犬に吠える彼

第1話

いつから私の人生が狂い始めたのか?

 そんなことを考えながらアスファルトを踏みしめ、ガードレール越しの池に反射する私を見ている。

 いや、いやいやいや。いつまでも私の人生は狂っていなかった。学生、そして社会人。大企業にも就職して、うまくやっていたじゃないか。

 ......いや、狂っていなければこんなことにはなっていない。

 狂ったところを探そう。学生時代か?私は成績優秀で他の追随を許さぬほどに成績は最初からトップだった。

 ネットに染まったことが悪かったのか?プログラミングを学び始め、SNSでいろいろ調べて、様々な人の価値観を浴び続けて。

 いや、一様に直接的な原因ではない。

 あ。

 初めてこの池に行った時がなぜか鮮明に頭に思い浮かんだ。特に人生を狂わせたものがあったのだという記憶はないのだが、とりあえず振り返ってみよう。絶対に狂わせた根っこを探し出してやる。

 

 ――今日は池にでも行ってみようか。

 冷たい風が頬を擦り、金木犀の甘い匂いを運んでくる。

 自然に囲まれたいという、いまやこのコンクリートジャングルではなかなか満たせぬ欲求を満たすためでもあるが、何より池は美しいという固定観念が正しいかを確認したいという好奇心が軸にあった。

 私にとっての美しいものは自然だ。わかりやすい例で言うとアンモナイトの黄金比だろうか。そのように、自然的に生成されたすべてのものにどこか惹きつかれるものがある。そのように、言葉では言い表せない本能的な何かが自然を好んでいる。

 そう考えながら道に生えている赤い花を見ていると、近頃近所中で話されている無職の男が犬を散歩させていた。かわいらしい犬を引っ張っている。

 無職の肌は白かった。おそらく普段は家に引きこもっているのであろう。私の人間関係に悩みながら苦労しながらの労動、クソみたいな取引先との何にもならない接待、暑い日差しがジャケットを濡らしながらの営業。それらの耐え難い苦難を乗り越え、ようやくその日の食事にありつけるというのにこいつは何の苦労もせずに寝ているだけで飯が運ばれてくるだろう。そのようなことを考えると私は無性に腹が立ち、自然と体が先に動いていた。

 「まったく。お前が食う分の飯も親が汗水垂らして働いて負担しているということを忘れるなよ。自覚してたらこんな風に道を堂々と歩くわけないか。申し訳ないね、細かいところまで考えられなくて。」

 私は彼に忠告をしてやった。私は申し訳ないとは微塵も思わなかったが、謝罪としてもはや機能していない皮肉交じりの言葉を付け加えておいた。そのまま少しの間だけ相手の目を見てやろうと思い見てやった。相手はきょどきょどして私に目線を合わせてこない。これが社会不適合者というものか、相手に目を合わせることさえもできないだなんて。私は今、初めて軽蔑というものを頭で理解した。

 犬はなかなか歩かない彼に対して吠え始めた。無職は対抗するようにか弱い声で吠えた。

 「うるせえよ……吠えんじゃねえ……さっさと行くぞ……」

 私にかろうじて聞き取れる、今にも空中でほどけてしまいそうな声で彼は怒鳴った。すぐに引っ張られ、それに仕方なくついていく犬を見ると無性に犬の方が無職より立場が上だと主張しているように見え、逆に犬が彼に怒鳴っているように見えて仕方がなかったが……それはある一定の人から見れば正しいのかもしれないと考え、深くは考えることなく歩みを進めた。

 そんな無意義な時間を過ごしているうちに、ようやく目的としていた池に到着した。家から池まで約2km。往復で歩くには少し遠いが、車を出すほどでもない。あいにく自転車は持っていなかったので、第二の選択肢としてウォーキングをした。止まらずに歩いたので、さすがに足が脳に休ませてくれと訴えかけている。ベンチでもあればいいな。そう思いながら少し歩いたところに、先客が見えた。

 ベンチにて正装の男が足を組みながら電子小説を読んでいる。

 私は小説より音楽のほうが好きだ。小説と音楽は正直似ている部分があると思っている。奥に作者が存在し、何かを伝える目的で作ることが多い。

 だが、私は先ほども言ったように小説より音楽が好きなのだ。なぜなら脳を使わずに摂取できる、娯楽らしい娯楽だからだ。

 音楽、これにあてはまる言葉を使うのであれば歌詞のある曲、だろうか。それに関して考察などを楽しむ人もいるらしいのだが、正直クソ喰らえだと思っている。ああいうのを見るとどうしても、自分が賢いのだと主張しあう場に見えてしまう。ヒトであることに酔っている人々だ。

 そのような酔っている人々を見ると無性に腹が立つ。能ある鷹は爪を隠すというが、その対極だ。赤い尻を見せびらかすサル。脳の一番重要な部分をえぐり、考えることを強制的に放棄させてやりたくなる。

 一般的にはサルと違いヒトは高度知的生命体だといわれるが、その他生物と本質は違わないのだから涎を垂らして濫りに娯楽を摂取すればいいのに。と、どうしてもヒトであることに酔っている人を見るとそう思ってしまう。

 気が付くと、正装の男をずっと見ていたみたいだ。訝しげな目をしてこちらを見てきたので、静かにスマートフォンに目を逸らした。

 もう少し池の周りを歩くと先客のいないベンチが見えた。もうそろそろ足が脳にボイコットを仕掛けてくるころだろうからちょうどいい。ベンチに座り、池を眺めた。綺麗で青く澄んでいる水へ日光が斑に反射する。美しいものだというイメージはあったが、こんなにも美しいものだというイメージはなかった。その美しい池に私は歓迎され魅了された。

 何時間ほど経っただろうか。日は沈み始め、綺麗な夕焼けを写している。大体の時間は把握できる。鳥の鳴き声や足音、話し声をBGMに一人浸っていた。まるで瞑想しているかのようだった。ここ数時間を振り返りながら、池を後にした。

 私は特に瞑想などをすることはないのだが、このように何かに浸ることは多いと思う。というか、全人類そうなのではないか?私には他人が干渉してこない趣味に打ち込んでいる、もしくは何かに浸っている人はまるで全員瞑想しているように見える。

 しかし、それらのほとんどは有意義な時間を過ごさずドブに時間を捨てている。対戦ゲームなどはそれらのうちの代表例だ。なぜわざわざストレスか快感を得るギャンブルに走るのか?大抵ストレスが当選するだけなのは明白だろうに。ストレス発散のために対戦ゲームをして、よりストレスを溜める。意味が分からない。

 そう考えを巡らせながら帰路につく。あたりはすっかり暗くなり、月明かりが私の目に入る。眩しいが、まるでスポットライトを当てられているような気分で悪い気はしなかった。

 月といえば太陽の光を反射して私たちに僅かながら光を与えている。所詮太陽の二番手なのにも関わらず、その美しさにより一定の好感を持たれているのは気に食わない。太陽がなければ結局は何も見えないのだから、太陽を評価するべきなのだと世間は思うべきだ。世間はいつもそうだ。表面上で光っている月を評価して、それより何倍も大きな功績を残している人を評価しない。そんな場面が多くある。私はそんな世間に嫌気がさしていた。明日にはまた労働が始まる。

 今日は早めに寝よう。そんなことを考えていると、ようやく家に着いた。まずは適当に置かれた冷凍食品を電子レンジで加熱し、その間にシャワーを浴びる。

 シャワーを浴び終わった。もうそろそろお湯の温度が冷たく感じてきたので、明日は1℃上げてみよう。

 そう思っているうちに、疲れが限界に達したのか冷凍食品には手を付けずに布団へ潜った。気絶するかと思ったが、何とか布団には潜ることができた。

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