親友

昼頃だと言っても、眠っているうちにかなりの時間が経っていたらしい。今は15時ごろだろうか。でも今日は昨日より少し肌寒くて、自然と身体が縮こまる。

隣を歩く白石くんは、わざわざ私を引き取った割に、何も話しかけてこない。それでも、まだ多少ふらふらする私の荷物を持って、歩幅を合わせて歩いてくれた。もっとなじられるかもしれないと思っていたから、少し安心している。何のためにいたんだろう。わからないけれど、一人で帰るのは不安だったから、とりあえずありがたい。

無言で歩いていると、目に映るものに自然と意識が向く。沿道には昨日と変わらず…、いや、昨日よりも花びらが落ち、残りが半分くらいになった桃の花があった。

風にその身を震わせて、あるがままに散っていく尖った花びら。桜の前座として、新入生を見るまでもなく姿を消す。別に両親はそんな意味を込めて私の名前に”桃”の字を授けたわけじゃないだろう。ただ、それを知っているから感じること、思うことはある。


どうせ私がこうやって大暴れしたところで、何も事実は変わらないだろう。皐月は元々、私なんかよりよっぽど苦しい思いをしていた。それも知らずに、私は自分が世界で一番不幸だなんて顔をして、皐月の寛容さ、いや、”恵まれていない”と皐月が言えない性格から来る弱みに甘えていた。昨日、あんなに軽率に”恋”を語った私を、皐月はどう思っただろう。贅沢三昧の世間知らずに見えたのか、善人の仮面を被った常識人に見えたのか。どうせ私はもうだめだ。皐月に合わせる顔はない。


「ね、」

そんなことを考えていたら、ふいに白石くんが口を開いた。そちらを見ると、彼は歩きながら、手のひらを上に向けて、何かを受け止めようとしている。ややあって、その硬そうな手のひらに乗ったのは、春に舞う白い吹雪の一欠片だった。

「これ、桃の花でしょ」

わざわざ聞いてくるのって珍しいな。というより知っているのすら珍しい。

「うん、…てか、はい。よくご存知で、」

「何でそんなに他人行儀なの、」

同級生だし、と言いながら、何でもないような顔で彼は言った。


「皐月が教えてくれたんだ。」


「え、」

”皐月”と呼び捨てする声に、何故か胸騒ぎを感じてしまって、思わず声が漏れる。思わずその顔を凝視すると、穴が開くんだけど、と目だけで笑って見せた。

「俺と皐月、いとこなんだよ。」

「…あ、なるほど、」

それで全ての合点がいった。どことなく二人の雰囲気は似ている。さっき、保健室で白石くんの声を”懐かしい”と感じたのは、多分皐月の声と通ずるところがあったからだ。皐月は抑揚があるから凹凸が付いているだけで、二人の声は、同じように水の流れのようなこざっぱりした心地よさがある。

「何がなるほど?」

「いや、声が、」

「似てる?」

うん、と頷くと、白石くんは少し寂しい顔になった。

「そっか、俺、ずっといとこってこと隠せって言われてきたから、そういうの、初めて言われる。」

「あ…」

「皐月のこと、だいたいは知ってる?」

こちらを見た色素の薄い瞳は、何かを確かめようとしているふうに見えた。どう言えばいいんだろう、と考えていたら、まとまる前に言葉が口から出た。


「皐月から、聞きたい。皐月から聞いたことしか、信じたくない。」


「そ、っか」

多少面食らったようにも見える、まぶたを上げた白石くんは、ぼそぼそと話した。

「俺、初めて皐月と会った日のこと、忘れられないんだ、」




それは別に、約束して会った、とかじゃなくて、偶然、ばったり遭遇したって感じだった。

そのとき俺は小2で、親と離れるのが怖い、みたいな典型的な甘えんぼで。今思えば、だいぶやばかったかも。だから皐月と会った時も、買い物してたんだけど、一緒にいた父親の手を握って歩いてた。

普通にルーティンのスーパーでの買い物で、歩いていたら、後ろから子供を連れたかなりテンションの高い女の人の声が、父親を呼んで。結構びっくりしたんだけど、それが皐月の母親で、俺の父親の姉貴だった。

皐月の母親は、全然悪い人じゃない、よ。父親も『ああいう生き方もある』って言ってるし。ただ、一人じゃ生きていけないんだろうな、精神的に。少なくとも、小2の俺にとっては、若い綺麗なお姉さんだった。まあ、あとから年齢聞いて子供ながらに『これでいいのか』とは思ったけど。

父親も会うのは久しぶりだったらしくて、買い物中断、カフェに連行。

正直、皐月の母親とじいちゃんの関係は険悪で。多分、皐月が生まれたとき以降、顔合わせてないんじゃないかな。仕事が…さ、結構、うぅ、何て言うか、そう。夜の。それが原因で、皐月の母親は勘当扱いだって聞いた。俺も父親に、皐月の家の話はするなって言われてる。母親が嫌うんだ。だから皐月といとこってことはこれまで誰にも言ってこなかった、ってわけ。

で、カフェでさ、大人には大人の話があるじゃん。だから子供は子供で、みたいには…ならないよな。俺、そのとき特に人見知りだったから、正直びびってたよ。それに対して皐月は、座ってた子供用の補助椅子が似合わないくらい大人びてた。…え、想像できる?…そう、だけど、多分、今の印象と違う。何か…影を背負ってるみたいだった。無理矢理、出来ないことでもできるふりをしてた感じ。それなりに構ってほしいはずなのにそれを言わないせいで、欲が身体からじゅわじゅわ溢れて見える、ような。

静かな子だったよ。俺が父親に『ストロー開けて』だの『ドリンクバーのドリンク入れて』だのぎゃんぎゃんわめいてたのに対して、一回目に注いだオレンジジュースだけをちびちび飲んでた。

何でもできる同級生の女の子が怖くて、俺、自慢話を吹っかけたんだ。…え?内容?聞かないで。……うるさいな、じゃんけんの必勝法だよ。…しかも『最初はグー』って相手が掛け声をすること見越して、『最初はパー』って言ったら勝てるっていう、完全なるズル。…笑うな、地味に刺さる…っと、あぶな。まだくらくらするんだろ?笑うな。二重の意味で。

で、それを自慢げに俺が言ったら、皐月、あいつ目線だけじろってこっち見て、無言でポシェットから何かを出したんだよ。よくよく見たら、それ、ぼろぼろの折り紙で作った平たい入れ物で。皐月はそこから何か出した。それを手のひらに乗っけながら、

『どっちが桜の花でしょう』って。




「え、それって、」

息が止まりそうになる。小学二年生、ってことは、私と皐月は…。

「そう、じゃない?」

長く話していた白石くんはふうと息を吐いて、一息に言った。


「『先が割れているのが桜、とがっているのが桃の花』。」


「その言葉は、」

その先から、もう声にならない。

白石くんは遠い目をする。その横顔が皐月と重なる。明るさの中にずっと潜む恐れ、いや、寂しさ。この人が寂しく思っているのは、一体何に対してなんだろう。


「『大事な親友が教えてくれた。この押し花と一緒に。』


皐月はそう言ってから、また石みたいに黙りこくったままになったよ。」

忘れていた記憶を思い出して、何も言えなくなった。”親友”なんて。何で、私なんかに、そんな言葉を。

たまらなくなって、近くのフェンスに額をくっつけた。無言の白石くんから見えないように下を向くと、自然とぽろぽろ涙が溢れてきた。拭えない。この涙は、拭っちゃいけない。白石くんは動かない私を見て、隣に来て逆側を向いてフェンスに身体を預けて言った。

「俺さ、今日、長田に会いに行くって約束したんだ。」

歯を食いしばり、手をぎゅっと握り合わせる。そうでもしないと、溢れる感情をどう表していいかわからなかったから。どうして皐月、あなたは、

「皐月に頼まれたんだ。




『親友をお願い』…って…」




「そんなこと、皐月の方がっ」

大声を出してしまって、また頭がずきずきと痛む。しゃがみこんだ私に、白石くんもまた同じようにして、肩を支えられた。”聞け”って、”まだ言い終わってない”って、そう言うように、ゆっくりと正面を向かされる。色素の薄い瞳はまっすぐ私を見つめていて、その真剣な顔が皐月にそっくりで、あぁだから、皐月は白石くんに頼んだのかな、なんて。また涙が溢れてきた私に、白石くんはスポーツタオルで涙をごしごしと拭って、一息に言った。


「皐月、転校するんだ。」


明後日の早朝、行っちゃうんだよ。


「今回は県外だ。もう簡単には会えない。」




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