スタートボタンがバグっていたに違いない

海野夏

香辛料多めはNG

「今夜は私が奢ってやるから外食にしよう」


 仕事を終えてスマホを見るとそんなメッセージが届いていた。相手は犬山茜、一応俺の同棲中の彼女……ということになっている、便宜上は。

 帰れば顔を合わせるのに、それを待てずに連絡をよこす時は大抵嫌がらせを思いついた時だ。先月は子犬と女の子の感涙ストーリーだなどと騙して、我が家でホラー映画鑑賞会しやがった。絶叫する俺を見て高笑いしていたのは忘れないぞ。

 あの性悪女がまた何を企んでいるのか分かったもんじゃないが、今月は財布の中身も心許ない。


「了解、と」

「先輩また彼女さんとやり合ってるんすか?」

「失礼な。俺は単にお返しをしているだけだよ」

「ものは言いようだなぁ……」


 奴がその気ならこちらもそれ相応の仕返し、もとい、おかえしをしなければならない。先月のホラー映画鑑賞会のお礼には、遊園地デートに行き絶叫マシンで泣き叫ぶ様を拝んでやった。今回は何をする気か分からないが、そっちがその気なら受けて立つ。


「遅い」

「まだ約束の時間になってない」

「こういう時は少し先に君が来ていて、私が『お待たせ!』って言って、君が『今来たところだよ』って返すものだよ」

「そんな柄じゃないだろ。仮に先に来てても言うと思うか?」

「いや、君なら『ほんとだよ、どれだけ待たせる気だクソアマ』って言うね」

「流石に言わねぇよ」


 仮にも彼氏をどんな外道だと思ってるんだ。

 茜に連れられて来た店は、最近SNSやテレビでよく見る人気の韓国料理店だった。


「何でここ?」

「お客さんが美味しいからデートにおすすめだよ〜って教えてくれたんだ」

「わざと言ってます? 俺辛いの無理なんだけど……」

「——さて、入ろうか。予約しているから安心したまえ」


 それともキャンセル料払うか?と笑顔で小首を傾げられれば、もう何も言えない。


 ほんっとうに、この女とは趣味嗜好が合わない。俺が嫌いなものが茜の好きなもので、俺の好きなものが茜の嫌いなもの、見事に合致するなんてことあるか? 俺への嫌がらせに一つ二つは嘘ついていてもおかしくない。俺に関しては見事に嫌いなものだったが。


「俺たちなんで付き合ってるんだろうな」

「喧嘩? 買うよ」

「売ってねぇよ」

「かっかしないの、ほら口を開けてごらん」

「開けたら最後口の中が焼けるわ」


 真っ赤なスープをすくって差し出す、いきいきとした笑顔が眩しい。どうもこの顔に弱いんだ。

 俺たちが付き合ったのは3年前。友達から合コンに誘われて、その時に無関係の隣のテーブル席に座っていたのが茜だった。合コンに来ていた女の子たちが目に入らないくらい、何から何まで俺の好みで、つい視線をっていると目が合った。目を丸くして、彼女は頬を染めて笑顔を浮かべ、


「私と付き合ってくれないかな」


 気づけば付き合っていた。俺が一目惚れしたように、茜も俺に一目惚れしたと後で聞いた。

 実際付き合ってみれば見事な性悪女だったわけだが、一度こんなにタイプの女と出会ってしまった以上他に目移りするわけがない。どこの馬の骨とも分からない輩に取られでもしたらと思うと業腹である。


「顔だけは良いのに」

「君もね、つまりそういうことだよ。隙あり」

「あ゛」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スタートボタンがバグっていたに違いない 海野夏 @penguin_blue

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説