第16話 世界の姿

 湊の目の前で、次々と車やバスが駆け抜けていった。車は待ち人の前で停車すると、その者を乗せ、再び走り去って行く。その光景を静かに見守るように、真っ白な看板を掲げたデパート跡の建物があった。


 津田沼の駅前ロータリーで、湊は草薙との待ち合わせをしていた。彼が仲間内で唯一車を所持していたため、協力を願い出たのだ。


 湊が草薙と共に向かう先は東京だ。先日、彼が視聴した気味の悪いテレビ放送を鑑みるに、東京のテレビ塔に何か異常が起こっているように感じたのだ。その上、東京方面の電車が運行停止となっている事実も彼の興味を惹いた。実際、湊が今日津田沼に向かうために乗った電車も船橋が最終駅だった。しかし、湊には、子供のころに東京に電車で訪れた記憶が鮮明に残っている。


 湊は、何者かによってこの世界が操られているという感覚を強く抱いていた。もし、全てが神の意志によるものなら、なぜこんなことを行なっているかに興味があったのだ。船橋の向こうには、知られざる世界の秘密が隠されているのではないだろうか。


 湊は事実を確かめるために有給休暇を取得した。突如の休暇申請に対して、会社からは激しい抗議が来る。次回の出社の足取りが重くなりそうだが、いざとなれば、あのような楽しくない会社は辞めてしまえば良いだろう。


 しばらくすると、年季の入った黒い車が湊の方へと近づいて来る。その車の運転席には草薙の顔があった。車はゆっくりと湊の前で停止する。湊は車の助手席から、車内に足を踏み入れる。


 車内は予想以上に綺麗で、新しい皮の香りが湊の鼻をくすぐった。さらに、ほのかに煙草の匂いも漂っていた。


「吸うの?」


 湊が言うと、草薙が頭をかく。


「ああ、最近、禁煙をやめてね」


 確かに、湊の記憶の中の草薙は教師に隠れて煙草を吸っていたように思えた。


「今日は、すまないね」

「オンボロは余計だろ! まっ、ダチじゃねえかよ。水臭い。それで東京のどこに行くんだよ?」

「まずはスカイツリーに向かって欲しいんだ」


 湊の答えを受けて、草薙は車のモニターに手を伸ばし、地図が表示されると同時にカーナビゲーションにスカイツリーの場所を覚え込ませる。すぐに、カーナビは案内を開始する合図を出す。草薙がハンドルを握り、車は静かに動き出した。


「スカイツリーには観光か?」


 運転をしながら、草薙が問いかけてくる。


「この世界がどうなっているか知りたいんだ」

「そんなもん知ってどうすんだ? どうしようもねえもんを知っても仕方なくねえか?」


 草薙の言葉は正論に思えた。神の導きに逆らう正当な理由はなく、たかが、人である湊には天罰が下るだけかもしれない。しかし、神の行なっていることは、人々を自分の思いどおりに動かしているに過ぎない。それを認めてしまえば、湊たちは唯の操り人形になってしまうだろう。少なくとも、彼らには自らの世界の正確な情報を知る権利はあるのではないだろうか。


 しばらくして、前方の信号が赤に変わり、車は停止した。その隙に、草薙は湊の方に声をかけて来る。


「なぁ、オリビアが言っていたぜ。お前が冷たいって」


 草薙の言葉に、湊は軽い衝撃を覚える。彼女が草薙にそこまで深い話をしているとは思っていなかったからだ。確かに二人は魂の戦いの仲間ではあるが、湊以外の人間に、ここまで心を開いているのは思いもしなかった。


 また、オリビアの告げ口の内容は、湊にとっては心外であった。彼女自身はリアムに色目を使っており、元の世界のオリビアは悠太と恋仲になってしまっている始末である。どの世界でも湊を無視しているのは彼女ではないだろうか。


「あいつも色んな奴に粉をかけているじゃない? 良い彼氏でも見つけるんじゃないの? 美沙の真似をしてさ」


 湊の言葉に草薙が苦笑する。


「・・・湊、それは違うんだよ。・・・まあ、それはいいや。もし、美沙が悪影響だってなら、俺がなんとかするよ」

「まさか、殺すとか?」


 湊は、草薙ならそのような非常識な行為を行いかねないと考えたが、彼は笑いと驚きを混ぜた表情を浮かべる。


「いやいや、魂の戦いじゃねえんだからさ。俺が美沙とよりを戻せばいいんだよ。あいつが、オリビアにちょっかい出してんのも暇だからだろうしな」


 美沙に戻る気持ちがあるかは分からないが、草薙の言葉には一理あると湊は感じた。湊にとっては、オリビアが美沙の影響を受けるのは不快なのは事実であり、それを取り除いてくれるのはありがたい。彼はそれに対し「考えとく」だけ返答する。


 信号が青に変わり、再び車が走り出すと、湊は外の景色に視線を向ける。


 しばらくの間、車は走行を続けたが、湊たち以外の車が姿を消してしまう。他の車たちは、交差点で曲がったり、背後に転回したりで、姿を消して行ってしまう。


「馬鹿に道が空いてんな。・・・ラッキーだな」


 草薙は言葉とは裏腹に、狼狽えた表情を浮かべていた。湊の脳裏に、先日の魂の戦いで、学校の前で停車していた車のことが思い浮かんでくる。


 しばらく車を進めると、前方から数台の対向車が近づいてきた。それらの車は、何となく色褪せて見えた。それは車だけに留まらず、標識や道端の木々、視界に入るあらゆるものが、なぜか白っぽく色褪せているように見えるのだ。


「俺の目がおかしくなったか?」


 草薙が片手で目を擦る。


「いや、俺にも色が白っぽく見えるよ。それに・・・」


 湊は外に視線を向ける。問題が起きているのは物体だけではない。車を運転している者、外を歩いている者。全ての人間が透明に染まり始めているのだ。しかも、彼らの顔からは表情が失われてしまっていた。


 また、しばらく車を走らせると、湊の視界に広大な川が飛び込んでくる。彼は、この川は何度か見たことがあった。幼い頃に親に車で連れてきてもらったこともあれば、東京に向かう際に電車から覗いたこともある。その時も美しい川の色合いとは言い難かったが、しっかりと色彩を放っていた。その色を失った川は、東京と千葉を分かつ色合いを失った「江戸川」の姿であった。


 湊たちの目の前には、川を跨ぐ大きな橋があり、ここを越えれば東京都に入る。通常であれば、都市の入り口ということもあり、心が躍るところではあるが、湊には、そんな心境になることは出来なかった。


 同時に、湊の視界には大きな白い塔が飛び込んでくる。それは、彼の記憶の中では、鮮やかに光り輝いているはずの、スカイツリーの姿であった。


「お前が見たかったのはこれか。これって・・・」


 草薙の言葉は最後まで発されることはなかったが、湊にはその続きが容易に予測できた。


 湊たちが暮らす終の世界は谷地下台の周辺しか、正常ではないのだ。それ以外は、まるで魂の戦いを彷彿とさせる光景が広がっているのだ。恐らく、草薙の言いたかったのはこのことだろう。


「湊。引き返さねえか?」


 しばらく車を走行させると草薙が青い顔を浮かべながら言う。このまま、先に進むことは生身で魂の戦いに足を踏み入れるようで、湊も身の危険を感じ始めていた。彼も引き返すことに同意しようとしたが、その瞬間、異常な光景が視界に入ってくる。


 色褪せてはいるが、街が色を取り戻してきているのだ。先ほどまでとは反転し、車が進むたびに徐々に色合いが鮮やかになってきている。


 その街は、大通り沿いに商店街や神社が並んでいた。商店街には多くの人々が行き交い、彼らは笑顔を浮かべていた。しかし、その笑顔はどこかぎこちなく、彼らの身体は僅かに透けているように見えた。


 その街は湊の記憶にあるものであった。東京都の「門前仲町」は、彼が時折、乗り換えの際に降りたことのある場所であった。


 車の進行方向の道の先には、東京駅へと続く大通りが広がっていた。そして、その大通りに視線を向けると、奥へと深まるごとに色彩が鮮やかになっていった。


「く、草薙。スカイツリーではなく、色が濃くなっている方角に向かってくれないか?」


 湊は冷静を装っていたが、声の中に震えが混ざっていた。彼は、世界は谷地下台近辺しか存在しないと予想したが、現実は異なっていた。何を基準にして、白い世界と色彩のある世界を分けているのだろうか。


 すると、次第に、草薙が運転する車は徐々に東京駅の方に進んでいった。湊の目でも、そちらの方角に進むにつれ、色彩が濃く、そして鮮やかになっているように見えた。


 湊は思考の世界に突入する。この色を失った場所と、色彩豊かな場所の違いは何なのだろうか。何かしらの規則性があるのではないだろうか。


 その時、湊の脳裏に「融合」という単語が浮かび上がってくる。


 もしかすると、融合しているのは魂だけではなく、世界の物質にも行われているのではないだろうか。


「俺らの対戦した世界に、この付近を活動拠点にしている世界があった?」


 湊が呟くと、草薙がゆっくりと車を停車させる。


「ここから先は、どの方角に向かっても、色がここより褪せているみてえだ。どうする?」


 湊が窓の外を眺めると「JR 八丁堀駅」と看板を掲げている駅が存在していた。そして、その近くには「桜川公園」と書かれた看板があった。湊が視線を公園に向けると、色褪せた桜の木々が風にそよぎ、不気味な雰囲気を放っていた。異質な光景に彼の背筋が冷たくなる。


 そして、桜川公園の前の歩道には、身体が透けている親子の姿があった。それは、母親と幼い少女のようであった。湊は車の窓を開ける。


「オカアサン、キョウノオショクジハ?」


 機械が話すような抑揚のない声が、湊の耳に飛び込んでき、彼の全身に冷たい戦慄が走った。この異界のような場所の雰囲気が湊の精神を削っていた。これ以上、この場所にいても新たな発見はないだろう。湊は草薙に視線を向け、帰宅を願い出る。


 ――湊たちは長い時間をかけて、谷地下台に戻って来た。太陽は既に彼らの真上にはなく、静かに平行線へと消えかかっていた。夕暮れが谷地下台を包み込む中、ロータリーには古びた車が静かに停まった。


 湊は草薙に津田沼から電車で帰宅する旨を告げたのだが、彼が気を利かせて谷地下台まで送ってくれたのだ。車が停まるや否や、湊はシートベルトを外し、ポケットから財布を取り出す。しかし、その動きを見ていた草薙が眉をひそめる。


「いいよ。水臭えな。今度、何か奢れよ」

「なら、今から飯でも食って行かない? 奢るよ」

「いや、今日はいいや。疲れちまった」


 湊も同じ気持ちを抱えていた。驚きの連続が彼の身体に疲労感を落としていた。


 湊は草薙に感謝と別れの言葉を投げ、車を降りようとする。しかし、突如、草薙の手が湊の手首を掴んだ。


「やっぱり、飯はいいよ。その代わり、オリビアに連絡しろよ。今日のことがあったから、尚更だ。いつ何があるかわかんねえからな。・・・後悔は残さないようにな」


 草薙は静かに湊の手を離した。その言葉は彼なりの思いやりなのだろう。湊はその言葉を深く胸に刻んでおくことにした。


 湊が車を降りると、排気音が鳴り響き、草薙の車は徐々に遠ざかって行った。湊はその背中を目で追い、車の姿が見えなくなるまで見送った。そして、湊は近くにある谷地下台の街並みを抜けるための大通りに視線を向ける。


 湊にも疲労感はあったが、まだ自宅に戻る気にはなれなかった。普段ならば人との交流を避ける湊であったが、今は感情を持つ人々の声が、彼の心を落ち着かせてくれていた。


 湊はバスの停留所ではなく、大通り沿いの歩道を歩き続けた。特にどこかに立ち寄りたい思いがある訳ではなかったが、この時点では自宅には帰りたくなかっただけであった。


 湊が歩みを進めるうち、店の数は減っていき、住宅が多く顔を現してきた。そろそろ、バスの停留所を見つけたら、家路につくのが良いかもしれないと、彼は思い始めていた。


 湊がバスの停留所を目で探していると、マンションの前に引っ越しのトラックが停まっているのが目に留まる。そして、そのトラックに向かい、青い服をまとった男が、人一人では運ぶのが困難な巨大な冷蔵庫を両手に抱えて運んでいた。その姿はリアムのものであった。


「リアム」


 リアムが冷蔵庫をトラックに積み込んでいる際に、湊が声をかける。その声に反応して、彼がこちらに視線を向けてき、微笑を浮かべる。その無邪気な笑顔に導かれるように、湊はリアムの元へ足を進める。


「仕事をしているの? 音楽の動画が収入源だと思っていたよ」

「はははっ、あれだけじゃ、とても食べられないよ」


 リアムの笑い声と共に、マンションの方角から、彼と同じ青い服を着た中年男性が現れた。彼は両手に二個の箱を抱えて、トラックの方へと歩み寄ってきた。それを見た、リアムの顔に謝罪の色が浮かんでくる。


「あっ、すみません。すぐに、仕事に戻りますので」

「おっ、お友達かい? いいよ、いいよ。神の子のおかげで、仕事が数倍早く片付いてんだから、少し休憩してくれよ」


 中年男性はそう言うと、箱をトラックに積み込んだ後、再びマンションの方へと戻っていった。また、ここでも神の子という言葉が湊の耳に飛び込んできた。


「ここでも神の子って」

「僕は子供の頃から、シン教に入ってたんだ。だから、教団からは神の子って言われていたんだよ。まあ、あの人は僕の動画サイトを教えたら、そう呼びだしたんだけどね」


 湊はリアムの動画サイトを探してみようかと考え始める。すると、リアムが真剣な眼差しを湊に向けてくる。


「神の子はね。使命があるんだ。ある人を探すね」

「ある人?」

「神様だよ」


 リアムが突拍子もないことを言い出し、湊は目を丸くする。かつての湊なら、非科学的な話と片付けられたが、今、湊たちは神話の世界のようなことに巻き込まれている。そう考えると、この魂の戦いで、彼の使命は果たされるかもしれない。


 しかし、リアムの顔色が一変すると、湊の背筋が冷たくなる。彼の目は焦点があっていなく、不気味な笑みを浮かべていた。それは別の何者かが彼に取り憑いているように見えた。


「シン教で言われているんだ。世界が乱れた時、神様は現世に現れるとね。世界を創造する力を携えて」


 徐々に、リアムの表情はいつもの優しい微笑に変わっていく。


「ごめん。詳しくは今度ね。仕事に戻らないとだから」


 その言葉を残し、リアムが職場での使命を果たしに、マンションの中に消えて行った。

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