すすきの狂騒曲──バンドマン対ヤクザ抗争編

水野匡

午後六時

借金百万円。それを握りしめて私は札幌の街を走っていた。

 制限時間は今夜の零時まで。それを過ぎたら私の愛機はもう戻ってこない。

 そして今夜の午前一時からは、念願のライブが待っている。バンドのメンバーと必死にかき集めた資金で実現したライブ。遅れる訳にはいかない。そもそもギターがなければライブはできない。

 だから、絶対にあの質屋に行かなきゃいけない。そこからが、私の新しいスタートだ。

 すすきの交差点を見下ろすニッカのオヤジを尻目に、私は走る。青信号を知らせるシグナルが、私の心を逸らせる。

 この街に住んで十数年、大きな通りよりも裏路地を行くほうが早いと、私は道を変えた。それが失敗だった。

「そこの人、助けてください!」

 見るからに気質ではない人たちと、その人たちに乱暴されそうになっている女の子。乱暴といっても、生易しいものじゃない、拳銃が額に突きつけられて、ほとんど死刑執行直前だ。

 私は見て見ぬふりをしようとすぐに背中を向けた。この街に反社が巣食っているのはみんな知っている。それでも、みんな自分の生活と大切なものがあるから、関わらないように生きている。

 覗き込まなければ、覗き返してこない。知らないことにしてやり過ごす。それがこの街で生きていくのに必要なことだった。

 向こうだって暇じゃない。わざわざちょっと見てはいけないものを見てしまっただけの一般人まで手を出そうとはしない。黙って立ち去るだけでいい。それでこの街の闇は、普通の場所を侵食しない。

 いつものことだった。私は素知らぬ顔をすればいいだけだ。だけど、その時私はいつも聞かないようにしている声を聞いてしまった。

「家に帰りたいの!」

 私は身体が勝手に動いていた。

 銃を持ったヤクザに体当たりをかまして転ばせる。立ち上がって女の子の手を掴み、大きな通りに向かって走り出した。

 怒声を上げてもうひとりのヤクザが追いかけてきたから、私は肩に背負っていたギターケースを振り回す。中には百万円が入っていたおかげで、鈍い音を立ててヤクザの頭に命中した。

 頭を殴られたヤクザはすっ転んでゴミの山に突っ込んでいった。

 私はさっき来た道を逆走して、地下鉄すすきの駅四番出口に駆け込む。

 ちょうどよく電車が出発する瞬間だった。その電車に駆け込んで、私は腰を下ろした。

 全力疾走することはよくあることだけど、誰かの手を引いて、なんてことは生まれて初めてだ。心臓が聞いたことない音を上げて激しく脈打っている。

「あの……」

 隣には助け出した女の子が座っていた。そういえば、彼女のことを私は何も知らない。

「ありがとうございました。借金の形に売り飛ばされて、もうちょっとでひどい目に遭うところでした」

 ちょっと悲劇のヒロインぶっているが、要はホストに掛けまくった挙げ句に取り立てられたんだろ、と思ったが口には出さなかった。

「私は城連リノ。バンドやってるんだ。あなたは?」

「星苹果っていいます。助けてもらったついでにお願いなんですけど、私を家まで連れて行ってもらえませんか」

 結構図々しいな。私は腕時計をちらと確認した。時刻はすでに午後六時を回っている。まだ六時間以上あるとはいえ、これ以上この子に付き合っては危ない予感がした。

「私の家は東区のほうにあって、最寄りが環状通東なんです。よかったらそこまで送ってもらえませんか」

 断るべきだとわかっていたが、一度突っ込んでしまった首だ。最後まで面倒見るのが筋だろう。

 私は彼女の頼みを聞き入れることにした。

「その黒い鞄、なんですか?」

 電車を降りて苹果の家路について歩いている最中、おもむろに彼女が尋ねた。

「ギターケースだよ。もっとも、今は入っていないけど」

「空っぽのケースを持ち歩いているんですか? なんのために?」

「どうしても金が必要になって……質屋に預けたんだよ。フェルナンデスのレスポールタイプで、あのコート・オブ・クリムゾンとのコラボモデルだったんだ。買ったときで五十万くらいしたけど、今はその倍になっていたから、仕方なしに質に入れたんだ。その返済期限が今日中なんだよ」

「じゃあ、今ここでこんなことをしていて大丈夫なんですか?」

 誰のせいでこうなっていると思っているのだろうか。

「君を送り届け次第すすきのにとんぼ返りだよ」

「忙しいんですねえ」

 薄々感じていたが、苹果はかなり図々しい性格のようだ。いや、だからこそ、自業自得の掛け飛びにも関わらずさも相手が悪いかのように助けを求められるのだろうが。

 話し込んでいるうちに、苹果の家にたどり着いた。

「本当にありがとうございました! 必ずライブに行きます!」

「もし来てくれるなら入場料はタダでいいよ」

 内心来ないでくれと思っていたが、一応社交辞令をいっておいた。カネに困っているようだし来ることはないだろう。

 連絡先を交換してくれとせがまれ、断りきれずに交換して、私は地下鉄環状通東駅まで急いだ。

 

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