」

「わしから組のもんには話を通しておく。命の恩人を殺すようなことがあったら、わしが貴様を殺すとな」

 やや物騒な表現は聞かなかったことにして、私は素直に礼をいった。これで、晴れて無事に質屋に迎える。

 だが、私の中に少しもやもやする感触が残った。

「あの、星苹果の借金って、いくら残っているの」

 組長は少し驚いていた。

「ぽっきり百万円だが」

 ちょうど私の手持ちとおんなじだ。

 私は悩んだ。この百万円は、これから先、私が栄光のフロントマンとしてのスタートを切るための資金だ。それを、見ず知らずの人を、それもホスト狂いを助けるために使う、なんてことはありえない。

 ありえないが、一度突っ込んでしまった首を、自分が助かったからと引っ込めてしまうのは、もっとありえない。私はそう信じている。

「この百万円で、彼女の借金をチャラにして」

 私はギターケースを開いてその中身を見せつけた。

 組長はかなり驚いていた。

「それはあんたのカネだろう? なんでそこまで、あの女のために自分を犠牲にする?」

「一度始めたことは、最後までやり通したいんだ。どんなことでもね」

 組長は、納得したような、鳩が豆鉄砲を食ったような表情で、私の百万円を受け取った。

 私は肩を落としながら狸小路のライブハウスへと歩いていた。

 これからのことを想像すると気が重い。バンドの仲間にギターをなくしてしまった、なんていったらきっと殺されてしまうだろう。チケット代は未回収、借金は膨らみ、仲間は夢が失敗に終わり路頭に迷う……。

 私が楽屋に入ると、なんだか妙に騒がしい。

「リノ、お前何したんだ? すごいぜ、見てみろよ」

 開口一番そういわれ、私は机の上に置かれた荷物を覗き込んだ。

 そこには、フェンダーのブラック・ストラトと呼ばれるモデルが置いてあった。

「一九七〇年のモデルじゃないか! 一体誰がこれを?」

「私ですよ、リノさん」

 そこには星苹果がいた。

「私の親が楽器販売会社の偉い人で、頼み込んで譲ってもらったんです。リノさん、これを私だと思って弾いてください」

 なにか気持ち悪いことをいわれたような気がしたが、無視して私は苹果に礼をいった。

 それにしても、これを都合できる親なら借金なんて返せたんじゃないかと思うが、結果として特をしたんだから良しとするか。

 僕はギターを背負って、舞台上へと向かう。

 初めてのライブのスタートだ。

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すすきの狂騒曲──バンドマン対ヤクザ抗争編 水野匡 @VUE-001

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