3.低性能な男だったようです
「出て行った日、
「……さとこ……はぁ、全く……。何であんなのに捕まっちゃったのよ」
「もう、それは言わないで。私だって反省してるんだから」
カジュアルなスペイン料理屋の奥のテーブルで、
「あいつ里子の誕生日も忘れてたでしょ」
「うん。私は覚えてないけど、その日は葉月が相手してたのよね」
「『八月二十日誕生日なの』って私が言ったら信じて、躊躇なく『それならお祝いさせてくれないか』って言ったのよ。最低。葉月って名前だからって八月生まれとは限らないんだけど」
顰め面をした葉月が、スプーンでパスタパエリアを口に運ぶ。細いパスタをこぼさないよう気を付けながら。
「しょうがないわよ、葉月は魅惑的な美人でスタイルも抜群だし。チャンスとばかりに、夏の虫みたいに寄って行っちゃったんでしょう」
「……あいつの
「うん。覚えてないけど、たぶんよかったんだと思う」
にこりと笑うと、里子はサングリアを一口飲んだ。フルーツの酸味が程よく効いた赤ワインが、のどを滑り落ちていく。この店のサングリアの赤ワインと果汁の比率は、とてもいいようだ。
「里子、本当にあいつのこと忘れてるのね。笑えるわ」
「結局、不要な記憶だったのよね。クリーンアップで削除されるなんて。……でも、葉月が一枚噛むこともなかったんじゃない? 面倒だったでしょ?」
「騙すのは楽しかったから、面倒なんかじゃなかったわ。それに里子がただクリーンアップするだけじゃ、あいつ激昂しちゃってよけいに里子への締め付けがきつくなってたかもしれないじゃない。落とした大脳皮質を誰かが拾ったついでにいたずらでクリーンアップしたっていう筋書きが必要だったのよ」
「まあ、そうなんだけど。楽しかったならよかった」
「もうあんな
葉月も
里子は、うなじのファスナーを左手で軽く触り、きちんと閉まっていることを確認した。酒が入るとゆるんで中身を落としやすくなるのだ。
「そうね、気を付けるわ。ありがとう、葉月。お礼に一緒に旅行でもしない?」
「えっ、お礼にって、もしかしておごり?」
「もちろん。私も働いてるから財産分与はそれほど多くないだろうと思ってたけど、思ったより多く慰謝料がもらえたのよ」
「あー、そうだったわね。うれしい、絶対行く。警察って言っても遺失物係は有休取りやすいから」
満面の笑みでサングリアのグラスから、オレンジの果実を葉月の指が取り出す。そのまま口へ運んでむしゃむしゃと食べる仕草が子供のようで愛らしい。
「私、葉月のこと忘れなくてよかったって、南警察署に大脳皮質取りに行った時ほっとしたわ」
「あの時は心配したのよ。里子、ボールペン落としちゃってたじゃない。……私語はできないから何も言えなかったけど。あー、もし忘れられてたらすごく悲しい……小学生の頃からの友達で、久し振りに会ったら結婚してて、相手はあんな男……って、そういえばあいつ、私が出身地言っても全然気にしてないみたいだったなぁ。里子と同じなのに」
「……ほんと、
「そんなのどうでもいいじゃない。それよりどこ行く? 海外?」
ぶつぶつと一人で考え始めた里子を葉月が明るい声で現実に引き戻した。里子ははっと顔を上げ、「うん」と笑って答える。
「海外にしよう。真冬に南国リゾートとかよくない?」
「素敵! 計画ばっちり立てよう!」
自由を手に入れた里子は、真冬の時期の旅行に思いを馳せる。記憶にはないが、あの男に束縛されていた時は、きっと友人との旅行の予定を立てることなどできなかっただろう。それに、これからは日常生活でも自由を満喫できる。夫が帰る時間に合わせて夕食を用意したり、風呂を沸かしておいたりなどの細やかな気遣いもしなくていいのだ。
「楽しみね」
まずは気の置けない友人と笑顔で話せるという自由を、里子は満喫する。
「セブ島かバリ島、あとはパラオとか? 調べてみよ」
朗らかな口調で旅行先候補を挙げていく葉月に「うん」と返し、
遺失物係 ―クリーンアップのススメ― 祐里 @yukie_miumiu
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