第14話


 まだ頬が熱い。

 りんちゃんとの口づけを思い出して、頬を抑える。

 ただ単に、入れ替わりが戻るだけなんだけど、りんちゃんが「情緒」とかいうから。

 ショッピングモールの長い廊下で、頬が赤くなってないか気になって、外壁の鏡を見た。そこには、無駄にひょろっと長い猫背の黒縁眼鏡の女。そばかすの出始めた肌、りんちゃんが整えてくれた髪だけが、少しだけ光を放ってはいるけど、髪を緩くおろした三崎恵麻が、こっちを見た。さむがりの目。私だ。

 それまで、まるで少女漫画の主人公のような花や光が飛んだ背景の中にいたつもりだった気持ちが、よどんで黒く下がる。しかも、めっちゃさむい。

 それまでりんちゃんの体にいたから気付かなかったけど、ショッピングモールにほんわかと漂う熱気をもってしても、私のさむがりな体は冷気を捕らえて足先から冷えていく。りんちゃんに貰った懐炉部分だけが、少しあったかい。ポケットに手を突っ込んだ。


「はあ」

「どした?」

 ため息を察知したのか、肩までの淡い色素の髪をさらりと翻して、椿美鈴さんが振り返る。りんちゃんに、りんちゃんの精神が入ると、本当に可愛らしい。それに比べて私ときたら。


「いや、地味だなと思って」

「ごめん、自分ばっか楽しんでるかも」

「一緒にいて楽しくないわけではなくて、その。私が一緒にいて、りんちゃんは楽しいのかなって」

(しまった~!)こんなの「楽しい」って言わせるためのかまってちゃんじゃないか。面倒くさいこと言うな~って思われるやつだ。


「部活でさ~、メンタルの鍛え方の時に、目の前のことを一回口に出してみるってのやってたんだけど、美味しそうなものを食べる前は「おいしい!」とか試合の前は「かつ!」とかね。思うだけでいいじゃんって思ってたんだけど、声に出すと、脳が勝手にそうだって思ってくれるんだって。だから、悪い言葉を声に出すと、自分のことじゃなくても、脳がそうだって勘違いしちゃうって」


(私、ずっと自分を否定する言葉ばかり自分に投げかけてたかも)


「もし恵麻が本当に楽しいって思ってくれてるなら、「たのしい!」って声に出して言ってみたらさ。けっこうまじで楽しくなるよ」

「たのしい……」

「たのしい!」

「たのしい」


 ふふっと笑うりんちゃんが可愛くて、一緒に笑う。なんだか、ほんとに少し楽しくなった。

「あ!アクセ見たいかも」

 りんちゃんは楽しむ天才だ。いつもの家族と通い慣れたショッピングモールが、輝いているような気がした。

 自分しか見えてなかったことが恥ずかしくなって、りんちゃんの後を追う。


「汗だくになるから、アクセってつけらんないんだけど、これからは恵麻の体につけよっと」

 緑色の小さな石がついたアクセサリーを、胸に当てられた。

「恵麻は青ってかんじだなぁ~」とブツブツ言っている。


「おしゃれしてどこ行くんですか?」

「恵麻とデートに決まってんじゃん」

「!」

「いや?」

「や、じゃないけど……っ」


 やった~と言いながら、くるりと回る。表情がころころ変わって、しなやかで、明るくて……素敵な人。

 楽しすぎて、目が回りそう。まるで羽が生えているかのように軽やかな彼女は、さぞかしバスケのコートで映えただろう。


「そういえば、りんちゃんはもう、バスケしないの?」

 ピリッと違う電流が走った気がした。しまった、変な感じになっちゃったかも。

「しなーい」

 小さなぬいぐるみの手触りを確かめるようにしながら、すごくあっさりと返事されて、目を丸める。

「そうなんだ」

「バスケ下手すぎて、恥ずかしくなっちゃった」

「え?」

「実力以上のモノを、引き出してもらってたの。先輩に。親が地元に引っ越すって言うから、ついでに、全部置いてきたの。もうやらないんだ」


 ”先輩”という言葉が気になったけど、それ以上聞いてほしくなさそうで、私はそれ以上、なにも言えなくなった。


「だって髪も短くしなきゃだし。いや規定はないんだよ、でも汗で張り付くからすごい短くしてたの。髪を伸ばすの、憧れだったんだ」

 小さな否定は、それすら我慢してのめり込んでいた理由にも思えた。


「えー見てみたい、写真はないの?」

「……あるけど見せたくないな~、小僧みたいだよ」

「みたいみたい!」

「~~~!」

 しぶしぶスマートフォンを取り出すりんちゃんが、スマホの画面を見せてくれた。赤いユニフォームに描かれた数字は見えないけど、『ポイントガード特集』とか『シューティングガードの新鋭!』と大きく書かれた見出し。雑誌のページのようだった。ショートカットで真摯な姿のりんちゃんは、それでも髪にかわいいピンをしていて、今のオシャな姿が見えた気がして、嬉しかった。

 この時のりんちゃんは確かに、自分が雑誌に載った嬉しさで写真を撮ったんだ。

 なのに、全部捨てることが、出来た……?


「おしまい!」


 恥ずかしそうにりんちゃんがスマホを抱きしめる。

「まだ見てたのに」

「何をそんなに見る必要があるのさ~!」

「シューティングガードってなに?」

「ポジションの名前。私は司令塔の命令であっち行ったりこっち行ったりするのが得意だったの」

 司令塔……。


「何人かでやるんだよね?」

「そそ。ってか恵麻、もしかしてバスケが何人制かもしらないとか?」

 なにもわからないから、普通にコクコクと縦に頷いた。

「コートに入れるのは5人、控えいれて10~12人で回してて……ま、知らなくていいよ。恵麻はバスケなんて、興味ないでしょ?」

「でも、りんちゃんには、興味あるから!」

「!な、なにそれ!」

 あれ、また言い方がおかしくなった?!


「転校してきた理由が、家族のためじゃないって……思ってて」

「……あ……」

 しどろもどろになる私に、りんちゃんが横を見る。少し、困ったように、くちびるに人差し指を当てた。考え事をする時の癖かな?右上を見た。ニコッと笑う笑顔は、どこかぎこちない。まるでうまく自分を操縦出来てないみたい。私の体にいるときのほうが、りんちゃんは素直だ。

 火照った体を持てあますように、汗をぬぐう。


「そうだよね、あんな走って逃げたら、気になるか」


 どこか悲しそうな態度に、胸が痛くなった。

「あのね」

 話し出してくれる気がした。でも。思わず私は、りんちゃんの唇を手で覆った。

 な、なにを。自分でもよくわからない。いや、考えろ。この行動には、きっと意味がある。声にだす。


「あ」

「ん?」

「りんちゃんが、話したくなければ無理にききたくない、かも」

 どもりながら、続けた。

 りんちゃんが話してくれるなら、聞きたいって思ってたのに。

「え」

「だって、りんちゃんは、つらそうだ。こんな、出会って間もない私の、ちいさな好奇心で、聞いてもいい話?もしも、知らない人だから話しやすいというなら、聞くけど、もしも、聞いたことで、りんちゃんと距離が出来ても、嫌だ」


 ほかの人と、友達になるまでの友人だと思っていたけど、でも、でも少しだけ、欲が出たんだ。だって、りんちゃんと、そばにいたいと思ったから。


「つらいなら、全部捨てて来たって言うなら、──思いださなくていいよ」


 すごくさむいのに、興奮で少しだけ体が熱くなった。

 こんなふうに、自分の考えを、人にちゃんと言えたのってはじめてかもしれない。


「……あは」

 りんちゃんがホッとしたように笑った。

「恵麻って、ほんとさぁ」

 あははと続けて笑うので、すごくしどろもどろになっていたことに気付いた。

「あ!ごめんね、聞いといて、いわなくていいとか」

「ううん、いいの」

 りんちゃんは、ぎゅっとカバンを胸に抱いて、私を見上げた。

「聞いてほしい、恵麻になら」


 胸が、熱くなった気がした。


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