早く開演してください
サクライアキラ
第1話
1月、あたりは一面雪景色。極寒の朝8時、開かないドアの前で小笠原は一人立って待っていた。
今まで彼女がいたこともない。会社でも一応の役職として課長代理まで来たが、使えない社員筆頭と思われている自覚があった。
そんな小笠原の唯一の楽しみがローカルアイドルの「超北国X」だった。ある日、パチンコ帰りに小さい女の子からお披露目ライブのビラをもらったのがきっかけで、なんだかんだデビュー時からずっとファンとして応援している。
超北国Xは3人組の女性アイドルグループで、今までメンバーの変遷はない。最初にビラをくれた女の子ことほのちぃは当時11歳の小学5年生だったが、今では21歳になった。身長は当時から変わらず140cm代で、相変わらず無邪気で、擦れてないところが個人的には気に入っていた。
この10年間、事務所が持っている地下のライブハウスで週末のライブをほぼ休まず続け、そして今日とうとう10周年の記念ライブを超北国X史上最大規模の会場で迎えることになっていた。
小笠原はあまりに楽しみで、開演時間が14時にもかかわらず、8時からずっと待ち続けていた。
11時になり、ようやく同じくデビュー当時から応援している古参ファンが現れた。
「小笠原さん、早いですね」
「いやいや、せっかくだから早く来てみたんだけどね」
「今日結構積もるかなと思いましたけど、やっぱりそこまで積もってはないですね」
「まあ市内はそこまで積もらんよ」
「そういえば、逆に今日大阪辺りは雪降って大変らしいですよ」
「確かにあんまり大阪は雪降らないって聞くけど」
「大阪にファンはいなさそうなんで、今日のライブには影響しないですけどね」
超北国Xの知名度は県内でとどまっており、ファンもほぼ100%県内の人たちだった。
「まあ10周年ライブ楽しみましょう」
そう言った後、一旦昼ごはんに抜けて行ってしまった。
小笠原は決して盲目的なファンではなかった。特に運営にはかなりの文句があった。メンバーは小中学生の頃から10年もの期間、いわば青春をアイドル活動に何もかもささげてきたのに、こと運営は全然ダメだった。
運営の何がダメかというのは、歌の戦略だとか色々あるが、一番はちゃんと時間通りに進められないことだった。特にライブの開演だ。ライブの開演時間ちょうどに始まったことは一度もない。それどころか5分以内に始まったことすらない。10年間、基本毎週末、最低でも週2回はライブをしてきたので、年間約100回、合計1000回以上はライブをやっていて、十分なノウハウが蓄積されてきたはずだ。それにもかかわらず、時間通りなことがない。こんな杜撰な運営も影響してか、いつまでも全国区の人気は得ていなかった。
せめて10周年を記念する今日くらいは、時間通り14時に開演、その前に13時に開場してくれることを願った。
残念ながら、その願いは叶わなかった。結局1時間半遅れの14時半にようやく開場された。
今回のライブでは全席スタンディングのため、事前の電子チケットの整理番号順で入場になる。古参という配慮があったのか、ただの席運なのかわからないが、とにかく1番を取れたので、一番最初に入場することができた。ありがたいことに最前列の真ん中で見ることが確定した。開場時間が遅れもはや開演時間は過ぎていたのは残念だったが、文句を言うほどでもない。ただなるべく早く開演してくれることを祈った。
15時、15時半になっても、入場に手こずっているらしく席は埋まらなかった。そのため、開演することもなかった。別に一旦外に出ること自体はできるのだが、一度最前列を離れてしまうと、整理券が1番だからと言って最前列に戻れるわけではない。そのため、最前列をキープするためにはこのまま開演まで、むしろ終演までずっと立ち続けるということが必要だった。頼むから早く始まってくれと祈ることしかできなかった。
ただ、SNSを見ても、こんな開演時間が遅れたにもかかわらず炎上していない。それどころか開演が遅れていることを投稿する人すらいない。やはり運営に都合の良すぎるファンは良くないと感じた。そうは言っても、仮にまともなファンがいたとして、今日はトレンドに上がるほどではないだろう。というのは、今日の昼に近くの山で遺体が発見されたというニュースが地域のトレンドのトップになっていたからだ。さすがにこんな小さなアイドルの開演が遅いくらいじゃ、人の生死には勝てない。
実際に開場してから2時間、元々の開演予定から2時間遅れの16時になり、ようやく会場のBGMが消え、会場は一気に暗くなった。ようやく始まるようだ。
ここから、専門的にはovertureと呼ばれる、いわゆる出囃子がかかって本人たちが登場する。
と思っていたが、まずovertureが流れない。そして、あろうことか謎の男がギターを持ってやってきた。よくよく見ると、ダメ社員の雪村だった。
「お前かい」
最前列で思わず叫びそうになったが、一応とどまり、小声でつぶやくにとどめた。
「盛り上がってますか~?」
雪村は普通に会場に声を掛けた。
正直めちゃくちゃに腹が立った。こっちはもう何時間も立って待っていて、出てきたのがお目当てのアイドルグループではなく、さえない若手社員が出てきたのだ。とはいえ、会場から歓声が上がった。どうもファンの人たちは雪村を受け入れることにしたらしい。
雪村のパフォーマンスは路上ライブの平均点レベルだった。別に悪くもないが、わざわざ見に来たいと思えるほどでもなかった。しかしながら、周りの観客はみんなで合いの手なんかを入れて完全に楽しんでいた。雪村の歌を5曲フルサイズで聞くことになった。間に長い長いMCを挟み、前座とは考えられない、驚異の1時間もパフォーマンスを続け、やっとはけた。
途中飽きて、スマホを何度か確認すると、驚くべきことに素晴らしいファン達が雪村のパフォーマンスを絶賛していた。ファンの過剰な温かさにさすがにドン引きした。
やっと前座が終わったときには、17時を過ぎていた。元々の開演時間から既に3時間を過ぎている。本来であればもう帰れていておかしくない時間だった。
ようやく待ちに待った超北国Xのライブが始まる。
今度はちゃんとovertureが掛かり出した。ようやく本人が見れるかと思いきや、2分弱のovertureが終わった後、突然真ん中に置かれた巨大なモニターに映像が映し出された。どうやら、デビューライブの映像のようだった。過去10年間の映像を振り返って、ようやく本人が登場するという流れらしい。べたではあるが、これはこれで良い演出だなと思った。
今日の衣装はどんなんだろうか、そして1曲目は何だろうか、期待で胸が高まる40代のさえない男こと小笠原であった。
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