どうしてこんなことになったんだろうと、部活も終わりかけた三年間近の春に考えるのは、いささかお門違いのようにも思える。

ただ、こんなもの、たった一言で説明できるから、それで構わない、とも思う。

『勘違い』。これは、そういうものから生まれた。

私は、高校に入ってからバレーボールを始めた。中学の時は帰宅部で、運動は苦手でも得意でもなかった。

バレーボールに決めたのは、高校に入って再会した皐月が誘ってくれたから。小学生以来の皐月は、きっと上手なんだろうなぁと思わせる体型や雰囲気を持っていた。

「一緒にやろーよぉ」

いつものようにお気楽に言って笑う、皐月の姿は輝いていた。自分の好きなスポーツが、もっと色んな人に知ってもらえる、その喜びも孕んでいたように思える。

こんな経緯で、私はバレーを始めた。最初はボールにも触らせてもらえず、ひたすら走り込みだったけれど、皐月と競うのは楽しかった。皐月はどんなときも飄々と笑い、どんなことも軽々とこなしていった。そんな皐月に着いていくのはなかなか難しかったけれど、そのぶん達成感はすごかった。汗をかいたあとの爽快感も、坂ダッシュをしたあとの疲労感も何もかも、スポーツの楽しさを15歳にしてようやく知った。

きつい練習ばかりだけど、とても楽しく、笑って過ごせた。それが、当時一年生の現部長たちの反感を買ったのかもしれない。『初心者のくせに生意気な』、とか。今となれば、もう何でもいいんだけれども。

私が『勘違い』したことは、実力というより序列だったように思える。きっと、あの当時、（と言うか今も）基礎体力作りの走り込みをさぼりまくっていた部長たちに比べて、体力も筋力も気力も私は上回っていたはずだ。

ただ、部長は出身中学でもバレーボールをしていて、部活では父親が外部コーチとして幅を利かせていた。そして、同じ中学の子がたくさんこの高校・部活に所属していた。

こんな些細なことで序列なんて決まってしまう。そして、それを見誤った人は、謀反人として裁かれる。それが私の知らない『高校生の常識』だった。

三年生が引退して初めての秋、新しいポジション決めで、私はレフトに立候補した。レフトがエースで、希望する人数が多いことも分かっている。でもテレビで見た日本代表のレフトの選手は本当に格好良くて、立候補して、試してもらうだけでも価値があると思った。皐月も同じレフトに立候補して、私ににやりと笑ってみせた。『真剣勝負よ』と目が笑っている。敵うとは思っていなかったけど、皐月と比べてもらうのも、きっと成長に繋がるはず。そう思っていた。他にはこれまでベンチだった2年生が二人と、部長が立候補。スタメン枠が2つ、ベンチ枠が2つの計4枠を、五人で争うことになった。

結果は、スタメン枠に2年生一人と皐月、ベンチ枠に2年生一人と私、ということになった。ベンチになった2年生の先輩は、一年生の皐月に枠を奪われたことに唇を尖らせていたけれど、「いつかスタメン奪っちゃおうね」と笑ってくれた。

私は、この結果に満足しつつ、もっと頑張ってスタメン枠を勝ち取ってやろうと燃えていた。正直、ベンチ外になった部長のことなんて、頭になかった。

ユニフォームをもらえた初めての試合、その前日に事件は起こった。

試合の準備のためにマネージャーと一緒にスクイーズボトルを出していたら、部長たちに引き止められた。

「長田さぁん、ちょっといいかなぁ」

2年の先輩のマネージャーと一緒にいたので、抜けたくなかったけれど、先輩が「行っておいで」と言ってくれたので、素直に着いていくことにした。

その当時、別に私は部長やそのお友達に対して、特別な感情は抱いていなかった。ただ、こんな試合の前日に、先輩が準備をしているのに何もせず集団でおしゃべりをしているのはどうなんだろう、なんて思ってはいたけれど、それを口に出すことはなかった。

連れて行かれたのは駐輪場。もう18時を過ぎているのもあって、そこそこ暗かった。部活がないから比較的早く帰った三年生のフロアに入った瞬間、私は5,6人に周囲を囲まれた。

やばい、これ何かおかしい。そう気づくにはもう遅かった。私は割と肝はすわっているほうだと思っていたけれど、さすがにこんな人数に囲まれた経験はない。でも、気丈な態度はやめちゃいけないと思って、必死に部長を睨んだ。

「単刀直入にお願いなんだけど、」

部長はゆっくり言った。余裕の笑みが、スポーツ選手にしては肉付きのいい顔に浮かべられていた。

「レフト、譲ってくれる？」「嫌です。」

はっきりと断ったら、部長の目がつり上がった。正直、怖い。でも実力で掴んだものを離す気はなかったし、ここで曖昧な反応をよこしたら負けてしまう。

「何で？長田さん、まだ初めて半年も経っていないじゃん？こんなんじゃ、学校での選抜は切り抜けれるかもだけどぉ、実践じゃあ歯が立たないんじゃなぁい？」

「余計なお世話です。そう思うんだったら、学校で私に勝てないあなたは実践じゃ相手にもなれないと思いますよ。」

そう言った瞬間、部長の声色が変わった。

「へぇ。そ。そんな態度でいいんだ。」

いこ。なぜかこんなところまでしょっぴいてきたのに、部長はあっさりそう言うと、お友達を連れて素早く階段を駆け下りていった。

「なぁに、あれ。」

揺さぶりをかけて、あわよくばって感じだったのだろうか。よくわからない。

私は体育館に戻ろうと階段を降りていった。でも、本当の報復はここからだった。

「おい、長田っ‼‼」

体育館に入ると、そこにはおろおろした2年生と我関せずといった表情の部長たち、こちらをまっすぐ見つめる皐月と、激昂した顧問がいた。

状況が飲み込めず、顧問の方に走り寄ると、足元に青い布きれが放られた。

「何これっっ…‼‼」「お前のユニフォームだろ‼‼」

それは、私が昨日もらったばかりのユニフォームだった。どうしてわからなかったかというと、それがずたずたに引き裂かれていたから。カッターか何かで、原型がわからないくらいに穴が開けられたり傷がつけられたりしている。

「どうして‼‼」「どうしてって…」

床に膝をついてそれを拾った私に、顧問が投げつけたのは、現実の非情さだった。

「部室のゴミ箱に捨てられてたんだよ‼マネージャーが持ってきたんだよ俺のところに‼なぁお前、ベンチがそんなに気に食わなかったか？あぁ？」

「初心者でも頑張ってたから一度くらいと思って入れてやったんだよ‼

それをこんなふうに裏切るのか？」

もういい、お前一週間部活謹慎。スタメンにも一生入れねぇ。

帰れよ。そう言って顧問は私のスポーツバッグを放ると、別の場所に集まってミーティングを始めた。

本当に意味がわからなくて、何が起きたのかを理解するのに時間がかかった。思ったより、私は冷静だった。涙が出る隙もなく、私の頭は回転し続ける。それで得た答えは、『部長たちにはめられた』だった。

部長は、中学ではちやほやされていたのに、高校で落ちぶれて、代わりにベンチに入った私に納得がいかなかったのかもしれない。と言うかそうだろう。もし、駐輪場で首を縦に振っていたら、こんなことにはならなかったかもしれない。

でもあんなところで屈していたら、私の人間性は彼女たちと同等もしくはそれ以下になってしまっていた。正当な方法で戦いたい。だからこそ、不当な権力には屈したくない。

そうこうしている間にミーティングが終わったらしい。女バレの輪がほどけて、真っ先に顧問が体育館を出ていく。私なんて見えていないんだろう。

その次に続いたのは皐月だった。ただ、顧問とは違い、私の方にやって来る。

「桃世。」

皐月は座り込んだ私と目を合わせるようにしゃがんだ。私を確かめようとしている、そんなまっすぐな視線をよこした。

「やってないよね。」「うん。誰がやったかはわからないけれど、少なくとも私じゃない。」

一応、断定は避けておいた。こういうときに証拠もないのに悪役を押し付けたって、後々痛い目を見るのはこっちだ。

皐月は安心したように私を見て微笑んだ。そして腕を引っ張った。

「顧問に言いに行こ。このまんまじゃ終われない。」「うん。」

皐月のはっきりとした態度が頼もしかった。私はその腕にすがって立ち上がる。そのとき、誰かがすっと皐月の前に立ちはだかった。

それは、当時2年生の、前部長だった。

「皐月ちゃん。」

普段は柔和な先輩が、珍しく厳しい視線を向けていた。

「何しに行くの？」「桃世の無実を証明しに行きます。」

前部長の視線が余計に険しくなった。言いにくそうにしながらも、意思ははっきりしていたらしい。はっきりと、こういってみせた。

「申し訳ないけれど、面倒なことはしないでほしいの。」

「はぁ？」

瞬間、皐月が突っかかる。皐月は口が悪いところがあるから、前部長も少し怯んだ。だけど、再度口を開いた。

「あの子が何かをしたんでしょう。」

そう言っておしゃべりしている部長たちの方を見る。多少テンションが高いようにも見えるのは気のせいか。

「はっきりとは分かっていませんが、桃世の活躍がこんなことをするほど憎いのはあちらの方々だけだと。」

こんなことと言って皐月は私の腕を握ったのと逆の手で持っているぼろぼろのユニフォームを顎で示した。前部長はため息をつきながら、ひっそりと言った。

「だいたい予想はついていたけれど、ね…。

でも、あの子の親は、今度の試合からうちの部の外部コーチになることが決まったの。」

「え、」

「あの子も焦っちゃったんだと思う。多額の寄付もしてくれたようだし、本人的にも活躍しているところが少なくても、せめて活躍できる可能性のあるところに行きたかったんだと、」

「だから桃世にこんなことしていいって、先輩は言ってるんですか？」

本格的に皐月は怒り始めていた。でも、そんな皐月と反比例するように、私の心は冷めていった。部長の、なんとも言えない困惑した顔を見ていると、何だか可哀想に思えてきた。

「もういいよ、皐月。」

「はぁ？何言ってんの。」

皐月の右肩に自分の左肩を押し付けて、皐月にしか聞こえないように言う。

「私は所詮、皐月とは違って、替えがきくベンチだよ。」

あっけにとられている皐月の手からユニフォームの残骸をひったくって走って階段を下った。止まらないように、校門の外までを必死に駆け抜ける。

気がつくと、抑えていた涙がこぼれ落ちていた。

何が情けないかって、自分の不甲斐なさを皐月に怒りとしてぶつけてしまったことだ。

皐月はただ、私の友達としてかばってくれたまでだ。でも、それなのに、私は考えてしまった。

『私じゃなくて、皐月を同じ目に合わせたらよかったのに』。

醜い考えだった。でも私は、どうして自分がターゲットにされたのかもわかっている。

皐月に言った通り、替えがきくからだ。ベンチなんて、正直誰でもいい。むしろ、有力者の娘のほうが、寄付を仰げるかもしれない。そう考えると、顧問のことすら信用できなくなってくる。

私は手の中のユニフォームらしきものを見た。実力で何とか掴んだレフトのポジション。でもそんなもの、簡単に握りつぶせる、それ程度のものだった。

夢を見るのはやめよう。身の丈に合わないこともやめよう。

これから三年間、そうやって穏便にやりすごそう。

これが私の『勘違い』。そしてそれから生まれた歪んだ信念だった。

あれから1年半が過ぎて、当時2年生だった前部長たちは部活・学校を去った。顧問も転勤し、新しく来たのは、バレーボール未経験の若い男の先生だった。若い男というだけでちやほやされている顧問だけど、経験の少なさゆえなのか、もともとの性格が『長いものに巻かれる』性質なのかはわからないけれど、私がポジション編成のときにどこにも手を上げないことに何も言わなかった。私たちが最上級生になった去年の秋、レフトのポジションについたのは、皐月と部長だった。今もそれは変わらず、ずっと二人がそこを務めている。

部長のプレイは、見ていてとても残念なものだった。基礎練習をしっかりしていないから、体力がなく、試合で役に立たない。結局、前衛も後衛もカバーしているのは皐月だ。

もう、そんないい加減なものを見たって、何の憤りも生まれない。ただ、日々を淡々とこなすだけ。

今、私がするべきことは、学校にちゃんと行くこと。親に心配をかけないこと。だから部活にも行くし、多少嫌がらせをされたって我慢する。

それが、私が選んだ生き方。間違いないはずだ。