第17話 魂の戦い(vs 純の世界)
木々の間から、太陽の光が差し込んでいた。植物達は太陽の恵みを受けて、その生命を維持しているが、その白い木は、その恵みを受領しているのだろうか。
ただ、目の前の木々が広がる場所は自然のままというわけではない。人の手によって整備された痕跡があちこちに見られていた。その最たるものが、木々の間を縫うように伸びるコンクリートだ。そして、その道の脇には、休息を取るための椅子や水飲み場が設置されており、訪れる者たちに安らぎを提供してくれていた。
白いコンクリートの道の上で、湊が一人佇んでいた。しかし、周囲の光景を見つめる、彼の目には懐かしさが宿っていた。この場所は、彼が子供の頃に来ていた、谷地下台団地の奥にある「中央公園」の一角であることを感じていたためだ。
湊は白い道をゆっくりと歩み始める。しかし、目の前に広がる景色は色彩を失っていた。そこは、静寂に包まれており、まるで時間が止まっているようであった。
いつもの魂の戦いであれば、この周辺に湊の仲間たちがいるはずであろう。彼が心の中で、仲間たちを求めて道を歩んでいると、木製の机と椅子が目の前に現れた。
その机と椅子は、過去に両親とオリビアと共に使用したものであったが、大人になった湊が見ると、そこは汚らしく、座りたくない場所であった。だが、そんな椅子の一つに一人の者が座っていた。それは、慈愛の従者の姿であった。
慈愛の従者は机に両肘をつき、顔を手の上に乗せて何か思案しているようであった。その姿を見た湊の心が弾む。この悲惨な魂の戦いの中で、慈愛の従者に会えることは彼にとっての唯一の楽しみであった。
「また、呼ばれましたよ」
湊が声をかけると、慈愛の従者は飛び跳ねるように立ち上がった。神の従者にしては隙が多いが、そこが湊には愛おしくもあった。彼女は、恐る恐る湊の方に視線を向けてきたが、二人の視線が交わると、慈愛の従者の口角が上がる。
「また会えて、うれしいです!」
慈愛の従者の言葉に触れると、湊の心も喜びに満たされる。彼女の目はフードに隠れて見えないが、その隠れた目は彼だけを見てくれているように感じられた。
しかし、慈愛の従者と実際に向き合うと、共通の話題が湊の脳裏には浮かび上がってこなかった。唯一、彼の心に浮かび上がったのは、かつて、彼女が持っていた兎のぬいぐるみの姿だった。
「まだ、兎のぬいぐるみは持っているんですか?」
「はい。持っているのです!」
慈愛の従者は嬉しそうに、肩から下げているトートバッグの中に両手を入れると、大事そうに兎のぬいぐるみを取り出して両手で抱きしめた。その姿を見た湊は優しい気持ちになってくる。
「神様からもらった、何よりも大切な物なのです!」
湊は慈愛の従者の言葉を疑問に感じる。神が自らの従者にこのような酔狂な贈り物をしたのだろうか。怪訝な顔を浮かべている湊に対し、慈愛の従者が見つめてくる。
「・・・あなたは、これを見て何も感じませんか?」
「俺が?」
湊は目の前の兎のぬいぐるみをじっと見つめた。本来、彼はぬいぐるみに興味がないはずであったが、改めて見ると、この兎のぬいぐるみにはどこか懐かしい感覚があった。さらに彼が目を近づけると、ぬいぐるみの耳が少し痛んでいるのに気づいた。
「なんか、どこかで落としたの? または、誰かにやられた?」
「やられたわけではないのです。別の神の従者の人に強く持たれちゃって」
慈愛の従者の口元にはぎこちない笑みを浮かんでいた。湊は彼女が自らぬいぐるみを傷つけたのであれば黙殺しようと考えていた。しかし、彼女の様子からは、ぬいぐるみは仲間に傷つけられたとしか思えなかった。この事実は湊の心をざわつかせた。
「仲間の大切なものを傷つける人間からは離れるべきだ」
「でも、わたしには、神の従者として導きという大切なお仕事が・・・」
「それも止めるんだ。俺は東京を見て来た。そこも、おかしなことになっていた。不自然なんだよ。導きは」
湊の言葉に、慈愛の従者はただ俯いていた。
「俺からのお願いだ。言う通りにしてくれ」
慈愛の従者がゆっくりと顔を上げたかと思うと、その口元には微笑が浮かんでいた。湊はその表情が何を意味するのか理解できなかった。
突如、湊の肩が何者かに掴まれる。驚愕した彼が、勢い良く振り返ると、そこには草薙の顔があった。そして、彼の背後にはオリビアとリアムの姿があった。
「おいおい。導きをやめろとか言っていなかった?」
草薙が笑みを浮かべていたが、背後のオリビアは、なぜか視線を慈愛の従者に向けていた。視線を受けた慈愛の従者がゆっくりと口を開く。
「集まりましたね。それでは、今日の魂の戦いの話をしますね。今回は、谷地下台の中央公園で戦うことになるのです。《純の世界》の参加者は、小林湊さん、オリビア・ブラウンさん」
湊の目が大きく見開く。まさか、二人だけで参加してくる世界があるとは想像もしていなかったからだ。
「それでは、また、ぴっぴっと音がしたら、戦いを・・・」
慈愛の従者が話し終える前に、オリビアが慈愛の従者に歩み寄っていく。
「なぜ、貴方はそのトートバッグを持っているのかしら? そして、そのバッグに湊が気付かないのも、導きの力って訳なの?」
「あなたは知っているはず。それは導きの力ではないのです」
その言葉を最後に、慈愛の従者の姿が徐々に透明に染まっていく。彼女の消えてゆく中、その口元はどことなく悲しそうに見えた。湊もそれに応じるかのように、静かに視線を落とした。
「何を寂しそうな顔をしているのかしら?」
オリビアが普段の彼女よりも低く、小さな声で語りかけてきた。
「君には関係がない。それよりも、何でトートバッグを気にしたんだ?」
湊の言葉に、オリビアは何も答えずに、ただ呆れたような表情を浮かべてくる。湊はその態度に苛立ちを覚え、強い視線で彼女を睨みつける。すると、その場に重い沈黙が走る。
草薙はその緊迫した雰囲気に耐えられず、苦笑いを浮かべ始めた。
「ま、まあ、今日の相手は二人だけだろ? 作戦もシンプルでいいよ。俺がぶっ倒してくらぁ」
湊はその考えには反対であった。しかし、草薙は彼の懸念を風で吹き飛ばすかのように、公園の奥へと足を進めていってしまう。
「何か作戦を立てようよ」
「私も作戦なんか立てても無駄だと思うわ」
オリビアは湊に視線を向けることなく、草薙の後を追いかけて歩いて行った。湊は、自分の言う通りに動かない彼女に苛立ちを感じ、ため息を吐いた。すると、リアムが湊の元へ歩み寄ってきた。
「僕も初めての魂の戦いで、勝手が分からないんだけど、こんなに無策でぶつかり合うのかい?」
リアムの言葉に、湊も同意する。前回の魂の戦いでも無策で動いて、危機を招いている。しかし、草薙は策を練ることを好まないだろう。
「おい! 着いて来ねえの?」
リアムとの会話を遮るように、遠くから草薙の大声が響いてくる。そして、その直後、腕時計が不吉な音を発してくる。
「とりあえず、慶次たちを追おう」
リアムの言葉に、湊は頷き、先に歩みを始めてしまった二人の姿を急いで追うことにする。
しかし、いつもとは異なり、いつまでも敵が襲って来る気配はなかった。公園には静寂が包み込み、湊はまるで、公園の時間が止まっているかのような錯覚に陥った。
道を少し進むと、やがて右側に曲がり始める。湊の記憶が確かならば、この先の曲がり道の後には湖が広がっているはずだ。彼は辺りを警戒しながら、慎重に歩を進めることにする。
曲がった道を進むと、湊の記憶通りに湖と開けた場所が広がっていた。しかし、湖の姿は湊の記憶にとは異なり、美しい色彩を失っていた。湖の周辺の地面には雑草が生い茂っていたが、それも真っ白に染まっていた。
そして、その雑草の上に子供服のような幼稚な格好をしている男性が座り込んでおり、彼を見下す形で、派手な黒いドレスを着ている女性の姿があった。それは、別世界の自分とオリビアの姿であった。
別世界の自分は無邪気に、別世界のオリビアを見上げる。
「ねえ、かくれんぼしようよ」
「馬鹿言ってんじゃ無いわよ。今は魂の戦い中でしょ」
二人の間で口論が交わされていたが、湊には別世界の自分の言っていることが理解できなかった。いい大人が、かくれんぼのような遊びに興じることができるのだろうか。
そこまで考え、湊の脳裏に《純の世界》という文字が鮮明に浮かび上がってくる。もしかすると、これらの名前は世界全体を指すのではなく、その世界の湊自身を指す言葉なのではないだろうか。
湊が思案していると、別世界のオリビアがこちらに指を向けながら、別世界の自分の肩を叩く。それに反応し、彼はゆっくりと立ち上がり、こちらに視線を向けてくる。
「ケンカは止めようよ」
別世界の自分が目を細めて微笑んでいた。その笑顔は、純粋な少年のような無邪気さを携えており、湊に葛藤が生まれる。彼の提言する戦いを止めるのも一つの選択肢に思えてきたのだ。彼自身も当初はそれを望んでいたはずなのだ。
しかし、現実問題としてそれは許されるとは思えなかった。神の従者の情報を聞く限りでは、世界は一つに戻らなければ正常な状態には戻らない。そのため、神の従者が戦いを止めることを認めるとは思えなかった。
その時、湊の思案を打ち破るように、彼の目の前にいる草薙が別世界の自分に手を伸ばす。
湊は瞬時に別世界の自分が吹き飛ばされると予測していたが、彼とオリビアの周りには透明な箱のようなものが包み込んでおり、それが彼らを草薙の脅威から優しく守っていた。その状況を見た、湊は驚愕の表情を浮かべる。その透明な箱は、前回の戦いで神の従者が見せたものと酷似していたのだ。
「ダメだよ。お父さんやお母さんに怒られるよ。ぼくは人にけがさせたくないもん」
別世界の言葉に、湊は軽い苛立ちを覚える。魂の戦いが始まる前の湊も、そのような考えを持っていた。あの頃の彼の視界には、輝かしい世界が広がっていたように思えた。しかし、湊はその純真さを喪失してしまった。それを未だ相手の世界の自分は持ち合わせている。
「戦いを止めてどうすんだよ? 神の従者が許してくれるとでも言うのか?」
草薙が地面に唾を吐きながら言う。彼が言うように別世界の自分の言葉は綺麗事に過ぎないだろう。もし、両方の世界が戦いを放棄した場合、神の従者から厳しい裁きが下る可能性がある。
「そうよ。第一、貴方の力があれば、彼らを倒せるでしょ?」
別世界のオリビアが眉間にしわを寄せていた。
「でも、お友達に別の世界を消したって言えるの? そっちの世界のぼくはどう思うの?」
別世界の自分の言葉を聞き、湊の心の中には、戦うしかない思いと、戦いを避けるべきという気持ちがせめぎ合っていた。
しかし、その迷いを一瞬にして消し飛ばすような、木が折れるような音が聞こえてくる。湊が音の方向に視線を向けると、近くの木から切り離された枝が宙に浮いていた。
そして、その枝は金色に光り輝き始めたかと思うと、弾丸のような速度で別世界の自分に突き進んでいった。それは、彼らを守る透明な箱に穴を開け、枝は真っ直ぐに別世界の自分に向かっていく。彼は慌てて、それを避けようとしたが、木の枝は彼の右肩に深々と突き刺さる。瞬く間に、別世界の自分の身体が透明に染まっていく。
「ほれ、戦いの合図だ」
草薙が手を別世界の自分に伸ばしながら、皮肉たっぷりに言い放つ。恐らく、彼の魂力がこの惨劇を生んだのだろう。その場面を目の当たりにしたリアムの眉間にしわが寄る。
「慶次、何てことをするんだ。相手は戦いを止めようとしていたんだよ」
リアムが草薙を嗜めると、彼は両手を宙に上げ、素っ頓狂な顔を浮かべる。草薙の行為が果たして正しかったのか、湊には判断できなかった。しかし、湊は草薙の暴挙に別世界の自分がどう答えるかが気になっていた。
湊が別世界の自分に視線を向けると、彼の目には涙の光が浮かんでいた。そして、彼は幼い子供のように地団駄を始める。
別世界のオリビアが慌てて、別世界の自分の傷ついた右肩に手を当てると、優しい輝きが彼の体を包んだ。徐々に彼の身体には色彩が戻り始めるが、その顔は怒りで真っ赤に染まったままであった。
「いたいよー。くそー。許せないぞ!」
別世界の自分は涙を流しながら怒鳴り散らす。その様子はまるで子供の癇癪のようであった。続いて、彼がこちらに左手を向けてきたかと思うと、巨大な鋭利な針が数本、湊たちに襲いかかってくる。その針は地獄の針地獄にあるものを彷彿とさせるものであった。
しかし、突如として風のようなものが湊たちの間を駆け抜ける。その風の正体、リアムが湊たちを守るように、その針を一つ残らず打ち払った。
「く、くそー。これなら、どうだ!」
今度は、空から轟音が響き渡ってくる。湊が上空に視線を向けると、巨大な黒い鉄球が急速に接近しているのが目に入ってくる。それは、まるで神からの罰のように感じられるものであった。
「みんな伏せて!」
リアムの叫びに、皆が瞬時に地面に身をひそめる。しかし、当のリアム自身はそのままの姿勢で、右手だけを天に突き上げる。
空気が震え、轟音が鳴り響いたが、驚くことに鉄球はリアムの手の上で止まっていた。そして、彼の右手に僅かに力が入ったかと思うと、その鉄球は近くの湖に飛んでいく。
湊はゆっくりと立ち上がり、唖然とした表情でリアムを見つめる。その行為は、明らかに人の所業ではなかった。しかし、リアムは湊の視線を無視するように、別世界の自分に目を向ける。
「さっきの件は申し訳ない。謝って済むことではないけど、君の言うように無益な戦いは止めよう」
「うるさい! うるさい!」
別世界の自分は顔を真っ赤にして地面を踏み鳴らす。その姿は、湊の羞恥心を掻き立てた。自分と同じ姿の者が見るに堪えない行動をしているのだ。
しかし、別の世界の自分は地団駄を終えると、左手を横に伸ばした。湊が身構えるが、そこには予想外のものが姿を現した。
それは迷彩柄をした戦闘機であった。大きなプロペラを有し、羽には武器のような物が搭載されていた。それは、特撮映画の中から飛び出してきたようなものであった。
「あっ、出来た、出来た。かっこいい! オリビア。一緒に乗ろ」
別世界の自分は満面の笑みを浮かべながらオリビアの手を掴み、二人は戦闘機の方へと進んでいった。
「行かせねえよ!」
草薙が別の世界の自分たちに手を伸ばしたが、その手をリアムが素早く掴む。
「駄目だ。彼らへの攻撃は許さない」
「そんなこと言っている場合かよ! 俺らがあぶねえんだぞ」
リアムと草薙の間で口論が始まると共に、戦闘機のプロペラが周り始め、瞬く間に天高く昇って行った。その光景に草薙の口が半開きになる。
「あれは流石に反則じゃねえのか!?」
恐らくは草薙の抗議は実らないだろう。人の武器は魂を傷つけられることはできないはずだ。だが、魂を傷つけ得る兵器を生み出したなら話は別になる。それは、裁定を下す希望の従者が話していたことだ。
「危ない!」
リアムが叫んだかと思うと、驚異的な速度で、皆を突き飛ばす。すると、今まで彼らがいた場所へと機関砲の弾丸が数発降り注ぐ。湊が視線を上に向けると、戦闘機が悠々自適にどこかに飛び去って行った。あの幼い別世界の自分は機嫌を直し、戦闘機を操れることを楽しんでいるのかもしれない。
しかし、現実問題として、空に存在する者に攻撃の手段はない。このままでは、別世界の自分が飛行機の操縦に飽きたら、湊たちは一方的に攻撃を受けることになる。
湊は思案する。別世界の自分がさまざまな物を生み出せたのだ。彼自身にも空を飛ぶような物を作り出せるのではないだろうかと。
昔、湊はゲームや映画で人を乗せる鳥を見たことがあった。そういった生物を生み出すこともできるのではないだろうか。湊は鳥の姿を思い浮かべ、その者が生み出されることを願う。
しかし、辺りに変化はなく、あるのは深刻そうな顔をしている仲間たちの顔だけだった。湊の力でも、流石に生物を生み出すことは不可能なのかもしれない。
だが、次の瞬間、何かが羽ばたく音、そして、鳥のさえずりのような音が湊の耳に飛び込んでくる。彼がその方向に視線を向けると、そこには半透明な巨大な鳥の姿が存在していた。そして、その鳥は次第に色彩が鮮やかになっていった。
光り輝くような白い羽毛の身体、頭には赤い立派なトサカ、そして、鮮やかな緑の羽根。それは、ゲームの中から飛び出してきたような存在だった。
その鳥が湊に視線を向けて来たと思うと、愛嬌が溢れる表情を浮かべる。まるで、湊に親しみを抱いているように思えた。
仲間たちもその巨大な鳥の存在に気付いたようで、驚きの声を上げる者、目を見開くものなどの反応を見せていた。中でも、リアムは驚きの表情を浮かべたまま、湊に視線を向けてくる。彼の目には驚きだけではなく、期待や興奮も混ぜられているように感じた。
「まさか、君が・・・。この子を創造したのか?」
湊自身も実現できたことに驚愕していた。魂力で物体を作り出せるまでは理解の範疇ではあるが、現実に存在しない生物を新たに作り出すとなると、それは神の所業といっても過言ではない。
しかし、湊たちには、そんなことを考察している時間はなかった。別世界の者たちを乗せた戦闘機がこちらに向かってきていたのだ。
「面倒なこと考えてもしゃあねえよ。せっかくだし、こいつに乗ろうぜ!」
草薙が叫びながら鳥の背中に乗る。他の者たちも彼に続き、鳥の背中に飛び乗った。鳥の背中は羽毛に包まれているためだろうか、柔らかく彼らを包み込んでくれた。
「飛んでくれ」
鳥は湊の言葉を受けて、力強く白い空に昇っていく。湊の視界に入る景色が急速に変わっていき、やがて、目の前には白い空と白い雲のみが残っていた。気持ちの良い風が湊の頬を刺激し、彼は爽快な気分になっていた。
しかし、爽快さは一瞬にして消え去る。別世界の自分が操る戦闘機が彼らの方に近づいて来たのだ。その機体から大きな音が響いたかと思うと、複数の弾丸が湊たちの方に向かってくる。だが、鳥は瞬時に横に移動し、それを避けてくれる。
「あっちみたいに戦闘機を生み出してよー」
オリビアの悲痛な叫びは正論に思えた。確かに、湊が生み出した鳥のおかげで空を飛ぶことはできたが、攻撃能力に欠けていた。このままだと、相手の戦闘機に一方的に攻撃を受けるだけだ。
その時、草薙がゆっくりとあっちの戦闘機の羽に手を伸ばす。彼の口元には笑みが浮かんでいるように見えた。
「まあ、距離的に行けるかもしれねえや」
「駄目だ。墜落させては彼らが危ない!」
湊はリアムの言葉が理解できなかった。相手を傷つけたくない気持ちは湊にも眠っている。しかし、相手が攻撃してくる以上は、一方が消えるしか方法がないはずなのだ。
すると、草薙が湊たちに振り返ってき、優しい笑みを浮かべる。
「お前らは気にするなよ。全て俺が勝手にやった事だ」
その言葉を残し、再び草薙の視線は前方の戦闘機の方へと戻る。そして、彼の手に力が込められる。
すると、戦闘機の羽が折れ曲がり、そのまま本体から切り離れて地面に向かって落ちて行く。その損傷で、機体が危うく傾き始める。
相手の戦闘機から不穏な警戒音が鳴り響き始め、次第に地面に吸い込まれて行った。その光景は時間がゆっくりと進む映画のワンシーンを思わせるものだった。
やがて、木々を薙ぎ倒す音と共に、轟音が聞こえてくる。戦闘機は大破したのは明らかであったが、それ以上に湊が気にしているのが別世界の自分たちの安否だった。その想いに応えるように、湊たちが乗った鳥は、その結末を見届けるために方向を変える。湊には悲惨な情景を目に収めたくない思いもあったが、それでも事実を確認する必要があった。
湊たちを乗せた鳥が墜落現場に接近すると、地面に散らばる大破した戦闘機の残骸と、薙ぎ倒された木々が視界に広がった。しかし、意外なことに、その周辺には炎や煙の姿が見られなかった。通常であれば、戦闘機は燃料を搭載しており、それに引火すれば激しい炎に包まれるはずだ。しかし、この戦闘機は別世界の自分が生み出した物だ。その常識に囚われないのかもしれない。
鳥がゆっくりと、地面に足を付けると湊たちは順番に、その背中から地上に降り立つ。そして、湊は大破した戦闘機の運転席に視線を向ける。
すると、大破した戦闘機の中から、透明に染まった女性を抱えた男性が外に出て来る。彼は亀裂の入った透明な箱に包まれていた。その二人は別世界の自分とオリビアの姿であった。
別世界の自分は、ゆっくりと膝を地につけ、別世界のオリビアを白い土の上に、優しく寝かせた。瞬時に草薙が彼らに向かって手を伸ばそうとしたが、湊が即座に彼の腕を手で掴み、首を横に振る。別世界の自分たちの姿は視認が難しいほど透明に染まっているため、湊はこれ以上の攻撃は余計だと判断したのだ。
別世界の自分が、ゆっくりと別世界のオリビアに手を向けると、彼女の身体の上にぬいぐるみのような物が姿を現す。彼は彼女の両の手を掴んだかと思うと、そのぬいぐるみを抱きしめさせる。その瞬間、湊が目を大きく見開く。そのぬいぐるみは、慈愛の従者が所持していた兎のぬいぐるみに酷似していたのだ。
「ぼくの最初のプレゼント、最後もこれになっちゃったね。もう捨てないでね・・・」
別世界の自分の言葉を最後に、彼らの体が徐々に透明に染まり出し、そして、消えて行った。
ほどなく、そこから、二つの光の玉が現れ、湊とオリビアの方に浮かんでくる。そして、光の玉は彼らの身体の中に入ったかと思うと消えていく。恐らく、魂の融合がされたのだろう。事実、湊の心に純粋な子供のような気持ちが芽生えてくるのを感じた。
周囲は静寂に包まれていた。各人思うことは違うのかもしれないが、湊の心は悲しみに支配されていた。魂の戦いには勝者はいなく、悲惨な結末しか生まないのだ。
「あの兎のぬいぐるみを覚えている?」
オリビアの言葉に湊は思案の世界に突入する。あの兎のぬいぐるみは彼にとって懐かしいものだった。幼い頃に誰かの手に握られていた。しかし、遠い記憶の追求は、ある音に中断される。
手が叩かれるような音と共に、木々の間の道から、二人の神の従者がこちらに向けて足を進めていた。それは、希望の従者と、慈愛の従者の姿であった。
「まさか、あの、小林湊を破るとは。そして、勝因が生物の創造を行ったこととは驚きました」
希望の従者は機械的な声でありながらも、どこか興奮を隠せない様子であった。しかし、裏腹に慈愛の従者は俯いていた。
「やはり、魂の戦いなんて、やめるべきなのです。とても、悲しいのです」
「貴方たちが始めたことだわ。今更、綺麗事を言わないで」
オリビアは慈愛の従者に氷のような冷たい声を上げる。それとは裏腹に、瞳には燃えるような怒りの炎が含まれているかに見えた。湊はその怒りの矛先が慈愛の従者に向けられていることに違和感を覚える。本来は、希望の従者に向けるべき怒りではないだろうか。湊は本来ぶつけるべき相手に鋭い視線を向ける。
「でも、魂の戦いは止めるべきだよ」
「世界は一つに融合される必要がある。どちらにせよ、残る戦いも一回です。貴方たちには、その戦いも勝ち残って頂きたい」
希望の従者がこのような偏った発言をするのは、初めてであった。彼の視線は湊に向けられていた。
「そして、一つになった世界を、貴方が導いて欲しい」
希望の従者が湊に気味の悪い笑みを向けると、それを遮るようにリアムが間に入る。
「貴方の神とはなんだ?」
リアムの問いかけに応じるかのように、希望の従者は湊に指を向けてくる。湊は驚いて背後に視線を向けたが、そこには誰もいなかった。思わず、彼は自らの身体を指差す。
すると、リアムも希望の従者に向けていた視線を湊に向けてくる。その眼差しは、いつもの彼とは違い、狂気に満ち、焦点を失っていた。その異様な視線に、湊の背筋が冷たくなる。
「違う・・・。彼は貴方の神ではない」
湊は二人の狂信者に圧倒され、身の危険を感じた。しかし、希望の従者が湊から視線を逸らす。
「どちらにせよ、来週に全てが決まります。それでは、また来週にお会いしましょう」
希望の従者の言葉と共に、湊の周りの景色が捻り曲がって行く。そして、次第に彼の視界は闇に包まれる。
――湊の視界に光が戻ってくると、彼のいつもの乱雑な部屋が姿を見せる。整理整頓という言葉を学ぶべきだと思ってはいるが、それを行動に移せたことはない。そんな部屋の中に敷かれている布団に、湊は包まれていた。暖かい布団の中は彼に幸せを授けてくれたが、目覚まし時計がそれを妨害してくる。湊にとってはその音は魂の戦いを連想させて不快であった。しかし、無視するわけにもいかないだろう。彼はそれに呼び出されるように、ゆっくりと上半身を起き上げ、目覚まし時計の頭を手で押す。
しかし、静寂は束の間。すぐさま、枕元に置いていたスマートフォンがけたたましい音を鳴らし始める。湊がそれを手に取ると、それはオリビアからの着信を告げていた。彼はそれに応えることにする。
「もしもし」
「今度の祝日に六本木でデートしない?」
湊は少し驚く。オリビアがデートという言葉を口にするのは、彼の記憶では初めてだったからだ。しかし、最近、彼女との会話が噛み合わないことを考えると、湊はその日が良い日になるとは思えなかった。
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