第2話

 朝の7時、雪村拓は超北国Xの10周年ライブのスタッフとして、会場入りした。

 今日こそは定時に開演させるために、雪村は今回策を打っていた。




 雪村は東京の大手芸能事務所にいたが、親の介護の都合で東京にいられなくなり退職した。そして、1年前からこの超北国Xのスタッフとして働き始めた。


 入社してライブの数の多さに驚いたが、何より運営の杜撰さが気になった。その最たる例が開演時間の遅さだ。その大体がプロデューサーの戸部のきまぐれ、メンバーの練習不足によるものだと入社して1か月ほどで気づいた。


 戸部はかなりのやり手だが、性格が本当にだらしなかった。いつも遅刻し、基本あまり何も考えていない。それでいていつも当日ギリギリのタイミングで修正を入れてくるので、その対応がどうしても開演時間に間に合わなくなってしまう。


 それにメンバーはメンバーだった。まず練習してこない。家での自主練という文化がない。大抵振りが頭に入っていない。そして、歌に関しても歌詞が結構な率で頭に入っていない。本番では何とかなっているが、それは覚えきれるまでの間、開演しないことにしているからだ。


 この両者によって、開演が時間通りになることがない。

 とはいえ、この両者だけを責めることもできなかった。


 結局何が問題かと言えば、この開演が遅れることを当然のものとして受け入れて、この両者に何ら対策を打っていないことこそが問題だと考えた。


 早々に超北国Xの事務所の社長で、直属の上司の田中に問題点を指摘した。


「まあ俺らも頑張ってるんだけどね」


そんな反応だった。別に状況を変えるつもりはないらしい。


現場でメンバーを見守る女性マネージャーの市橋にも聞いてみた。


「確かにそうかも。これってもしかして時間通りに開演できたことがないアイドルとして売り出せるかな」


 そう言われるだけだった。




 1年間、開演時間をどうにかしようと色々行動したが、結局状況を変えることができなかった。彼らが変わらないのは、結局ファンの人たちがそれで許していることが理由だった。なぜか誰も開演時間について声をあげない。古参のファンのうち一人だけが開演時間についてスタッフに直接言いに来るが、雪村以外の運営陣は全員それを迷惑なファンと考えているらしく、一切耳を傾けていなかった。

 素晴らしい限られたファンに囲まれた非常識的な環境下で、運営チームはみな口をそろえて、「開演時間が少々遅れても良いライブをお届けできるならそっちの方がお客さんも喜ぶよね」と言っていた。良いライブを開演時間通りにお届けすべきだと思うが、そんなことを誰も考えたことはないようだった。


 別にやめるほどではないので、開演時間を遅らせることについては我慢することにしていた。



 そんな中、10周年のライブは超北国Xとしては広い会場ですることになった。雪村は広い会場で人が集まるか不安だったが、予想は的中した。素晴らしすぎるファンしか残っていなかったが、その数は決して多くなかった。そして、それ以外にファンは残っていなかったし、10周年だから行こうと思う人もあまりに少なかった。


 その事実がメンバーに伝えられたときの表情は本当に悲しそうだった。


 さすがにかわいそうに思えてしまい、誰に頼まれるでもなく、東京時代の友達や高校の友達などに片っ端から連絡を取り、雪村の関係者だけで100枚チケットを売り切り、完売に導いた。




「やっぱり10年頑張ってきて良かったね」


 なんて言うメンバーには複雑な感情しか持てなかった。


「来てくれる人たちのためにも、恥ずかしくないライブをしようね」


 ほのちぃはそう言った。


 その言葉を聞いて気づいた。もし、開演時間が遅れてしまったら、メンツが丸つぶれじゃないかと思った。雪村はこれまで人生で遅刻には本当に厳しく言ってきた。いわば時間に厳しいということをアイデンティティにしてきていた。もし、そんな雪村と言う人間が運営チームにいるアイドルのライブが予定通り開演しないとなれば、おそらく友達や関係者の信頼を完全に失うことになるだろう。


 そこで、水面下でライブの開演時間を遅れないように策を打つことにした。




 まずは入り時間を会場に無理を言って、本来9時のところを2時間早めてもらい、技術スタッフの仕込みを最大限まで早めてもらうことにした。

 こうすれば、リハの準備をすぐにできる。リハさえ早くできれば、戸部の要望に対応する時間に余裕ができる。それにメンバーが覚えていないところを再確認する時間もたっぷり取れる。

 リハの時間を早めるだけで全て済むとも思っていないが、それだけでかなり時間的な余裕を作れると思った。

 特にトラブルがないまま仕込みは9時には準備完了していた。



「雪村君、ちょっといいかな」


 田中社長が声を掛けて来た。トラブルの予感だ。


「バイトの子たちが今日二人ともインフルエンザにかかっちゃって来れなくなったらしい」


 ライブの運営において、バイトの存在は重要だ。物販やチケットのもぎりには人が必要だ。今回は、雪村と田中、そしてバイト2人の4人で、入場受付や物販をやる予定であったが、その目算が早くも崩れた。バイトなしの2人で頑張るしかなかった。



 そんなことを話していると、電話がかかってきた。戸部だった。


「あのさ、ちょっとリハ間に合わんわ。ごめん」


 こちらが何か言う前にすぐに切られた。こういう人だった。


 仕方がないので、田中に報告する。


「これじゃ、リハはできないね。戸部君が見ないと意味ないからね」


 リハを早めることに失敗し、時間通りの開演が遠くなった。

 

 9時半、裏口に一台のバンが停まった。メンバーを連れた車だ。マネージャーの市橋とともに、メンバーが来るが、メンバーは2人しかいなかった。


「あの、ほのちぃは?」


 市橋の顔は険しかった。



 スタッフ控室で話を聞くために改めて市橋をつかまえた。


「市橋さん、ほのちぃは?」


「実は、家にいなくて、連絡がつかない感じで……」


「……、でもほのちぃ実家ですよね」


「うん、でご両親に話聞いたら、昨日の朝練習に行ったきりいないらしい」


「あれ、昨日は練習なかったんじゃ」


「そうなのよ。でも向こうはどうも泊まりで練習だと思ってたらしくて。お父さんも怒ってて、もうやめさせるとか言って」


「それは災難ですね」


「いや、最近はいつまでアイドルやってんだってことでずっと喧嘩してるらしかったって言うのは聞いてたんだけどね」


「じゃあ、家出ですか?」


「そうなるかも、まあ一応今日の朝もほのちぃからお父さん宛に連絡来てたらしいから大丈夫だとは思うんだけど」


「でも、どうするんですか?」


「いや、どうしよう……」


 バイトはインフルで休み、プロデューサーの戸部は遅刻、メンバーは失踪。ここに来て最悪の展開だった。







 11時半になって、ようやく戸部からメッセージが来た。


「誰もいないところで電話くれる?」


 裏口から一旦外に出たところで電話すると、1コールで戸部は出た。


「あのさ、雪村。これ誰にも言わないでほしいんだけどさ、飛行機が飛ばなくてさ」


「飛行機?」


「今大阪いてさ」


「なんでですか?」


「とにかく。それで代わりにレンタカーとか借りようと思ってんだけど、見たら8時間以上かかるらしくて」


「でしょうね」


「どうしよ?」


 どうしよも何も、来れないで終わりだ。別に戸部がステージに出るわけじゃない。


「仕方ないですね、僕らで何とかしますよ」


「え?」


「だから、何とかしますよ。それより、実はほのちぃが来てなくて」


「あぁ……」


「何か知ってるんですか?」


「実はいるんだわ、ここに」


「大阪に?なんで?」


「いや、言わせんなよ。それは」


 キレられたが、逆ギレも甚だしい。プロデューサーはメンバーのほのちぃに手を出していたようだった。


「いや、違う。ただ、USJ行きたいって言うから連れて来ただけだから」


 苦しい言い訳だったが、今はどっちでも良い。ただ、予定通り開演できるかどうか、それだけだった。


 が、どう考えても間に合わない。


「新幹線だとどうですか?」


「……、ちょっと新幹線だって」


 横のほのちぃに調べてもらってるらしい。


「一応動いてるけど、5時間半はかかるらしい」


 今は11時半なので、5時間だと17時になってしまう。開演時間の15時からは2時間遅れだった。


「今日中止しますかね……」


「それは困る。そんなことしたら、会社がつぶれる。払い戻しなんて無理無理」


 そんな状況なのに大阪に行く神経がそもそもおかしい。ただ、実際払い戻せる資金力はうちの会社にはなかった。


「あのさ、何とか繋いどいてくれる?」


「は?」


「多分こういうのバレたら、後々めんどくさいし、超北国Xなくなったら会社つぶれるだろうしさ。協力して」


「そう言われても」


「頼むわ」


「……、これもしかして他の人達には言ってないんですか?」


「うん、言ってない」


「ほのちぃはどうしましょうか?」


「なんかテキトーに言い訳考えて。とりあえず、新大阪タクシー向かうわ。17時目標で、よろしく」


 こうして時間通りの開演は叶わないことが確定した。それに加え、17時まで開演を先延ばしにする役目を引き受けてしまった。




 スタッフの控室に戻ると、市橋と田中がいた。


「あの、今戸部さんから連絡あって、ほのちぃを病院に連れて行ってるっていう話でした」


「病院?昨日から?」


「……。いや、それはよくわからないんですけど、もしかしたら家出したものの風邪ひいたとかかもしれないです」


「風邪ひいてるって、それは来れないってこと?」


「いや、今点滴してて、本人も来る気満々だけど、ちょっと時間かかりそうということでしたね」


「どこの病院?私迎えに行くけど」


 市橋はこういうときものすごく行動力がある。ただ、今日に限っては迷惑だった。


「いや、そこまではちょっと」


「ていうか、なんで雪村君にだけ連絡するの?」


「すみません、僕に聞かれても……」


 それは戸部が、女局の市橋や社長の田中に怒られたくないからだろう。それにこの2人が知ってしまったら、その時点で戸部やほのちぃを処分しないといけなくなる。そうなれば、超北国Xとともに会社も終わる。下っ端の雪村でとどめておくことが会社にとっても都合が良かった。


「とりあえず、今日リハは残ったあいちゃんとまっきーでやるってことで。それでいいですよね、社長」


「うん、了解。本当戸部君は……」




 戸部にメッセージで病院にいる設定にしたことを報告したが、「www」という返信が来るだけだった。


 リハの時間は昼食後の13時にあえて設定し、リハが終わるのを待って、開場は予定より1時間遅い14時過ぎに開始した。


 ここからはひたすらチケットで手間取らせる。結果的に開場に2時間弱を掛けることができた。とはいえ、もはや外に待っていた人は全員入場してしまい、ここが限界だった。ちなみに、関係者ら100人はちゃんと来た。一応理由をバイトがインフルで来れなかったことだと言うと理解してくれたらしく、誰も遅れたことをとがめる人はいなかった。そもそも時間に厳しいというキャラにこだわっていたのは自分だけだったんじゃないかと今さらながらに気付いた。


 お客さんが途切れたので、会場にいるスタッフにチケットのもぎりを代わってもらい、一度スタッフ控室に戻った。スタッフ控室には相変わらず田中と市橋がいた。


「ちょっと雪村君、どうなってんの?」


 戸部から「17時くらいに駅に着く」というメッセージが来ていた。


「そうですね、間もなく会場に着くらしいです。ただ、間もなくがいつかは、ちょっと」


 あと1時間何かで繋ぐ必要がある。過去映像しかないと思った。10周年のライブでデビューライブの映像が流れて本人が登場する、これはべたな演出だ。提案が通り、さっそくデビューライブの映像をクラウドからダウンロードしようと思ったが、15分かかると表示されている。


「15分どうしようか?」


 さすがにどうしようもない。が、ここは人に頼れない。


「いいです、僕に任せてください」





 

 覚えている曲の譜面を急いで印刷し、気づいたときにはギターを持ってステージに出ていた。


 2曲披露し、意外にも盛り上がった。15分が経過し、終わろうとすると、客席の前で市橋がカンペを出していることに気付いた。そこには「ネット遅くてダウンロードまだかかる。頑張って!!」と書かれてあった。


 仕方がないので、さらに1曲、1曲と続けていき、それでもカンペが出されたままだったので、最終的に5曲披露した。途中トークも増やしながら、何とかつないだ。ぶっつけ本番の地獄の1時間が終了した。時間は17時を過ぎていた。


 スマホを見ると、「駅到着。急いで向かってるからあとちょっと繋いで」と書いてある。


「あと5分くらいで着くっぽいです」


 控室にいる2人にこう伝えた。







 そんな中、突然見知らぬ中年男性が入ってきた。


「ほのちぃのお父さん、どうされました?」


 市橋が焦ってそう言った。どうもほのちぃの父親のようだった。


「ほのかはどこですか?」


「間もなく、ここに来ます」


 そう伝えた。


「ほのかさんは体調を崩されて、病院に今プロデューサーの戸部が付き添ってるんです」


 田中は冷静にそう言った。腐っても社長ということで、こういうときの説得力はすごい。


 そうすると、父親は財布を取りだした。ほのちぃのものだった。そして、中に保険証が入っていた。


「保険証置いていきますかね……」


「いや、まあ家出とかなら……」


「そもそも家出なんてする子じゃないんです」


「それこそアイドル活動に関して家庭でもめていらっしゃると聞いていましたが」


「それ誰から聞いたんですか?むしろこっちは娘からやめたいと何度も相談されているんです」


 どうも話が噛み合わなかった。


「市橋さん、さっきの家庭でもめているって話って?」


「戸部さんから聞いたけど」


「え………?」

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