夏のいなずま‐peach blossom-

on

桃の花

ふと顔を上げると、すぐそばにある桃の花が、ちらちらとその花びらを宙に浮かせていた。学校の敷地に植わってたんだ。三年生にもなろうかというのに、今気づいた。青い空に、薄桃色の花弁はとても映えて、それでいて、そのとがった花びらは、桜の脇役とも言える微妙な存在に見えた。


私も似たようなものだろうか。


ぼんやりとそんなことを考えていると、背後にどんっと衝撃が走った。

「もーもせ‼」


その声は聞き馴染みのある腐れ縁のそれだった。私はしぶしぶという雰囲気を存分に作って振り返る。

「皐月。」

「なぁに辛気臭い顔してんの。」

私に突撃してきたこの人は皐月という。小学校と高校が同じ友達。こういう少し乱暴なところがあるけれど、数少ない、私の素性を知る人だ。

「またなんか押し付けられた?」「いやいやまさか。」

世間話の域を出てはいけない、という常識が皐月には伝わらない事がある。何かと押し付けられ体質な私のことをひどく気にしていて、私にとっては笑って流せることに対して、びっくりするほど激昂することがあった。

「ふぅん。まぁ気をつけなよ?この前の審判とか、本当に酷かったし。」

まだ何かをぶつぶつ言っている。これでも、私のことを真剣に考えている素振りは見せるのだった。

「そういえばこの花、桃の花だよね?」

皐月はふと隣を仰ぎ見た。そこにはさっきまで私が眺めていたのと同じ品種の桃の木が植えられている。

「そう。よくわかったね。」

普通の人はこれを桃の花だとは気づかない。大抵は桜の花と間違えられてしまう。どうして皐月は知っているんだろう。

「桃世が昔教えてくれたじゃん。」

「え、覚えてないかも、」

そう言うと、皐月は大げさに顔を拭ってみせた。ショックだと言いたいらしい。

「ひどいよぉ」

「ほら、そんなことしてたら遅刻するよ。」

「それはまずい」

そんなこと言ったって、皐月の隣にいる私も同時刻だ。二人して遅れるのはよくない。私達は口にチャックをして、競歩ばりの速さで坂を下った。


桃の花が満開になるのは3月後半頃。それから間を置かずに、花形の桜が新入生を出迎えるようになるだろう。

役目を終えた桃の花はひっそりと眠る。来年も同じように、桜の前座として咲き、邪魔になる前に散る、ただそのために。




「ひぃ、疲れたぁ」

体育館の下に取り付けてある窓から流れる風が全身にあたるように寝転んでいると、またもや後ろから皐月が突っ込んできた。部活でほてった体を冷やしているのに、これじゃ全く意味がない。

「やめてよ。もぉ」

ごろんと寝返りをうって皐月を引き剥がす。この人の接着欲は本当に考えものだ。

邪険に扱われているのに、何故か嬉しそうににやにやしている皐月は、それはそれは美味しそうにマネージャーが用意するぬるくて薄いポカリを飲んだ。私はその味が苦手なので、家から持ってきた食塩水を飲む。こちらは魔法瓶に入れてあるので、氷が元気で、水も冷たい。

「まだ春なんだってよ、この先死んじゃいそうじゃん。あっつぅ。」


「でももう私達、きっと夏は迎えないよ?」


そう、私達はあと10日もしないうちに三年生になる。そしてその一年を過ごしたら、これまでの卒業とは違って、もう二度と制服を着ることはない、いうなれば『子供からの卒業』をしなくてはならない。中学を卒業するときは、学年のほとんどの子が市内の高校に進んだけれど、今度はどこに行くのもかなりの選択がある。しかし、それには『大人』としての責任が伴ってくるだろう。


「うちの部は大して強くもないし、関東大会とかは無理だろうねぇ。」

「不本意だけど、それが現実だよね~。」

私が飛躍したところまで考えていると、皐月はのんきに部活のことを考えていたらしい。こういうところが気楽で安心できるところでもあり、同時に心配になってしまうところでもある。


「ちょっと、そこの二人ーーー」


体育館の中央からいきなり声がして、振り向くと部長たちが集団でこちらを一瞥していた。私は跳ね起きて、皐月は寝転がったまま首だけをそちらに向けた。

「対人するよ、早く来てー」

地面なんてきったない、という視線に、私の体は縮こまる。一応下に大判のタオルをひいてはいるんだけど、それが通じるような相手ではない。急いで周りのものをまとめてそちらへ行こうとすると、部長が低い声を出した。


「長田さぁん、ボール。」


まるで犬に投げたそれを取らせるような口ぶり。ただ、それが現実であり、私の立場だ。

くるりと回れ右をして、部室に向かって黙って走り始める。瞬間、ぱしっと腕を掴まれた。

「桃世?」

訝しげな顔をするのは、ようやく立ち上がった皐月だ。

「桃世の仕事なの?」

皐月のことは好きだ。気のおけない友達。でもこういうところだけは嫌い。

私が持っていないもの、全部持ってるくせに、同情なんてしないでほしい。

「うん。行ってくるね。」

半ば強引に腕を振り払って今度こそ駆け出す。私を追いかける素振りを見せた皐月は、顧問に呼ばれて逆方向にかけていった。


部室に入って、おおよそ一人じゃ引きずれない設計のカゴを、他人の何倍もの時間をかけて出していく。

部長たちはにやにや笑いながらこちらを見ている。きっと、私が、今彼女たちが立っている場所まで持っていかないと、ボールに指一本触れないだろう。

一年生も、はじめのうちはおろおろしたり、代わりますなんて言ってくれていたけれど、部長たちに止められているのか、こちらと目を合わせないようにしている。マネージャーだって一緒だ。


『仕方がない』。これが今の私の合言葉だ。

生まれ持った能力、性格、そこからくる立居振舞、そんなもので高校生の生活なんてあっさりと決まってしまう。

せっかく乾いたTシャツにもう一度汗を染み込ませながら、カゴを体育館に入れていく。錆びついたパイプが手のひらとこすれて、ずんと重い匂いがこびりつく。

無意識に上げた視線、その先には、顧問と話している皐月がいた。


今回の大会もスタメンでレフトだろう。選手宣誓の打ち合わせでもしてるんだろうなぁ。

私は、皐月のことが羨ましい。私が持っていないものを全部持っていて、一匹狼でも実力は本物で、反対勢力を黙らせる。他人を守る余裕まである。

憎いほど羨ましい。私がこんなこと思ってるだなんて、きっと皐月は知らない。


こういうことをやらされているときは、無駄なことをたくさん考えてしまう。下手すると涙がこぼれるからそれはだめだって、ずっと前から分かってるのに。

私は下を向いたまま、カゴを体育館の中央まで押し進める。にやにやした部長が「ありがとぉ」とねちっこく言う。

所詮、私はこういう立場なんだ。私がからこういうことになるんだ。

もう何も考えないでいよう。やけに私の周りに転がっているとも思えるボールを無視して、あと2個残っているカゴを取りに、さっきより速く体育館を駆けた。

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