凛が帰ってから、私はとりあえず職員室へ行って先生に謝罪し、そのあと図書室に向かった。夏休みの宿題もギリギリまで手を付けないタイプだから、先日出された古典の課題も当然のように終わっていない。今日中に終わらせて明日朝一で提出するということで先生になんとか話をつけてきた。

 参考資料を探していると、本を抱えた渡辺君と鉢合わせる。先ほどの推理で名前が上がった渡辺君だ。司書の先生の手伝いでもしているんだろうか。書架に本を戻している。その様子をジッと観察していると不審者を見るような目で三度見されたので、慌ててその場を後にした。石とか枝とか本とか、何かでSOSを形作っているところを直接目撃できたらいいのだけど、そううまくはいかないみたいだ。


 そうして謎解きを一時中断して課題にとりかかったものの……、三十分も経たずに集中力が切れた。大昔の言葉なんてわからないよ。くくしきけれケロケロ。けけけるけるけれけよコケコッコー。意味のわからない文字列が頭の中をぐるぐると回る。

 息抜きをしようと窓辺へ行き、思いきり伸びをした。大きく張り出した窓からは外が一望できる。学校の前には浜辺とエメラルドグリーンの海が広がり、傾きはじめた太陽が海をキラキラと輝かせる。その綺麗さに見とれていると、浜辺で動く人影を見つけた。

「委員長だ……」

 思わず小さな声が漏れる。

 ゴミ袋を片手に、清掃活動? 成績はいつも上位、運動部に入部してほしいと懇願されるほど運動神経抜群。そのうえ花壇の手入れや、校外の掃除までしているとは。絵に描いたような模範生っぷりだ。どうしてそこまで頑張れるんだろう。でも、一人で黙々と頑張る姿に、少しやる気をわけて貰えた気がした。


 結局この日は暗くなるまで図書室で過ごした。課題を頑張りつつ、時々横目で渡辺君のことを気にしていたけど、特段変わった様子はない。SOSのメッセージも図書室内には見当たらなかった。ただ、渡辺君が司書の先生と小声で談笑している姿が印象に残っている。一人になりがちで、孤独から救難信号を発しているのかもと決めつけたのは、少し失礼だったかもしれない。


 ◇


 翌朝、駅から学校へ向かう途中に新たな救難信号を見つけた。たった五分の短い道のり。海沿いの細い道路と浜辺とを隔てる低い塀の上に、貝殻が三つ、流木が三本、そして再び貝殻が三つ。校外で痕跡を見つけるのは初めてだった。

 校内でも一つ、新たに見つけた。エントランスホールの壁にある掲示板。購買の入口がある側には賞を取ったという書道作品がずらりと並ぶ。その反対側、部活動や学校行事のお知らせが張り出されている隅に、こっそりと。掲示物を貼るためのテープが細かく切られ、正方形が三つ、長方形が三つ、そして正方形が三つ連なっていた。


「と、いうわけで。ここ数日、学校の内外で救難信号を探していたわけだけど、今日も見つけたよ。駅前通りに市民会館があるでしょ。あそこの赤レンガで作られた花壇に、やっぱり石と枝で」

 数日前と同じようにエントランスホールの机につき、私は謎解きを始めた。あの日と同じように凛はパックのミルクティーを飲み、「へぇー」と気の抜けた相づちを打っている。

 私の推理はこうだ。学校と駅を繋ぐ道々で救難信号を見つけたということは、学校の敷地内にある寮で暮らしている寮生と、遠方からバスに乗り学校の駐車場で降りるスクールバス利用者は除外される。そして、長谷川さんはスクールバスで登校しているらしい。あと、校内で救難信号を探している途中、茶道室から連れ立って出てくる生徒たちの中に笑顔の長谷川さんがいた。図書室に居場所がある渡辺君のように、長谷川さんにも茶道部という居場所があるみたいだ。

 話しを校外で見つかった救難信号に戻すと、つまり――。

「救難信号の発信者は、電車通学の渡辺君に絞り込まれた……!」

「あたしも見つけたんだよね、SOS」

「えっ!?」

 それは新たなSOSが見つかったことに対する驚きだけではない。凛も探してくれてたんだ……という、ちょっとした感動も含む「えっ!?」だ。

「教室近くのトイレ、鏡の隅に泡で書いた跡があった」

「……ん? トイレって、女子トイレだよね?」

「そりゃそうだよ。男子トイレには入らないよ」

 渡辺君は男子だから当然女子トイレには入らない。つまり、ここにきて要救助者の候補者はゼロ……? 振り出しに戻ってしまった。さらに、凛が「そもそもさ、寮生だってバス通学の人だって駅までの道は通るかもよ。駅の反対側にイオンあるし」と追い打ちをかける。

 私の推理は最初からずっと穴だらけで、真相になんてたどり着けそうもない。でも、助けを求めている人がいるのはたぶん事実で、今もつらい思いをしているかもしれなくて。

 悩む私の頭を、凛が慰めるようにぽんぽんと軽く叩く。優しい。

 そのとき私の頭上に、先日と同じように声が降った。

「三浦さん。ちょっといい?」

 委員長だ。けれども、今日は髪を結っていない。さらりと流れる黒髪が顔に影を落とす。

「どうしたの委員長。そういえば今日はポニーテールじゃないんだね」

「そんなことより、あなた英語表現の課題が再提出になったのにまだ出していないそうね。先生が困っていたから早く職員室へ行ったほうがいいわ」

「うわぁ……忘れてた。教えてくれてありがとう、委員長」

 委員長は今日も今日とてキビキビしている。要件を済ませたから、もうこの場を後にしようとする。でも、彼女が去ろうとしたそのとき、髪がなびいて右頬に赤紫色の痣が見えた。できたばかりの、痛々しい痣だ。

 一瞬あっけに取られたけど、気づけば委員長の背を追いかけていた。

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