6
口上を述べる光景は、なんだか冗談のようだった。
「水を湛え」と詠う眼下の池は干からびている。「酒の酔いを愉楽とし」という理解しがたい言葉を述べるのは
しかし陽音の姿は実に綺麗だった。薄い化粧が白と朱の衣装に華を添えている。蝋燭に照らされた頬が白い。紅をさした唇が、口上と共に滑らかに動くのが少し艶めかしい。だが折々口を閉じた顔は凜々しい。天がもう少しでも
くだんの
そんな風に呆然と眺めている間に口上が終わった。ゆっくりと
見る間に陽音は相好を崩し、簪を抜いて私に投げた。
「ちょ、危なっ」
陽音は私がなんとか受け取ったのを慥かに認めると何やら口を動かした。私は辛うじて「よろしくね」と読唇した。こちらの技量に頼りすぎである。後でしこたま文句を言ってやろうと思ったが、髪をさらりと解いて瓢箪の容器を持った彼女を見ると、途端にどうでも良くなった。
瓢箪はいとも簡単に割られた。くびれの所にひびでも入れられていたのだろう。水の入った大きい片割れを陽音は鷲掴みにして東屋の先端に赴いた。そうして脇構えのように瓢箪を提げる。一息に腕を振ったかと思えば、水が弧を描いて散った。厳かさなど微塵もなかった。
舞った水がいやに遅く落ちていくように見えた。都合良く雲間から洩れた光で瞬いた。特大の扇を広げたようだった。依然、池は土の色をしている。
瓢箪の水が数滴、簪に付いた。すると池の中央で米粒くらいの光が閃いた。何かは分からない。分からないが慥かに光った。しかし、何だろうかと眼を凝らす間もなく視界が闇に包まれた。最後に見たのは陽音が血相を変えて瓢箪を投げ捨てた光景と、暗い東屋の屋根だった。
*****
真っ暗だった。直ぐに夢だと悟った。ただ少し気味が悪い。きっと蓮の花が一輪だけあるからだろう。黒い世界に浮かぶ白い
おっかなびっくりに手を伸ばして舐めてみると、ただの水だった。もう二遍舐めたが、やはり冷たい水だった。ところで改めて葉を見ると嵩が増えてる。意味が分からない。
留まっていても埒があかないので花の裏を覗いてみた。蛇が横たわっていた。
驚いた私は頓狂な声を上げた。その声に警戒したのか、蛇は鎌首をもたげて私をじっと見つめてきた。しかしまた直ぐにぐったりと頭を下ろした。
「ねぇあなた、どうしたの」
蛇は応えなかった。どうも動く気力に欠けているらしい。どうせ夢だと手を差し出してみたが応じる気配はない。さてどうしたものかと周囲を見渡すが、あるのは蓮と堪った水だけだ。残す手段は水を汲むくらいしかない。
「飲めるかしら」
私は諸手で水を掬って蛇の鼻先にあてがった。しかし口が開かない。舌がちろちろと出たが、少し濡れるだけで飲んでいるとは言い難い。しばらく待ってみたが一向に変化がない。
いい加減しびれが切れたので、思い切って頭から水をかけてやることにした。ままよと蛇の頭上で手の器を解いた。一気に降りかかった水が鱗を濡らした。
冷水を浴びた蛇は矢庭にあんぐりと口を開けた。赤い口内が不気味だった。すると、まるで石から解き放たれたかのように急に動き出し、私は釘付けとなった。今度は自分が石のように動けなくなり、尻餅をついて眺めることしかできなかった。
蛇はとぐろを巻いたり、辺りを這いずり回った。それから、あろうことか私の手にすり寄ってきた。飛び退きたい一心だったが身体は私の意思を離れていた。
「返そう」
蛇がそう言ったような気がした。放心していて目眩がしていたが、その言葉だけは慥かに聴いたように思う。
束の間、意識が飛んだ。そうして気づいたときには空にいた。真っ暗な中に星屑のような光が煌めいている。遠く真下には土色の池が眺められる。少し肌寒い感じがして周囲を見ると数多の滴が落ちていた。また雨となったらしい。
それからは直ぐだった。風はなく一直線に東屋へ落下した。屋根を伝うと、とゆに入って暗い管の中を流れた。外に出るや否や受け皿で跳ねた。跳ねた先に、笹舟に浸かった誰かの指があった。その爪に当たって私は爆ぜた。
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