第5話 とりあえず落ち着こうよ三輪さん? ⑤


 

 ※


 部屋の中でシャツ一枚になる楓蓮かれんお姉様。彼女もトランクス装備だった。お父様と違うのはブラを装備してて、手慣れた感じにホックを外し、ブラを取ったというか……でっけーブラだなおい。さおりんより一回り以上大きいぜ!


「ふふっ、何で脱ぐのか疑問でしょ? これ、男になった時に微妙に体型が大きくなるんです、なのでピチピチのジーパンとか、他には女物のショーツとか。履いたまま入れ替わると……ブチブチ言いながら破れちゃうんですよ。なのである程度余裕のある下着じゃないとヤバイわけで」 


 ちょ~~っと! 待って!

 入れ替わるのは分かった。分かったんだけど! そのまま入れ替わったら……

 シャツとトランクス姿の爽やか黒澤くろさわくんになっちまうんじゃね?


 ヤバい。ヤバいって! イキナリ急展開すぎるっておい!


 ウチが急に狼狽えると「大丈夫ですよ。怖くないっす」とは言ってくれるものの、怖いとかそういう感情じゃなくって、殿方の下着姿を直視なんて出来ねーよ!


 説明することも出来ないウチは、楓蓮かれんお姉さんの下半身を指差して、手で隠す動作をする。


「あぁ~ごめんなさい。ですよねですよね。トランクスじゃハミ出ちゃうかもですね」


 え? はみ出たりするの? うわぁ~~~~! ハミ出るぅ!

 いあいあウチは何を考えてんだぁ! それ絶対ダメなヤツだって!


「ん~。じゃあバスタオル巻いておきます」


 ナイスな提案に親指を立てると、楓蓮かれんお姉様も同じように応えてくれた。


「じゃあ変わりますね~」


 正座になった楓蓮かれんお姉さんと同じように正座で対抗。その数秒後。


 じわじわと変わっていく。ロングのポニーテールが短くなり黒髪になっていくと、ガタイも一回り大きくなり、筋肉質な腕になっていく。ヤバイ。ウチの方が急激に緊張してきた。


 今目の前に見えるのは、美少女である楓蓮かれんお姉さんではなく、今日の昼に見かけた爽やかイケメンな黒澤くろさわくんとなってしまった。


 これでお父様の入れ替わる瞬間を見て2回目だけど……やっぱり常識的にあり得ないという思考が強く、目の前で見たにも関わらず、脳内の処理が追い付かない。


 ウチが固まっている間、黒澤くろさわくんはささっと綿パンを装備してシャツの上に一枚羽織ると、ウチの前に正座した。


「どうも。三輪みわさん。黒澤くろさわれんです。主に学校でお世話になると思いますがよろしくです」


「……よっ」 

 

 言葉が出ない。何となくさっきから気がついてたんだけど、やっぱり……喋れねーよ!

 目を合わせるのも無理! そしてウチの姿を見られるのも無理ぃ!

 ヤバイヤバイヤバイヤバイ! ここから一瞬で家に帰りてぇ。穴があったら入りてぇよぉ!


 そんな緊急事態に気がついたのか黒澤くろさわくんは、


「やっぱり、気持ち悪いですよね」


 それはない! そんなことは無い! 全力で首を横に振り続けるが、

 一言も喋れなくなってしまった。


 さっきまで楓蓮かれんお姉さんだったから。というのが相当大きかったらしい。

 それが急にイケメン黒澤くろさわくんになった瞬間、三輪みわさんの脳内はパニクってしまう。


 しばらくは黒澤くろさわくんも何も言わなかった。そして……


「とりあえず。お送りしますね」

 

 男の声。少しばかりトーンが低かった。あんまり明るい顔してないよね?

 今、彼がどんな気持ちなのか、どんな表情をしているのか。さっきまでの楓蓮かれんお姉さんの態度を見て来たんだから安易に想像できた。


 きっとウチの態度を見て落ち込んでる。よね……

 必死にその身体のことを説明してんのに……


 違う。違うんです。ウチ……


 わたし……本当に喋れない……しゃべれないんです。

 男の子とこんな風に……喋った事がなくて、どんな顔をしていいのかもわからない。

 声にも出せない。伝えようにも……伝えられない!


 暫くの間があった。どのくらい時間が経ったのかも分からない。

 1分くらい? 10分くらい? いあ……わからない。

 長い時間のようでもあり、短かった気もする。


 頭が真っ白のなったまま、ふと声が聞こえてくる。


「行きましょっか。ついて行きます」


 玄関を出るとウチはずっと頭を下げたままであった。

 とにかくこのままじゃ黒澤くろさわくんの顔すら見れないし、こんな顔を彼に見られたくはなかった。その結果アスファルトに目を落とすしか出来なかった。


「あ、もしよかったら、目の前でラインで連絡してもらってもいいですよ」


 そう聞いたとき、ウチは最速でスマホを持つと、


『ごめんなさい』


 すぐに思い浮かんだのが謝罪だった。その後も長文を書いて黒澤くろさわくんに分かって貰おうとしたが、その時「うっ」と漏らすとスマホの画面に大きな水滴が落ちた。


 その数秒後、ウチの顔が崩壊し大量の涙が溢れてしまう。


三輪みわさん……え?」


 情けない……不甲斐ない。だけど……どうする事も出来ない。


 伝えたいのに、伝えられない。


 何でウチはいつも……こんな出来損ないのコミュ力しかねーんだよ!


 自分の不甲斐なさにとうとう歩けなくなってしまった。立つ気力も失いそうになると、その瞬間――


「ちょっと失礼します」

 

 まさかというか、黒澤くろさわくんに抱きかかえられてしまった。


 彼におんぶされちまってる。そんな予想外の展開に更に固まることになるのだが、この時ばかりはさっきの状況よりも遥かに安堵していた。


 何故かというと彼の視線がこちらに向いていないのが分かるから。


 ウチを動けなくしてるのは間違いなく【見られている】というその視線なのに気がついた。

 おんぶされているというもっとヤバい状況なのにも関わらず、先ほどよりも状況は良くなっているとさえ思った。


「えっと、どっちですか? 指差して教えてくれると助かります。スマホでもいいですよ」


 ウチをおんぶしたまま、スマホを持とうとするが手間取ってる様子の黒澤くろさわくんを見て、ウチは小さい声で「まっすぐ」と答えた。一度声に出せるとそれ以降は簡単に単語が出てくるのであった。


 家まで15分ほど。その間ウチも黒澤くろさわくんも道案内の話しかしなかった。

 ようやくマンションに到着するとおんぶが解除される。エレベーターで6階に到着し、そして家の玄関の前で立ち止まると、お礼を言おうにも……また言葉が出て来ない。


 分かってる。喋れない理由はその視線なんだ。金縛りにあったみてーに動けなくなるんだ。

 だってこんな男の子に、マジマジと見られた経験なんてないし、そもそも男の子と喋った事が無かったウチには今、人生最大の試練がやってきたようにも思えた。


「無理に言わなくても……あの、ラインでいいですから」


 目の前にいるのに口が開かない。情けないのは分かってるけど、どうにもならないんだよ!


「ラインだったらいつでも連絡できますし、俺も三輪みわさんに色々とお話したいです。学校のことやこれからのこと。入れ替わり体質のこととか、もっと聞いて欲しいし、もっと喋りたいです。だって……あなたは……」

  

黒澤くろさわ家の秘密を知ってる、理解してくれる。とても大事な人ですから。俺はもっと、三輪みわさんと仲よくなりたいです」 


 ウチは思わず頭を上げると、黒澤くろさわくんと目が合った。

 そのあと、ニコっと笑顔を見せた時、ふと楓蓮くかれんお姉さんの表情とダブって見えた。


「じゃあ今日は帰ります。夜遅くまでお疲れさまでした。明日も学校ですしゆっくりしましょ」


 そのタイミングでようやく「うん」と頷くことが出来た。


「とりあえず学校では接点のない関係で行きましょう。その内学校でも仲良くなっていく。そんな感じで」


 更にうんうんと頷きながら、自然と笑顔になっていた。

 そして「じゃあまた明日」と言い残し黒澤くろさわくんは背を向けた。その瞬間――


 言えよ。言えよおい! 「ありがとう」くらい言えってんだ!


 この場面でも逃げんのか? ※フォールドすんのか! ありえねぇよ! 


 言えよ。言うんだよ! 「ありがとう」くらい言えってんだ!


 ここで勝負しねーと一生後悔するのは目に見えてんだ!


 全部この一手に掛けるんだよ! ※オールイン!


「ありがとう……今日はありがとう」  


 意外とあっさりと言えたのはきっと、背中だったから。

 だが……振り返られるとすぐに下を向いていた。


「よろしくね。三輪みわさん……」

「うん。よろしく」


 見られながらようやく……一言言えた瞬間だった。


 ※


 その後、ウチは必死にラインで謝罪していた。

 喋れなかったことで色々と誤解を招いてると思ったウチは、挙動不審になった場面の全てをラインにて説明していた。ポロポロと泣いた事も、頭が真っ白になって倒れそうになったことも全て正直に話したのだ。


『じゃあ楓蓮かれんのほうが喋りやすい感じですか?』 

『はい。楓蓮かれんさんだと同性だと思える分、喋れたと思うんです』


 とにかく言葉に気を使い敬語で説明する。そういえば黒澤くろさわくんも敬語だな~。とか思いながら今日の出来事を誤解されないように必死になっていた。


 後は学校や黒澤くろさわ家のルールをもう一度確認する。


・学校では黒澤くろさわれん三輪みわ加奈子かなこは本来何の接点も持たないので、基本喋ったりしない。

・その内、周りから見ても自然に仲良くなるように持っていく事で合意。


『目が合ったとしても、無視したり何も喋らなかったりしますけど気にしないで下さい』

『その方が自然だと思います。それでいいと思います』


 黒澤くろさわくんと家族だよ~とかバレちまうと、黙ってられない奴らがいるだろう?

 そう。さおりんやまゆちんである。確実にイジられるのは目に見えてるので、絶対にバレてはいけない。それにバレることで色々と不都合が出てくるかもしれないと思うと、この事実はまだ隠しておくのが正解だと思ったからだ。


『こういうの。わりと慣れてるんで任せて下さい。何か疑問や誤解があればすぐに連絡下さいね』

『分かりました』


 ちゃんと「わかりました」って言えた時点でウチは成長してると思った。まぁラインだし、目の前にいる訳じゃないし、難易度は比較的低いからな。


『もう12時ですね。そろそろ寝ないと。という訳でまた明日』


 ウチはお休みのスタンプを送ると大きく伸びをした。

 あぁ……なんつーか。すっごい楽しかった。明日休みだったら延々と喋りたかった。っていうかラインだとモリモリ喋れる自分を見直したぜ。


 とりあえず視線だけだ。まずはコレを克服しねーとな。

 大丈夫、大丈夫。これだけラインで喋れるようになったんだ! 何とかなるだろ。

 

 明日が楽しみだな。これからどんな学校生活になるのか楽しみで仕方がなかった。

 ウチだけしか知らない、さわやか黒髪イケメン黒澤くろさわくんの秘密か。ぬふふ。


 などと。見られていない場合は鬼強くなれる三輪(みわ)さんであった。

 

 

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