第15話 新たな参加者

 空は光を失っていたが、それに反抗するように街の灯りが闇を払っていた。


 夜の街には酒に酔いしれる者や、楽しげな恋人たちが往来していた。彼らを受け入れる店たちは、この街には腐るほど存在している。


 それらの人々に紛れ込むように、湊、オリビア、草薙の三人が船橋の駅前を歩んでいた。


 三人が船橋に集まるには明確な理由があった。街に住むリアムに会うためのものだ。


 湊には、次の魂の戦いまでに達成すべき二つの目標があった。そして、その目標の一つは、この船橋で果たさなければならないのだ。


「やっぱり、俺もいないとダメか?」


 湊の隣で歩く草薙が、不満気な声を上げる。どうやら、シン教に関する見解の相違から、リアムとの関係がこじれてしまい、以来会っていないようなのだ。


 しかし、草薙が何と言おうが、湊は彼を帰すつもりはなかった。前回、一人でリアムを説得しようとしたものの失敗に終わったため、今回は総力戦で挑みたいのだ。


「ダーメ。仲直りしないと」


 オリビアの言動に湊は違和感を覚えた。以前までは、彼女は知り合って間もない人間にこんなことを言う女性ではなかった。かつて、自分にだけ心を開いてくれていた彼女を思い出し、湊は一抹の寂しさを感じた。


 しばらく歩いて、湊たちはリアムとの待ち合わせ場所のデパートに到着する。建物の前には、大勢の人々が集まっており、賑わいを見せていた。そんな賑わいに、湊は嫌な気持ちになるが、ここからリアムを探し出さなければならない。


 湊が周囲を探ると、デパートの入口付近にリアムの姿を確認する。湊が彼の存在を他の二人に伝えると、皆でその場所に足を運ぶことになる。


 歩み寄る湊たちに気付いた、リアムが微笑を浮かべる。


「やあ、湊。そして、慶次も久しぶりだね」

「今日は会ってくれて、ありがとう」

「それは僕のセリフだよ。この前、断ったから不安だったんだ」


 湊とリアムが握手を交わすと、草薙の視線が二人に向けられた。彼の表情からは、明らかな気まずさが浮かんでいるように感じられた。


「久しぶりじゃねえか。今日は湊の誘いの返答を聞きたいんだ」

「そうだね。ここでは話しづらいから、近くの個室の店を予約しておいたよ。そこに行こう。着いてきて」


 リアムの先導の元、彼らは個室のある店に向かうことになる。リアムと草薙は先行して歩を進め始め、湊とオリビアはその姿を追うように歩を進め始める。


「リアムさんには魂の戦いで会ったけど、この世界の彼もイケメンね」


 オリビアの小声での言葉は、冗談にしても品がないように思えた。湊はその言葉を無視することにする。


「・・・ねえ、無視しないでよ」

「んっ? まあ、格好良いよね」


 しつこいオリビアの言葉に、湊が面倒くさそうに返答すると、なぜか彼女の表情が曇る。オリビアがどういった反応を期待していたのか、湊には分かりかねた。


 湊の心の内に言いようのない苛立ちが芽生えてきていた。苛立ちの理由は、先程のオリビアの発言だけが原因ではない。彼女が美沙に見繕ってもらったような派手な服装をしていることも原因の一つであった。


 しばらく湊たちが歩いていると、先導しているリアムと草薙が右に曲がり、路地裏に入って行く。湊とオリビアもその道に入っていくと、そこには、数々の居酒屋が並んでいた。そして、明かりを求める蛾のように、酒に酔いしれた者たちが多く歩いていた。


 そこには、人々の喧騒が広がっていたが、その中には怒声が混じっているように思えた。湊がそちらに視線を向けると、三十代中盤くらいの男二人が鋭い視線で睨み合っていた。湊はその光景に呆れるような表情をする。大人が公然とこんな場所で怒声を上げるなどは恥ずべきことだろう。喧嘩など何も楽しくない。


「何か文句あるのかよ!」


 一人の男が呂律の回らない口調で叫ぶ。酒に酔いしれた二人の間の空気は、今にも手が出るかのような緊張感が漂っていた。


しかし、行き交う人々の中には、それを制止しようする者は一人もいなかった。湊はその様子に違和感を覚えることはなかった。大人になれば、正義感などというものは、発揮する機会も意味も失うものだ。余計なことに首を突っ込まずに傍観するのが大人の対応といえるだろう。


 しかし、湊の考えとは裏腹に、突如、リアムが喧嘩の現場に向かって行ってしまう。


「喧嘩は止しましょうよ。神様が見ていますよ」

「何なんだ。てめえには関係ねえだろ。すっこんでろ」


 喧嘩している片方の男がリアムに近づき、彼の肩に手を伸ばし、押しのけようとするが、リアムの身体は岩のように動かなかった。納得いかない様子で、男は再びリアムを力強く押したが、彼は変わらず平然としていた。その様子を目の当たりにした男の口が驚きで半開きとなった。


 しかし、一方でもう一人の喧嘩相手の男がリアムの顔を観察するように見つめ始める。


「あんた、もしかして、神の子?」

「ええ、そうですよ」


 リアムの返答に、男は喜びの表情を浮かべた。神の子という言葉は船橋の教会でも出てきたが、その意味するところが湊には理解できなかった。


「俺、あんたの曲のファンなんだよ。うわー、すげえ、実物に会えるなんて」


 男の言葉に湊は驚きを覚える。リアムは歌を生業にした商売に就いているのだろうか。


 リアムの熱心な愛好者の喧嘩の気概は失われたように見えたが、もう一人の男の目には熱い物が残ったままのようであった。その男は肩で風を切りながら、己が喧嘩相手に歩んでいったが、リアムが一歩踏み出し、彼の肩を掴んで立ち止まらせる。


「貴方の気が済むなら、僕を好きなだけ殴ればいい」


 リアムの声には脅しの色は含んでいないように感じたが、肩を掴まれた男の顔は恐怖に歪んでいた。


「い、いや、いいよぅ。もう、勘弁してやるよ」


 男は逃げるように立ち去って行ってしまう。男の姿が消えると、もう一方の男がリアムの方へ顔を向けた。その表情には明らかな喜びが浮かんでいた。


「俺さ、あんたのファンなんだよ。作った曲良いよな。俺らみたいな人間は元気もらっているよ。あっ、サインくれよ」


 男は地面に落ちている自らの鞄らしきものを拾い上げ、その中から手帳とボールペンを取り出してリアムに差し出した。リアムはそれを受け取り、嫌な顔をせずにサインを書き始める。そのサインがどれほどの価値があるものかは湊には分からなかったが、サインを完了させたリアムは手帳を男に手渡し、男は喜びに満ちた目でそれを受け取る。


「慣れないサインですけど。でも、酔っても喧嘩は止めてくださいね」

「ああ、あんたの曲にもあるよな。揉め事は何も生まねえからな。俺も地獄に堕ちたくないからね。サイン、ありがとな。家宝にするよ」


 男はその言葉を残してその場を去って行った。彼の職の疑問を解決するために湊はリアムの方へ歩み寄って行く。


「職業を聞いてなかったけど、大物歌手さんなの?」

「ははは、違うよ。彼が偶然知っていただけで、動画サイトで曲を流しているくらいだよ。神の子って名前でね。まあ、それはいいとして、店に向かおうか」


 リアムは何事もなかったように再び歩き始めた。


 しばらく歩いていると、湊たちの目の前に一軒の居酒屋が現れる。高級店という類ではなさそうであったが、手入れが行き届いている店舗であった。リアムはその居酒屋の前で足を止める。


「ここだよ。個室のある店なんだ。入ろう」

リアムと草薙は店の中に足を踏み入れて行ったが、湊は足を止め、ズボンのポケットから財布を取り出して中身を確認する。中には千円札が六枚ほど見えたため、資金は足りそうではあった。それを見ていたオリビアが憂慮の色を浮かべた表情をしていた。


「湊、お金は足りるのかしら? お金のことはしっかりしないとダメよ」


 湊はその言葉に軽い苛立ちを覚えた。オリビアの言葉に悪意はないとは理解していたが、どこか見下されているように感じたのだ。


「金は足りるよ。そんな、金、金言って楽しいか?  それよりも、早く入ろう」

「お金は何よりも大切でしょ? 生活力がないなんて辛いと思わない?」


 かつてのオリビアなら、金が何よりも大切なんて言葉は吐かなかったはずだ。湊は舌打ちをして、言葉もなく店の中へと歩いて行った。オリビアは焦った様子で、彼の後を急いで追ってきた。


 店内には、先に入った二人に、若い女性の店員が声をかけていた。


「予約していた、ジョンソンです」


 リアムの言葉に、女性店員は店の奥へと案内する手ぶりをした。湊たちは彼女の案内に従い、用意された個室に向かうことになる。


 湊たちが店の奥へと歩いて行く間、いくつもの部屋の扉があり、その中からは賑やかな声が聞こえてきた。この店は特別高級ではなさそうであったが、湊は堅苦しい高級店より、このような雰囲気の店を好んでいた。


 扉の開いた部屋の前に到着すると、店員が足を止める。


「こちらになります」


 湊たちは店員の案内に従い部屋へと足を踏み入れる。四人用の席のようで、リアムと草薙が隣同士に、対面に湊とオリビアが隣同士に座った。部屋は四人が座ると少し狭く感じられる広さだった。


 リアムはテーブルの奥に置かれた注文用のタブレットを手に取った。彼は各人の希望を尋ねてきたが、リアムが何度もこの店に足を運んでいることから、注文の決定を彼に一任することになる。


「最初は度数の強いアルコールは控えよう。欲しい飲み物をもらえる?」


 リアムの問いかけに、皆がそれぞれの好みの飲み物を伝える。湊がオレンジジュースを頼むと、オリビアは彼をからかうような表情をする。


「子供ねぇ」


 オリビアの言葉は湊の癪に触り、彼は憮然とした表情を浮かべながら彼女から視線を逸らす。その微妙な空気を察したリアムは、タブレットに注文を打ち込みながら苦笑いしていた。


 やがて、個室の引き戸が開き、飲み物とお通しを持つ店員が現れた。オリビアとリアムが立ち上がり、手際よく飲み物を配る手伝いをした。その姿は成熟した大人の行動に感じられ、湊は敬意と共に、時の流れで変わっていくオリビアの姿に、少し寂しさを感じていた。


 飲み物が全員に渡されると、リアムが自らのグラスを持ち上げた。それに続いてオリビアと草薙も自身のグラスを手に取った。湊も慌てて自分の前に置かれたグラスを手にする。


「それでは、慶次との再会に乾杯」

「俺との再会にかい!?」


 リアムの音頭に、草薙が漫才のような突っ込みの仕草を見せる。二人の間のわだかまりは既に解消されたようであった。


 草薙の様子も、当初とは違う印象に変わっていた。乱暴な口調は増してきたが、彼の憎めない性格が垣間見え出したのだ。それは、まるで高校時代の彼を思い出させるようであった。


 皆がコップをぶつけると、小さな音が響き渡る。湊がゆっくりと自らの口元へ飲み物を運ぶと甘美な味が口の中に広がっていくのを感じる。やはり、オレンジジュースは悪くない選択だっただろう。


 しばらくすると、草薙は飲み物を机の上に置き、リアムの方へと視線を移した。


「いきなりだけど、本題を話したいね。魂の戦いに参加してくれんのか?」

「うん、そのことだけど・・・」

「断るのは無しにしてくれよ。ダチだろ? 前回もヤバかったんだよ。相手の世界の湊が銃を生み出す奴でさ。参加してくれねえと次は負けかねねえ」


 その言葉を聞いた、リアムの目が大きく見開かれる。


「銃を・・・。生み出す?」

「ああ、それを湊が同じく銃を生み出して倒したんだよ。なっ?」


 リアムが顎の下に手を置き、眉間にしわを寄せ始める。先ほどのリアムは明らかに断ろうとしていたが、草薙の言葉が、彼の心の琴線に触れたのかもしれない。


 しばらくすると、リアムは湊に視線を向けてくる。


「湊。君が望むなら、僕は参加しようと思う」


 その言葉に湊は嬉しさを感じる一方で、納得がいかない思いがあった。湊が銃を作れるからという理由でリアムは参加を決意したのだろうか。しかし、参加の理由は重要ではない。リアムが参加するというだけで、それは非常に心強いことだろう。


「なら、是非参加して欲しい」

「分かったよ。参加させてもらうよ」

「嬉しいわ。何か、魂の戦いの楽しみが一つ出来たと思わない?」


 リアムの言葉に、オリビアが黄色い声を上げながら、湊に視線を向けてくる。彼は不愉快になり、彼女から視線を逸らす。


「ただ、参加するなら、神の従者たちに会ってみたいもんだね。シン教では尊い三人の方々なんだ」

「尊い? へっ、嫌な奴ばかりだぜ」


 リアムの三人という単語を聞いて、湊はあることに気付く。


 シン教で伝えられている神の従者の数と、魂の戦いで現れた従者の数が一致していないのだ。希望の従者、慈愛の従者、破壊の従者。これらの従者は、シン教にも存在していた。しかし、前回の戦いで現れた従者を含めてしまうと、四人になってしまう。もしかして、魂の戦いは完全にシン教に則っている訳ではないかもしれない。


 しかし、この疑問をリアムに伝えれば、彼の関心が薄れるだけだろう。そのため、湊はこの疑問を心の中に秘めることに決めた。


 何はともあれ、湊たちはリアムという力強い仲間を得ることができた。あと、彼が達成すべきことは一つ。この世界の矛盾を解き明かすことだけだ。

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