青春救難信号

十余一

 最初に違和感を感じたのは黒板消しとチョークだった。教室に入ったとき目の端に映る黒板。ご丁寧に黒板消しが三つ並べられ、その左右に新品のチョークが三本ずつ置いてある。しかも白色ではなく、たいして使わない赤色ばかり。黒板消しだって元々は二つしか置いてなかったと思うから、別の教室からわざわざ追加で一つ持ってきたんだろう。

 次に見かけたのは正門のすぐ横にある花壇。色とりどりの花を見ていて、ふと気づいた。雑草の一本も生えていない土の上に、意味有りげに丸い石と小枝が並んでいる。石が三つ、枝が三本、そしてまた石が三つ。

 体育の授業中、フットサルの試合を終えてグラウンドの隅で休憩していたときにも見つけた。土の地面に指で書かれたような跡。丸、丸、丸、線、線、線、丸、丸、丸。つまり、トントントン、ツーツーツー、トントントン。

 これが意味するところは――。


「きっと、誰かが助けを求めているに違いない!」

 校舎一階、吹き抜けのエントランスホールに私の声が少しだけ響く。

 拳を握りしめて力説してみたものの、クラスメイトで幼馴染のりんは特に表情も変えることなく紙パック飲料を飲んでいる。自販機で買ったミルクティーだ。

「聞いてた?」

「うんうん、聞いてた聞いてた」

「私たちのクラス、つまりは二年B組の中に、SOS信号を発している人がいるんだよ」

「思いこんだら一直線の祈里いのりらしいね。でも石とか地面の線とか、偶然か何かじゃない?」

「二度あることは三度ある……、仏の顔も三度まで……、三度目の正直……。三回も続いたんだから偶然じゃないよ!」

 思いのほか大きくなってしまった声。発生源の私に、エントランスを行き来する生徒たちの視線が突き刺さる。時刻は午後三時五十分。帰宅するために正面玄関へ向かう生徒や部活前に購買へ寄る生徒で、それなりに往来があった。私たちのように、エントランスに設置された机でお喋りを楽しむ人たちもいる。

 目の前に座る凛は頬杖をつき、「ことわざの意味わかってる?」と苦笑していた。私は色んな気恥ずかしさを咳込んでごまかす。

「とにかく、とにかくだよ。これは困っている誰かからのメッセージ。謎解きだね」

「いいよ。名探偵祈里の推理、聞いてあげる。暇だし」

 栗色の瞳を細める凛を前にして、私はシャーロック・ホームズを気取り話し始めた。

「まず、黒板消しとチョークの救難信号があったことから、助けを求めているのはうちのクラスの誰かと断定。私のプロファイリングによると、要救助者は孤立していると思われる。助けてもらいたいけど、相談する相手がいなくて困ってる状況」

「まあ、相談相手がいるならこんな回りくどいことしないかもね」

「そこで、二年B組のクラスメイトたちを思い出してみてよ」

 私は凛にそう言うと、自分も普段の様子を頭の中に思いえがいてみる。一番目立つのはサッカー部の男子とテニス部の女子たちだ。活発な彼ら彼女らはいつもグループで楽しそうにしている。それから野球部の坊主頭たち。彼らは隣のクラスへ遊びに行っていることが多いけど、みんな仲良さげだ。その他にも二人ないしは三人以上一緒になって行動している人が多い。もちろん私と凛も。

「クラスで一人になりがちなのは――」

「そもそも、仲良いからこそ言えないことがあったりして。あたしたちみたいに幼馴染じゃなければさ」

「もう! 前提条件を崩さないで!」

 話の腰を折ったことに抗議すると、凛は「ごめんごめん」と軽く謝り、手を振って続きを促す。凛の持つ紙パックからはズズズとミルクティーのなくなる音がした。

「推理を進めるからね。単独行動しているのをよく見かけるのは、女子だと長谷川さん、男子だと渡辺君あたりかな……。この二人のどちらかが救難信号を発しているというが、私の推理だよ」

 名探偵ホームズになりきったつもりで「どうかね、ワトソン君」と言いかけたところで、私の頭上に別の声が降る。

「三浦さん。ちょっといい?」

 うちのクラスの委員長、清水さんが椅子に座る私を見下ろしていた。おくれ毛の一本もないポニーテールに、第一ボタンまで留められた白いシャツと、緩さとは無縁のリボン。今日も今日とてキッチリしている。乱れひとつない服装は、彼女の真面目な性格を表しているようだった。

 しかし、眉間にはしわが寄っている。不機嫌というより、少し呆れている様子。

「あなた、古典の課題をまだ提出していないでしょう。すぐに職員室に来るようにと、先生からの伝言よ」

「そうだった……! 伝言ありがとね、委員長」

 伝言だけを簡潔に伝えて去ろうとする彼女を、私は引き止めた。

「そういえば、委員長ってよく花壇の手入れしてるでしょ」

「しているけれど。それが何?」

「こう、石とか枝とか? 並べてる人、見かけたことある?」

「さあ? 見たことないわ」

 短く返答して、まるで少しの興味もないように、委員長は私たちの元から去っていった。ピンと背筋を伸ばし、風を切って歩く。その後ろ姿を見ながら、ふと思った。

「委員長も一人で行動しがちだよね。休み時間とか、静かに本読んでる」

「でも委員長だからねぇ。文武両道、品行方正。なんでもできるし、一人でも全然平気そうじゃん」

 凛の言葉に、私は納得してしまった。委員長が誰かに助けを求めている姿なんて、まったく想像できない。

「ところで、凛。凛ちゃん。凛さま。 課題を手伝ってくれたりは……?」

「しないね。面倒だもの」

 そう言いながら凛はカラの紙パックをゴミ箱へ投げ捨てる。綺麗な弧を描きホールインワン。視線を戻すと、すでに凜はリュックを背負い、靴箱へ足を向けていた。振り向きもせずにバイバイと手を振っている。薄情者!

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